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1.高比良彩人

 八月二十四日。

 高比良(たかひら)彩人(あやと)としてこの世に生まれてから、今日で十六年。


 八月二十四日。

 母がそこのベランダから飛び降りてから、今日で十五年。


 八月二十四日。

 父がそこのクローゼットで首を吊ってから、今日で六年。


 母には感謝している。

 母から受け継いだ端正な容姿のおかげで、人間関係で苦労したことは一度もなかった。


 父にも感謝している。

 父から受け継いだ莫大な財産のおかげで、日常生活で苦労したことは一度もなかった。


「母さん、父さん。やっぱり親子だね」


 テーブルの上で無責任な笑みを浮かべる遺影に、彩人はどこか冷めた目で語りかけた。


「俺、死にたいわ」


 きっかけは昨夜の特番だった。


 日本一の将棋名人がコンピュータに負けた。


 だから死にたい。


 地球上で最も賢い存在が人類でなくなる。


 そんな未来を知りたくなかった。


 そんなことで?


 心身が健康な人間は笑うだろう。


 死を望むにはあまりにも馬鹿らしい些細な理由だと。


 しかし、そんな「些細な理由」でさえ、生きる理由と比べれば十分な大きさに思えてしまう。


 彩人の生きる理由は、元々その程度だった。


「でも、親子揃って同じ日に死ぬのは、なんか恥ずかしいよな。もしかして、これが思春期ってやつ?」


 つまらないジョークを咎めるように、遺影の横でスマホが鳴った。


『おはよ! もうすぐ夏休み終わっちゃうね。高比良くんは宿題終わった?』


 メッセージの送り主は、同じクラスの安達(あだち)さん。


 毎日適当にあしらっているのに、なんとも健気な子だ。


 ああ、そうだ。


 どうせ死ぬなら――。


 気まぐれな衝動に駆られ、裸のスマホに手が伸びる。


 どういうわけか、今日の手足はいつもより軽かった。


「………あ、もしもし、安達さん?」


「た、高比良くん!? えっ、な……ど、どうったの!?」


 動揺がそのまま音になったような、ひどくうわずった声をしている。


「宿題が全然終わらなくてさ。ちょうどメッセージが来たから、助けてもらおうかなって」


「そ、そうだったんだ……! 私でよければ、なんでも手伝うよ!」


「本当? じゃあ午後、うちに来てよ」


「うち……? それって、その……どういう……?」


 まるで理解していないようだが、いちいち説明するのも面倒なので、無視して話を進めた。


「今、住所送ったから。着きそうになったら連絡して」


「え……今日!?」


「それじゃ、またね」


「あ、ちょっ――」


 用件はすべて伝えたため、半ば強引に通話を切る。


 もう、こんな時間か。


 画面に映る時刻は十時半。


 マナーモードに切り替えたスマホを近くのソファに放り投げ、指の関節が鳴るまで大きく伸びをした。


 昼食のメニューでも考えながら、シャワーを浴びるとしよう。


 黒のスウェットを脱ぎ捨て、洗面所へ向かう。


 上の棚からバスタオルを取り出そうとしたとき、ふと鏡の自分と目が合った。


 骨格、筋肉、皮――すべてが彫刻のように美しい。


 彩人は、この肉体が自身であるということを、いまだ理解しきれずにいた。


 この完璧ともいえる美しさには、命の気配が欠片もなかった。

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