40.ハリボテ
そ、そんなことって……。
学校内では常日頃から、高比良くんの噂話があることないこと出回っていたが、お母さんが亡くなっているなんて話はこれまで一度も聞いたことがなかった。
「そう……なんだ……」
高比良くんも思い詰めてるような感じじゃないし、ここは変に空気を重くするより軽く流しておいたほうがいいかな……?
「そうだ菊永さん、椅子半分貸してよ」
「え……あ、うん……?」
ぐちゃぐちゃに混ざって乱れた脳みそは、高比良くんの願いをわけもわからず了承した。
「じゃあ俺左でいい?」
私の座る椅子の背に手をかけ、頭上高くから尋ねてくる。
はい……?
「ごめん、もう少しだけ右寄ってもらえるかな」
「…………あっああ、ごめんなさい!」
そういうこと!? この椅子に座るの!?
動揺を悟られぬよう斜め下の一点を見つめながら、縮めた身体を端に寄せる。
充満していく張り詰めた空気。
ぎしぎしきしむ椅子の音。
まるで透明の縄で首を絞められているような気分だ。
「菊永さん大丈夫、狭くない?」
「うん、私は全然平気……」
平静を装った付かず離れずの距離感も、かえって意識しすぎているような気がして、もうどうしようもないほどに気恥ずかしい。
高比良くんは本当に平気なの……?
理瑛の気など知らずに、真剣な眼差しで足元のペダルを確認する横顔。
座り直すたびに軽く擦れるシャツが、摩擦以上の熱を肌に伝えた。
「ピアノ弾けるの……?」
「一応ね、昔父親にやらされてたんだ」
「そっか……」
お母さんじゃないんだ……。
その疑問をあえて言葉にするような真似はしなかったが、高比良くんは私の顔を見ると何か察したように言葉を続けた。
「父さんは俺に才能があると思ってたんだよ、俺の顔が母さんにそっくりだったから」
そう語る高比良くんの表情はなぜか見たことないほど眩しくなっていて、揺れ動く心のバランスは更に安定を失っていく。
「でも結局似てたのは顔だけでさ、発表会のあとはよくキーボードの自動演奏みたいで気持ちが悪いって叱られてた」
普通なら決して笑顔で話すことのできない最悪な思い出を、まるで宝物を自慢する子供のように教えてくる。
どうしてそんな話をするの……?
「俺は全部ハリボテなんだよ」
どうしてそんな顔をするの……?
「高比良くん!」
「え……な、何?」
これ以上溢れる感情を整理することはできない。
「ペダル、全部任せるからね」
だから高比良くんの返事も準備も一切待たず、わざと不意をつくように中央の白鍵を左手で弾いた。
「うん……わかった……」
膝の上に置かれていた大きな手が迷いなく鍵盤に並べられる。
すぐに二人の音は重なった。
軽やかに跳ねる音と太く支える音。
音色は風のように二人の間に吹き込んだ。
恐怖も緊張も同情も、演奏しているという感覚すらも透き通っていく。
理瑛は笑った。
視界には何も映っていなかった。




