22.最悪な一日
暗闇の寝室。
見慣れた天井に血が滲む。
またこの夢だ。
彩人は夢の中で目覚めた。
夢の中で意識を覚醒させるのは難しいらしいが、何十回と同じ夢を見る彩人からすれば、毎回律儀に現実だと誤認するほうがよっぽど無理がある。
彩人はすでにこの夢を見る条件に気づいていた。
二度寝をした時に二、三割の確率で。
睡眠薬を飲んで寝た時に半分以上の確率で。
そして誰かと一緒に寝た時は確実に、鮮明に。
やがて真っ赤に染まった天井が破れ、そこから血が滝のように降り注ぐ。
しかし彩人の心は揺らがない。
今日この夢を見ることは、決まっていたことだから。
天井に開けられた大穴から、縄に吊るされた巨大な牛の頭部だけがぬるりと降りてくる。
そろそろ物語も終盤だ。
うめき声のような不快な重低音が耳元で鳴った。
こればっかりは何度聞いても気味が悪い。
だがここで恐怖に飲まれれば、この夢をエンディングまで見届けることになってしまう。
それだけは避けなくてはならない。
さあ、恐怖のシナリオを台無しにしてやろう。
彩人は満面の笑顔を貼り付けると、自ら牛の頭に口付けをした。
「おはよ……」
「あー彩人くん、やっと起きたんだ!」
顔を洗うために洗面所に入ると、制服に着替えた望愛が鏡の前でめずらしく髪を後ろでまとめていた。
「あーごめん邪魔だよね! 望愛もう出るから!」
「ちょっと待って」
逃げるポニーテールを軽く引き、口直しのためだけに口付けをする。
「昨日は色々ありがとね、いってらっしゃい」
「う、うん……じゃ、いってきます!」
ポニーテールは楽しげに揺れていた。
そういえば次の川澄さんもポニーテールだったな。
川澄さんはいかにも地味で根暗な眼鏡っ子って感じだし、今日は余裕かな。
ゆっくりコーヒーを淹れながら命の時間を指折り数える。
このペースなら今年は冬を迎えなくて済むかもしれない。
彩人の表情は生き生きとしていた。
今日は実に良い日になる予感。
そろそろ俺も家を出るか……。
コーヒーを飲み干して簡単に身支度を済ませると、意気揚々と玄関のドアを開けた。
「彩人くん、おはよ」
そこには、居るはずのない少女の姿。
「す、涼風ちゃん……なんで……?」
「いつもと違う髪型の望愛ちゃんが、彩人くんの家のほうから登校してきたから、やっぱりそうなのかなって」
「やっぱり?」
「昨日、望愛ちゃんが投稿した写真に彩人くんの指が写ってたんだよ」
見せられたのは昨日望愛が撮っていたランチの写真。
よく見ると、たしかに左端で手が見切れている。
嘘だろ……これだけで俺ってわかるのか……!?
「それと彩人くん一人暮らしでしょ? 最初来た時から、下駄箱もないのに靴が全然置いてないのが気になってたんだよね」
別に隠していたわけではないけれど、そんなすぐにバレるとも思っていなかった。
彩人は舐めていた。
乙女達の愛の重さを。
純情を奪った代償を。
「望愛ちゃん髪型だけじゃなくて雰囲気も変わってたよ……なんていうか、綺麗になってた……」
「へ、へえ……そうなんだ……」
どう見ても涼風ちゃんの雰囲気のほうが変わっている。
「私それが悔しくて……だから来ちゃった……」
先ほどの予感、撤回させてほしい。
「お願い、他の子を抱くのは我慢するから……だからその分だけ、私のことも抱いてほしい……」
今日は実に悪い日になりそうだ。




