はなとあくと!3
本格的に演劇部の活動が始まり、実際に演じてみる撫子だが・・・・・・。
紫園が部活に顔を出さない理由とは?
父が他界してから、母は変わった。
小さい頃はたくさん遊んでくれたし、ほぼ毎日料理を作ってくれた。私は和食が好きで、中でも肉じゃがの日はテンションが上った。
3歳から始めたピアノ、正直好きではなかったけど、母が優しく丁寧に教えてくれたし、上手く弾けると褒めてくれた。私にとっては母が一番のモチベーションだった。
大らかで、気配り上手で、笑顔を絶やさない。
そんなお母さんが大好きだった・・・。
中学一年の時、父が亡くなった。還暦も迎えられず、肺ガンであっさり死んでしまった。
葬式の時、私と三個上の兄はたくさん泣いた。いつも冷静な兄が泣くを見るのは、これが最初で最後だったと思う。
でも母だけは泣かなかった。燃やされていく父をじっと見つめていた。
その日から母は変わった。単純に忙しくなったのもあるけど、何故か私に厳しく当たるようになった。
頑張っても褒めてくれないし、一緒にいる時間なんてほとんどなくなった。料理なんてもってのほかだ。
映画を観ている間は父や母のことを考えずに済んだ。そんな時、家同士で交流のあった、頭のおかしい先輩にその話をしたら、「高等部に行ったら演劇部を作るから入らないか」と誘われた。断る理由はなかった。
中三の冬、勇気を出して母に演劇部に入ることを伝えた。するとため息を吐きながらこう返された。
『あなたは良いわね、そんなおままごとをしている暇があるんだから。』
その時からまともに会話をした記憶がない。挨拶すらしなくなった。
それでもピアノは続けた。母に決められたルールだからじゃなく、自分の意志で続けたんだ。
いつか認めてくれると信じて。
◇ ◇ ◇ ◇
入学して一週間が経ち、いよいよ本格的に部活動が始まった。
夢にまで見た学校、憧れの舞台、美しい先輩方。輝かしい青春ストーリーがスタートした!
・・・はずだった。
「うん! めっちゃくっちゃ下手くそだね!」
「ちょっとまよいちゃん!」
分かっていた。素人も素人の自分が最初から演技ができる訳がない。
でももうちょっと優しく言ってくれてもいいと思う・・・。
「いやいやいやいや、これは伸び代だよ、無限の成長。インフィニティガールだよ! 」
「やめてください・・・分かってたんです・・・でもなんとなく少しはできるって思ってたんです・・・」
「演劇舐めすぎ。」
「ひぇええん、ずみばぜえええん!」
情け容赦のない向日葵に代わって、鹿子が優しく声をかける。
「今までにそういう発表とかしたことはあるの?」
「・・・幼稚園の劇で土の役を・・・」
「・・・な、なら初めての挑戦ね! 一緒に頑張りましょ!」
(あぁ・・・なんだ天使か・・・・・・)
全員が頭を抱えている。そもそも編入自体珍しい学校で未経験者は更に希少らしい。
そんな微妙な空気を打ち破ったのは待宵だった。
「実際問題、次の交流会には間に合いそうにないね。今回も全員セリフ多めだし、内容的にも撫子には厳しいかもなぁ・・・」
「そうですね~、一月半の稽古期間では余程才能がないと無理でしょうね。撫子、今回はうちと一緒に裏方に回るってことでもいいかな?」
「わ、わかりました・・・」
正直とってもとっても悲しいけど、仕方ない。先輩方に迷惑はかけたくないし・・・。
「よし、撫子にはまず基礎から教えていこう。声出し、滑舌、体の使い方、台本読み。覚えることはいっぱいあるよ。そうだな~じゃあ私が直々に・・・」
「「「だめです」」」
「・・・皆して否定しなくても良くない?」
「まよいさんが指導したら来月には撫子転校してますよ、良くて退部ですね。」
どんな事されるんだろう・・・。
「えーじゃあ同じ一年生の、なーにやってもらおっか」
「え!? 私ですか・・・?」
突然の指名にあたふたする薺。
「もうそこ仲良さそうだし、先輩に教わるよりリラックスできていいじゃーん」
「無理ですよぉ・・・私そんな上手くないし・・・」
「なら技術的な部分は薺ちゃんが、知識面や薺ちゃんが上手く伝えられない所を向日葵ちゃんがサポートするっていうのはどうかしら?」
鹿子の助け舟に、満場一致で賛成の声。
(薺ちゃんなら優しく教えてくれそうだし良かった・・・向日葵先輩はちょっと怖いけど・・・)
「なら決まりね。薺ちゃん、向日葵ちゃん、よろしくね」
「はーい。」
「はい!」
「撫子ちゃんも頑張って! 目標は秋の文化祭ね! 」
「が、頑張ります・・・!」
いいスタート・・・とはいかなかったけれど、なんとかやっていけそうな気がする。早く皆追いつくんだ。
「それではまず声の出し方からやっていきましょう・・・!」
「は、はい・・・!」
「二人共力入りすぎね、薺が緊張してどうすんのよ」
「だってぇ・・・ううん頑張る・・・!」
「よろしくお願いします、先生!」
最初に教えてもらったのは、基礎中の基礎。
舞台で演技をするにあたって必要不可欠な技術、いわゆる”腹式呼吸”というやつだ。
「胸式呼吸との違いは、わかりやすく言うなら、『肺』を使うか『腹』を使うかだね。」
「きょうしき・・・?」
「普段皆がやってる呼吸のことだね、肺の周りの筋肉を使って呼吸してるんだよ。普通に呼吸してみて。」
「すー・・・すー・・・」
「吸った時胸が膨らんで、吐いた時萎むでしょ?これが胸式呼吸。」
「なるほど!」
いつの間にか向日葵が説明役になっていたが、わかりやすくて本当にありがたい。
「じゃあ次はお腹を膨らませるイメージで息を吸ってみよう。お腹に手を当てて」
「お腹・・・すー・・・」
「はいストップ!」
「んぶ!」
「今お腹が膨らんでるのがわかるでしょ?次はそれをそのまま口から抜くように、風船みたいな感じで出してみよう。」
「ふぅー・・・・・・・」
「いいねいいね、それが腹式呼吸。」
「できてましたか?」
「できてたできてた。もう一回、今度は背中の方にも空気を貯めるイメージでやってみよう」
その後何度か呼吸を繰り返し、秒数を決めてブレスを繰り返す、ちょっとしたトレーニングも教えてもらった。
(すんなりできてしまった、意外と簡単かも・・・!)
「余裕じゃんって思ってるでしょ」
「え!? いや・・・そんなことは・・・」
「やるだけなら皆出来るんだけどね、これを舞台で演技しながらやるのが難しいんだよね。」
「た、確かに・・・」
「慣れてる人は自然にやってることだからとにかく癖をつけていくしかない。普段から気づいた時にやってみてね」
「分かりました!」
呼吸一つとっても全く別世界の話。新しい挑戦に不安はあるが、それと同じくらいワクワクしている撫子だった。
「薺ちゃん?」
「・・・・・・」
せっかく先生役を引き受けてくれたのにほったらかしにしてしまったと思い、薺に声をかけようとしたが、当の彼女はうっとり顔でぼーっとしている。
視線の先には、熱心に説明していた向日葵が座っている。
「薺ちゃーん!」
「わ! な、なに撫子ちゃん?」
「ぼーっとしてたけど、大丈夫?」
「う、うん大丈夫! 呼吸法覚えられた?」
「うん! 向日葵先輩の説明がめっちゃわかりやすくて、ほら! すぅ~・・・はぁ~・・・」
「あはは、できてるできてる!」
拍手をしながら褒めてくれる薺。なんていい子なんだ。
しかしあの表情は何だったんだろう・・・。
「そういえば薺ちゃん、交流会ってなに?」
「説明してなかったね、えっとね、5月末と9月の初めに他校の演劇部と見せあいっ子するの。」
「へ~。なんでその時期なの?」
「なんの行事もなくて暇だかららしいよ~、去年から部長がコネを使って始めたんだってー」
あの人は色々外れてるけど、やり手なんだなぁ・・・。
「演目は決まってるんだよね?何やるのー?」
「近江屋事件だよ!」
「近江屋って・・・坂本竜馬?」
「そう! 交流会の演目はお題が決まってて、そのカテゴリにハマるものを選ぶんだけど、今回のお題は『伝記』だったの」
「ふむふむ! え、でもあの中で女性ってほぼ出て来ないよね?」
「うん、だから部長が撫子ちゃんには早いかもーって言ってたんだと思う。時代劇で口調も違うし殺陣もあるから」
「そういうことだったんだね~」
確かにいきなり時代劇は確かにハードルが高い。
「竜馬さんは誰がやるの?薺ちゃん?」
「ううん。部長だよ」
「うわ、めっちゃ合いそう」
「そんな褒めても何も出んぜよ~!」
「うわ!」
こっそり話を聞いていた待宵が、ノリノリの土佐弁で話しかけてきた。
「日の本を今一度お洗濯しちゃうぜよ~!」
「・・・今回の脚本はかのママが書いてくれるんだって~、安心安心」
「ひー?まるで前回はやばかったみたいな言い方ぜよ?」
「交流会までに絶対キャラ固めてくださいよ、ぜよって言えばいいわけじゃないですからね! 」
「わかったぜよ、ぜよだぜよ」
前から思っていたが、待宵と向日葵は仲がいい。
女同士の上下関係の難しさは、中学の時も感じていたし、お嬢様学校なら尚更ギスギスした関係になってしまうのではないかと思っていた。でもこの部活は、その悪い予想を裏切ってくれた。
同い年の薺がいるからというのもあるだろうが、ここは居心地が良い・・・。
それにしても一つ引っかかる事がある。
「紫園先輩は今日もいらっしゃらないんですかね」
紫園は、入部初日に会ってから今日まで一度も部に顔を出していない。
撫子が演劇部に入った理由でもあるし、皆がその事について何も言わないのがずっと引っかかっていた。
「そうだな~じゃあ見に行ってみるか」
「え?・・・見に行くってどこにですか?」
「クックック・・・ついてきたまえ」
なんにせよ紫園に会えるなら嬉しい。
期待と不安を抱きながら部室をあとにした。
◇ ◇ ◇ ◇
部室を出た後、二年の校舎へ向かった。
校舎間を移動するには渡り廊下を通る必要がある。これは一階と三階にあるため、一度階段を降りなければならず、面倒な作りになっている。
二階にある紫園のクラス、2-Aに行くのかと思いきや、階段を登っていく待宵。
「到着!」
「ここって・・・音楽室・・・?」
各学年の校舎には、その学年専用の科目教室が存在する。音楽室、美術室、技術室、化学室、そして情報室、そして和室だ。和室は書道で使うらしい。撫子は音楽選択なので入ったことはない。
音楽室を覗くと、グランドピアノの前に座る紫園らしき後ろ姿が見えた。その隣にも人影、教師だろうか・・・?
「ピアノ・・・ですか?」
「そう、親に決められたルールでね。放課後一時間はピアノの練習って決まってるんだよ。」
「ええ!? そんな・・・大変ですね・・・」
「お母さんが厳しい人なんだと。うちの部はそういう金持ちらしい決まりごとがある子って、あんまりいないんだけどさ、学校全体で言えば、そういう子多いよ。それに今みたいなコンクール前は、練習漬けで部活に顔出せないなんてざらよ」
「そうなんですね・・・・・・でも・・・」
紫園の事はまだ殆ど知らない。出会って一週間もしていないし、なんならその間一度も会っていない。
普通それだけ何事も無ければ興味も薄れる所だが、撫子の気持ちはむしろあの日よりも昂ぶっていた。
「かっこいい・・・」
「え?」
「あ、えっと・・・縛りがある中であんな素敵な演技をして、皆の前では辛そうなとこも見せないじゃないですか。そんなの私にはできないですもん、かっこいいなぁって・・・」
「・・・・・・やっぱりね」
「やっぱり?」
「そうだろ~かっこいいだろ~!」
「えっと・・・はい・・・とってもかっこいいです・・・」
「いやぁ~気分もいいし今日はぼくちんが指導しちゃるぜよ~!」
と、自分のことのように嬉しがる待宵。
待宵にはああ言ったが、ただただピアノを弾く紫園が美しかったというのもある。
「あ、でも見に来た事、しーには内緒ね」
「え、なんでですか?」
「あいつ演奏してるとこ見られるの好きじゃなくってさ~、私もコンクール以外では見させてもらったことないんだよね」
「なるほど・・・」
部室への帰り道、昔のことを思い出していた。
あの時間がまた過ごせたらなぁ・・・。
なんて妄想はすぐに拭い去った。
勝手に期待を押し付けてしまう自分が、私は嫌いだ。
◇ ◇ ◇ ◇
すこし説明しすぎな回でした。親との付き合い方って人それぞれですけど、どうせ変えられないなら仲良くしたいと思ったり。次回は箸休め回です。