4.理解不能
信じられない……。
高比良くんが笑ってる。
いつも無愛想で、一言も喋らずに女の子を泣かせたこともある高比良くんが。
今、私を見て笑ってる。
突然目の前に現れた初めての笑顔に、涼風の魂は遠いところへ抜け出してしまった。
いや顔ちっさ……その構造は生物学的にありえるの?
「安達さん、大丈夫?」
髪も超サラサラだし、まつ毛も長すぎでしょ……。
「おーい?」
え、なんかいい匂いまでするんだけど……なにこれ、夢?
「涼風ちゃん?」
「はひっ!?」
抜け出していた魂は、さらなる衝撃によって強制的に呼び戻される。
今、私のこと……涼風ちゃんって呼んだ……?
「ごめんね、そこまで驚かすつもりはなかったんだけど」
彼は一体、何について謝っているのだろうか。
いきなり名前で呼んだこと? さすがにそうだよね?
「ほら、鍵開いてるから」
高比良くんは片手を私の肩に添えたまま、ゆっくりと腕を伸ばしてドアを引いた。
「誰もいないからさ、ゆっくりしていって」
高比良くんのご家族は留守らしい。
ということは……ふ、二人っきり!?
破裂寸前の心臓を押さえこみ、なんとか玄関に足を踏み入れる。
「おじゃまします……」
ドアが閉まると、息苦しい静寂が時を止めた。
ここが……高比良くんの……。
家に入れば、高比良くんの日常が垣間見えるかもしれない。
そんな期待を心密かにしていたのだが、どうやら浅はかだったようだ。
リビングまで進んでも、あるのは"家"を構成するために置かれる使用感のない家具だけ。
黒いカーテンに一切の光を遮断された室内は、温度以上の冷たさを感じさせた。
「飲み物は麦茶でいい?」
料理番組で見るような立派なアイランドキッチンから、高比良くんが顔をのぞかせる。
「あ、うん……!」
「ストローは? いる?」
麦茶とストローの組み合わせはあまり馴染みないが、高比良くんなりの気遣いだろう。
「ストローはいいかな」
「へー、意外」
い、意外……?
高比良くんの中で私は、一体どんな人間なのか。
今日までの自分のふるまいを思い返しながら、近くのソファに腰を下ろす。
ほどなくして、両手にグラスを持った高比良くんがやってきた。
右手のグラスには麦茶。
左手のグラスには水。
そして水の入ったグラスには、三十センチ程のストローが突き刺さっている。
え、なんですかそれは……。
長い。
長すぎる。
グラスの三倍近い長さだ。
ボケだよね?
ツッコんでいいんだよね?
「なんかあった?」
「い、いや!? なんでもないよ!」
落ち着け……高比良くんがそんな訳のわからないシュールなボケをするはずないじゃん……。
ここは高比良くんの家。多少変わった習慣があっても不思議ではない。
「そ、それよりさ、宿題はあとどれくらい残ってるの?」
「あとは数学と英語のプリントかな」
そう言うと、高比良くんはグラスの水を一気に飲み干した。
「え、それだけ?」
「まあ」
全然終わってないって聞いてたけど、それなら今日中に終わっちゃうな……。
……ん?
「あれ、さっきの長いストローは?」
「ああ、ごめん……あれは、そういうボケで……」
高比良くんがわからない。