公爵様は実は腹黒でした
私は公爵様の表情を見て呆然とした声を出す。
公爵様の豹変ぶりに驚いていたからだ。
さっきまでの優しそうな笑顔から一転、表情は無表情になり、感情を感じさせない冷たい目で私を見つめていた。
「ですから、貴方のことを愛することはない、と言ったんです。これから何があろうと、ね」
「あの……」
「その様子、やはり知らなかったようですね」
「えっと……」
「病弱だったようなのでそれも仕方ないでしょう」
私が公爵様の豹変具合に困惑していると公爵様は私に説明し始めた。
「社交界において婚約者は重要なものです。婚約者の有無で他の貴族からの対応すら変わってくるほどに」
「そうなんですね……」
「そうです。ですから私も公爵家を継いだ今、早急に婚約者が必要なわけですが、公爵ともなればその地位に擦り寄って来る者が多く、そのため公爵の妻となる婚約者となれば慎重に選ばなければなりません。加えて私はこの容姿もありますので」
「はぁ……」
私は相槌を打つ。
確かに公爵様の容姿なら地位を抜きにしても多くの女性が婚約を結びたいと願うだろう。
「とにかく、公爵の婚約者は慎重に選ばなければならない。そのため、我が公爵家にはとある伝統ができました」
「それは、どんな伝統なのですか?」
「本当の婚約者が見つかるまでの猶予期間として、別の女性と婚約破棄前提で婚約する、という伝統です」
「まさか……」
公爵様は「もう分かりましたね?」とニッコリと笑う。
「そうです。あなたはその婚約破棄前提の婚約者ということです。ですので、この婚約は数年以内には破棄するつもりです。あぁ、もう婚約を無かったことにしようとしても無駄ですからね。もう婚約は成立しましたので。それとこの話は他言無用です。この婚約契約書にも他言は禁止と書いてありますから」
公爵様はヒラヒラと今私が婚約した紙を振る。
どうやら最初から契約した後に真実を話すつもりだったようだ。もし私以外の誰かが何も考えずこの契約書にサインしてしまったら相当ショックを受けることだろう。
「もちろん社交界など必要な時には婚約者としてちゃんと振る舞ってもらいます。それも契約内容に含まれていますので」
どうやらこの婚約の実態を聞いてから雑に振る舞ったりしないように対策もされているらしい。本当に準備万端だ。
「あの、公爵様」
言葉を被せるのは悪いことだと分かっていたが何か勘違いをされてそうだったので、私は公爵様の話に割り込んだ。
「何でしょう」
「えっと……私、知っています」
「え?」
一瞬、時が止まった気がした。
「ですから、この婚約がすぐに破棄されることは知っていました」
「……」
公爵様は私の言葉にピキリ、と固まっていた。
気まずい沈黙が私と公爵様の間に流れる。
そしてしばらく経ってからようやく公爵様は動き出した。
「どうして……」
「昨日、妹から聞きました。公爵様と一番最初に婚約した女性は必ずその後に婚約破棄される、と」
「違います。そうではありません。それならなぜ私との婚約を引き受けたんですか」
公爵様は平静を取り戻し私に質問してくる。
「えっと、それは……」
実家を出て自由になりたかったから、と言おうか私は迷っていた。
でも父からは絶対に私の扱いを外に話すな、と言われたし、それに私の家での扱いを聞いたら公爵様が婚約者として不適格と考えて、今すぐに婚約破棄されるかもしれない。
私は実家では貴族としてでは無く使用人として扱われてきた。
格式と伝統を重んじる公爵様がそんなことを聞いたら私みたいなのとはすぐに婚約破棄したくなるだろう。
「……」
公爵様の私を見る目が少し訝しげになってきた。
早く理由を言わないと。
必死に考えていると、私は思いついた。
「ホ、ホラ、公爵様と私が婚約すれば伯爵家の借金をなくしてくれる、という話でしたので!」
そう言えば最初は伯爵家の借金を無くす代わりに私を婚約者にしたいという話だったはずだ。
必死に捻り出したにしては説得力がある理由だろう。
しかし公爵様の目はいまだに私を疑っていた。
私は必死に言い訳を始める。
「婚約破棄されても一向に構いません! それどころか逆に嬉しいくらいです!」
だから婚約を無かったことにしないでください! という目で見ていると「これではどちらが婚約を申し込んだのか分かりませんね」と公爵様はため息をついた。
「……では、そういうことにしておきましょう」
「よかった……」
私は安心する。
ここで婚約が無かったことになったら私の自由になるという計画がなくなってしまう。
「とにかく、私は貴方を愛することはありません。当然基本貴方とは会いませんし、婚約者として接することもありません」
「そうなんですね……」
「……何故安心しているのですか」
基本私と会うことはない、と聞いてホッと安心していた私に公爵様は訝しげに眉を顰めた。
「いえ、もっと酷い扱いをされると思っていたので、基本接することはないと聞いて安心したと言いますか……」
「……私が貴方に無体を働くと?」
公爵様は私の言葉に低い声で質問してきた。
「はい。もっと洗濯をさせられたり、料理を運ばされたりするのかと」
私がそう答えると公爵様は力が抜けたようにため息をついた。
何かおかしなことを言っただろうか。
「……そんなことはしません。たとえ婚約破棄前提だったとしても不当な扱いをするつもりはありません」
「それは良かったです」
公爵様は咳払いをして切り替えた。
「んんっ……それでは説明をさせていただきます。まずはあなたの部屋ですが、空き部屋を掃除させておきましたのでそこを使ってください。荷物の運び込ませて……とそう言えば、貴方は荷物が無かったんでしたよね」
「はい、私の荷物はこれくらいで……」
私は今着ている赤いドレスとペンダントに目を向ける。
「……言っておきますが、公爵家の金を目当てにしているようならそれは無駄ですよ。無駄遣いはさせないように見張をつけておきますので」
どうやら勘違いをされているらしい。
私が荷物を持って来なかったのは公爵家の金で豪遊しようと考えていると思われているようだ。
「ち、違います! 何なら私は平民の服でも構いませんので! 装飾品もいらないです!」
屋敷では平民の服よりもボロボロのものを着せられていたのだ。逆に私にとっては平民の服の方が上等だ。
「いえ、そこまでは言っていないのですが……まぁでも装飾品が要らないというのは同意できます。貴方の髪に勝る装飾品なんてそうそう無いでしょう」
「……」
私は固まった。
公爵様も自分がどんなことを言ったのか理解したのか、苦い表情になった後咳払いをして仕切り直した。
「んんっ。とにかく、話を戻しましょう。服については無駄遣いは認めませんが、最低限の服は買いますし、装飾品も同様です。夜会のドレスなどは必要に応じて購入します。それでいいですね」
「私は別に平民の服でも……」
「いいですね」
「はい……」
有無を言わさない圧力により、私は頷かざるを得なかった。
笑顔なのに圧力をかけれるなんて、やはり公爵の座についているだけあると言うべきだろうか。
「では次に部屋について説明させていただきます。部屋は屋敷の中の空いている部屋を使ってもらいます。掃除は予め使用人にさせてますので、もう使えるかと思います」
「あ、ありがとうございます……」
まさかこの屋敷の中で部屋を与えてもらえるとは。
実家のようなボロ小屋を与えらることはないと分かっていたけど、改めて屋敷の中に部屋を貰えるというのは嬉しいものだった。
「それと食事についてですが食事は別々にとりましょう。別に本当の婚約者ではないので」
「はい、分かりました」
「そして婚約者としての振る舞いを心がけてください。この屋敷に男性を連れ込んだりすることは禁止させていただきます」
「それは大丈夫です」
男性を連れ込む、というところの意味が分からなかったけど、要は婚約者として節度のある振る舞いをしろ、ということだろう。
そんなことをするつもりは全く無い。
「その公爵様、という呼び方についてですが、人前ではノエル、と呼ぶようにしてください。いずれ社交界に出ることになると思いますがその時に公爵様、と呼んでいては婚約者らしくないので」
「わ、分かりました。公爵様……」
「それでは部屋に案内します。メイドについて行ってください」
私は公爵様の書斎を出る。
すると扉の前には一人のメイドが立っていた。
黒色の長髪で、瞳は私を睨むように吊りあがっていた。
(怒らせたら怖そうだなぁ……)
私はボンヤリとそんな感想を抱いた。
「メイドのアンナです」
「初めまして、公爵様の婚約者となったリナリアと申します。よろしくお願いします」
私はアンナに挨拶をする。
するとアンナが眉を顰めた気がしたのだが、気のせいだろうか。
しかしアンナをもう一度見た時には真顔だったのでやはり気のせいだったのだろう。
「こちらです」
私はメイドに従って歩いていく。
歩いている時間はかなり長く、屋敷の端まで来てしまった。
まあ公爵家の屋敷だ。空いている部屋が恐らく屋敷の端の方にしか残っていなかったのだろう。
「ここがリナリア様のお部屋です」
「ありがとうございます。ここで大丈夫ですので」
「また何かありましたらお呼びください」
アンナはお辞儀をして去っていく。
私は自分の部屋の扉を開けた。
しかし──。
「あれ?」
公爵様から掃除されている、と聞かされていた部屋は埃まみれで、全く掃除がされていなかった。