リナリアからの手紙
「くっ……! リナリアからの返事はまだ来ないのか!」
リナリアの父、ドニールは書斎で仕事をしながら悪態をついていた。
先日リナリアに向けて出した手紙の返事がまだ返ってこないのだ。
カルシール男爵に借りていた借金の返済期限はもう目の前まで迫っており、今すぐにでもリナリアに帰ってきて欲しい。
「お父様!」
突然ローラが書斎へと入ってきた。
そしてドニールに対してまだリナリアからの返事が来ないのかと怒り始めた。
「何でリナリアは帰って来ないのよ! 私がノエル様の婚約者になるはずなのに!」
「あ、ああ……もう少しだからローラ」
ドニールはローラを宥め、落ち着かせようとした。
しかしローラは癇癪を起こし、ドニールを責める。
「ちゃんとしてよお父様! 私があの変態男爵に娶られるのよ!? 本当に手紙はリナリアのところへ送ってるの! もしかしたら間違えて手紙を送って──」
「黙っていろ! すぐに返事は返ってくる!」
そのローラの態度に苛立ったドニールはついローラを怒鳴りつけてしまった。
ドニールに怒鳴られたローラが身を竦める。
「なっ、何よその言い方……」
「す、すまないローラ! 少し気が立っていてな……」
今までドニールに叱られたことすらなかったローラはひどく傷ついたような顔になった。
その表情を見ていたドニールは我にかえり、すぐにローラを慰める。
ドニールはリナリアから手紙が返ってきていないことに苛立っていた。
リナリアに返事を待たされているという事実が、これ以上なくドニールの心を荒らしていた。
しかしこの時点で、ドニールはまだリナリアから返事が返ってくると確信していた。
「もう知らないわ!」
ローラは涙を流して部屋から出ていった。
「はぁ……」
ドニールは恐らくこれから部屋に戻ってベッドの中で泣くローラのことを想像し、ため息をついた。
カルシール男爵が来てからというもの、ローラは情緒不安定になった。
あんな得体の知れない老人に下卑た目を向けられ、あまつさえ娶られようとしているのだ。情緒が不安定になるのも仕方がないだろう。
それなのにドニールは理不尽にローラに当たってしまった。
(私は最低の父親だ……)
ドニールは自己嫌悪に陥る。
ドニールがイライラしている原因は他にも合った。
単純に仕事量が多すぎるのだ。
(リナリアはこの量の仕事を一人でこなしていたというのか……! いや、あり得ない! あの娘が私よりも優れているなど……!)
リナリアの仕事を手伝う人間など存在しなかった。
使用人は全員リナリアのことを見捨てているし、それにリナリア自身誰かを雇うお金も持っていない。
そのため確実にリナリアはこの仕事量を一人でこなしていたはずなのだが、ドニールはそれを認めることができなかった。
いや、認めたくなかったのだ。
自分が見下して来た人間が本当は自分より優れていたなどとは考えたくなかった。
ドニールはしばらく仕事をつづけたが、一向に仕事は終わらなかった。
全く終わりの見えない仕事に嫌気が刺したドニールは椅子から立ち上がる。
「よし、もう仕事は終わりにしよう。部屋に戻って今日は休もう……」
まだ積み上げられている仕事から目を背け、ドニールは自室へと戻る。
自室の扉を開けると妻であるカトリーヌが椅子に座っていた。
「カトリーヌ……」
「……」
ドニールは妻の名前を呼ぶものの、カトリーヌはドニールの顔も見ようとはしなかった。
最近、ドニールはカトリーヌともうまく行ってなかった。
カルシール男爵がマリヤック家の屋敷に来て以降、カトリーヌがドニールにとある疑念を抱くようになったのだ。
「カトリーヌ、何度も言うが、私はローラを売り飛ばすつもりなどない。あれは勝手にカルシール男爵が言い出したことなのだ」
「……どうだか。リナリアも売り飛ばしたじゃない。本当は自分の娘を何とも思ってないんでしょう?」
カトリーヌは疑いのこもった目を向けられ、ドニールは激昂した。
「なっ!? 私のことを疑っているのか!?」
「だって、ローラを怒鳴りつけたのでしょう? ローラから聞いたわよ」
「そ、それは……! ついカッとなっただけで本心では……」
「それも疑わしいわ」
カトリーヌはドニールに冷たい目を向けると部屋から出ていく。
部屋にはドニールだけか残された。
「くそっ! どうしてこう上手くいかないんだ!」
ドニールは椅子を怒りに任せて倒す。
だが、そんなことをしても一向に気は晴れなかった。
そして数日経った頃。
ドニールは仕事に忙殺されていた。
一日では捌ききれなかった仕事がどんどん積み上げられ、もう一人では仕事を終わらせることができないのが目に見えていた。
こうなってくると、ドニールはもうリナリアの優秀さを認めるしかなかった。
「まさか本当にリナリアは優秀だったと言うのか……!」
いや、優秀どころの話ではない。
この量を一人でこなして、加えて使用人として屋敷の仕事までしていたのだから明らかにリナリアは手放してはならない人間だったのだ。
「公爵の元に婚約者としてやったのは間違いだったか……!」
「え?」
声の方向を振り向くと、そこにはローラとカトリーヌが立っていた。
「そんな……お父様、本当に私を見捨てるつもりなの!?」
「あなた、やっぱり……!」
ローラは悲壮な目で、カトリーヌは怒りのこもった目でドニールを見る。
今の自分の発言を思い出し、カトリーヌとローラがどんな勘違いをしたのか理解した。
「ちっ、違う! 誤解だ! 今のは仕事が優秀だと言う話なだけで……」
ドニールは急いで誤解を解こうとするが、完全に誤解したカトリーヌはドニールをキツく睨みつける。
「もう言い訳はごめんです! 私はしっかりと今この耳で聞きました! あの忌々しい娘の方がいいと!」
「それは仕事が大変で……ついそう言ってしまっただけで別にお前たちを蔑ろにつるつもりは全く……」
「嘘よ! 本当は私のことが忌々しいんでしょう! 所詮私は後妻ですもの!」
「私はお前たちを愛している! なぜそのことが分からないんだ!」
言い合いはヒートアップしていく。
その時だった。
扉がノックされ、使用人が中に入ってきた。
「失礼します。旦那様、ネイジュ公爵様からお手紙が届きました」
「お、おお! 分かった! 感謝するぞ!」
いつもは邪魔なことしか言わない使用人だが、このタイミングで手紙を持ってきてくれたのは本当に助かった。
ドニールは心の中で感謝の念すら抱きながら手紙を受け取る。
「よ、よし! この手紙を見よう! ここにきっとリナリアからの返事が書いているはずだ!」
ドニールはわざと明るく振る舞い、手紙を開ける。
カトリーヌとローラもその手紙の内容は気になるのか、一旦不満は心にしまって一緒に手紙を覗き込んだ。
きっとリナリアはローラを代わりの婚約者とするという提案に頷くはずだ。だってリナリアが今まで逆らったことはないのだから。
ドニールはそう考えていた。
しかし。
──親愛なるお父様へ。
私はノエル様の婚約者であり、ノエル様も婚約者を変えるということは微塵も考えていません。
私はノエル様と結婚します。もうマリヤック家のお屋敷には帰りません。
今まで育ててくれてありがとうございました。
あなたの娘のリナリアより。
手紙にはそう書かれていた。
「な……な……」
ドニールは口を開けて放心していた。
「何よ、これ……」
「まさか、あの娘が逆らうなんて……」
ローラとカトリーヌも手紙に書かれていた内容に驚愕していた。
「ふざけるな! 何だこれは!」
ドニールは激怒した。
万が一にもリナリアが自分に逆らうとは思っていなかったからだ。
絶対にマリヤック家に戻ってくると確信していたのに、このままでは本当にローラをカルシール男爵の元へと嫁がせなければならなくなる。
今まで仕事をして来れたのもリナリアが戻ってくればリナリアに全ての仕事を押し付けられると思っていたからだ。
「リナリアの分際で私に逆らいおって! 何様のつもりだ!」
ドニールは手紙を破り捨てた。
「ふざけおって……! このままでは済まさん! ネイジュ公爵家の屋敷に乗り込んでリナリアを連れて帰るぞ!」
ドニールのその姿を見て、今までドニールのことを疑っていたカトリーヌとローラはドニールのことを完全に信用しなおした。
「そうね……!」
「私たちも協力するわ! あなた!」
こうしてマリヤック家はリナリアという共通の敵を得て、もう一度団結した。
マリヤック家は着実に崩壊へと向かっているとは知らずに。




