15.最低が最高
そうだ、これでいい。
誠実である必要なんてない。
そんなものは、能力のない人間がすがりつく免罪符だ。
俺はもっと、最低でいい。
「じゃあ俺、ドリンクバー行ってくるから」
空のグラスを手に立ち上がると、望愛は怯えたように声を震わせた。
「う、うん……わかった……」
すっかりしおらしくなっちゃって、かわいいなぁ。
彩人は何食わぬ顔で部屋を後にすると、上機嫌な軽い足取りで廊下を抜けた。
あとでまた、沢山いじめてやろ。
悪戯な想像を楽しみながら、受付横のドリンクバーまで歩いたところで、不意に背後から声をかけられた。
「あれ、高比良じゃん!」
聞き覚えのない声に振り返ると、同じ制服を着た男が立っている。
「誰?」
「A組の池田だよ! 体育で一緒じゃんか」
言われてみれば、たしかにどこか見覚えのある顔だ。
「なに? A組の人達でカラオケ?」
だとしたら面倒だな……。
「いや、結奈と来てるんだよ。結奈はわかるだろ? クラス一緒なんだから」
結奈……。岡野結奈か!
「岡野さんでしょ? もちろんわかるよ」
昨日調べたばかりだ。忘れるはずもない。
岡野結奈。出席番号は女子の中では三番目。
つまり、望愛の次。
なあ神様、これはやれってことだよな?
「え! もしかして、付き合ってるの!?」
「ああ、実は夏休みの間にな……誰にも言うなよ?」
この時、彩人はすでに岡野結奈と接触する方法を考えていた。
二人が付き合っているという事実すら、必要な情報の一つでしなかった。
グラスも持たずに俺の後ろから来たってことは、今からトイレに行くところか……時間を稼げるなら今でもいいな。
「そうだったんだ。それなら、その飛び出た鼻毛は早くどうにかしたほうがいいね」
「は!? マジで!?」
くだらない嘘ほうが、バレたときのリスクは低い。
「もしトイレに行くなら、ついでに鏡で見てきたら?」
「え? ああ、そうだな。ありがとう」
トイレに向かう池田の後ろ姿を横目で捉えながら、近くの案内図で部屋の配置を暗記する。
気乗りしないけど、神に背中を押されたんだ。しかたない。
信じてもない神に全責任を押し付け、岡野さんのいる部屋を探しに走った。
あっちは全部喫煙ルームだから、たぶんこの辺に……。
あ、いた。
ドアのガラス窓から、スマホをいじるショートヘアの少女が一人。
いきなり入って大丈夫かな?
まあ、大丈夫じゃなくても入るけど。
「お邪魔しまーす」
「え……高比良くん!? なんで!?」
岡野さんは愕然とした表情で固まっている。
「聞いたよ、池田と付き合ってるんだって?」
「急になに!?」
「もうキスはした?」
「そ、そんなの言えないよ……!」
岡野さんが恥ずかしそうに目を逸らした隙に、一気に距離を詰めた。
「せっかくだから、一緒に写真撮ろうよ」
スマホを構えながら隣に座り、腰に手を回して抱き寄せる。
「ちょ、高比良くん……!?」
「ほら、笑って」
「ああ、うん……」
画面越しに引きつった笑みを確認すると、その隣に不敵な笑みを並べてシャッターを切った。
「ちょっ!? なにしてんの!?」
当然の反応だ。
写真を撮る瞬間、いきなり頬にキスされたのだから。
「どう? 結構いい写真じゃない?」
犯行の証拠を誇らしげに見せつける。
「どっ、どういうつもり!?」
怒りか羞恥か定かじゃないが、岡野さんの顔は真っ赤に染まっていた。
「じゃあ俺、もう帰るから」
そろそろ池田が戻って来てもおかしくない時間だ。
「ちょっと待ってよ!」
「一人になったら連絡して。すぐ迎えに行くよ」
困惑した声を背に、部屋を飛び出す。
ははっ、我ながら無茶苦茶だな……。
彩人は、胸の奥が熱く高鳴っているのを感じていた。
積み上げたものが崩れていく、この感覚。
悪くない。
むしろ最高だ。
死を決めたあの日から、明らかに生き方が雑になっている。
もうすでに、彩人の自殺は始まっているのかもしれない。




