回想と始まり
母が死んだ。
私が十歳の頃、母は重い病に罹ってしまい、そのまま亡くなってしまった。
私は泣いた。何日も泣いた。
母が大好きだった私は最愛の家族を亡くした辛さに耐えられなかった。
そして母が亡くなった翌日、父から「新しい家族が増える」と言われた。
父には愛人がいたらしい。しかもその愛人には子供もいるようだ。
そして新しく妹ができると説明された。
年は十歳。私と同じだ。
この愛人とその子供のことは私は知らなかったし、母も知らないはずだったので、つまり私が生まれた時に父は浮気していたということになるのだが、当時の私はそんなことは気にならなかった。
逆に嬉しかったくらいだ。
二人の名前はカトリーヌとローラ、という名前らしい。
新しい母と妹ができるということは、この私の孤独を埋めてくれるかもしれない。
母を亡くした悲しみを紛らわせるかもしれない、と思ったからだ。
でも、違った。
パシン! と乾いた音が響く。
異母妹であるローラが私の頬を叩いた音だ。
「あんたがいたせいで今まで私たちがこの屋敷に住めなかったのよ!」
「え……」
出会い頭に頬を叩かれた私は呆然とする。
「私たちの不幸はすべてあなたのせいよ!」
「そうよ! あんたなんか生まれなければよかったのよ!」
カトリーヌとローラは私に罵声を浴びせた。
私は困惑して父を見る。
きっと助けてくれると思ったからだ。
しかしその予想は裏切られた。
「ふん、全くもってその通りだ。お前なんか産まれなければよかったんだ」
「……え?」
そうして、父は私に話し始めた。
父には母と結婚する前、それも婚約する前から愛する人がいたらしい。
しかしこの結婚は家同士の政略的なもので、絶対に回避することは出来なかった。
父はその愛する人との結婚を血の滲むような苦悩の末、辞めたそうだ。
最初は結婚すればすぐに妾としてカトリーヌを迎え入れるつもりだった。
だが相手側の家がそれは認めない、と言っていきて、加えて「妾を迎え入れたらこの結婚は破棄させてもらう」とまで言われたそうだ。
この結婚が破棄されればこの家の立場が危うくなってしまう。父はまたこれを断念しなければならなかった。
そうして妾として迎え入れることができた時には十年も経ってしまっていた。
だから父は母と私を恨んでいた。
ずっと愛するものと引き離され続けた恨みを。
父はその日から、私を『娘』としては扱わなくなった。
代わりにローラを新しい娘として溺愛するようになった。
今まではずっと隠れて接しなければならなくなった分、父はローラを心の行くまで甘やかした。
もっとも今までお金は潤沢に渡していたのでそこらの平民よりはよっぽど裕福な暮らしをしていたみたいだが。
父がカトリーヌとローラに向ける笑顔は本当に幸せそうな笑顔だった。
それを見て私は父の今までの愛は全て偽物だったのだと理解した。
母と私に「愛している」と言って見せてくれたあの笑顔の裏で、父はずっと憎悪を滾らせていたのだ。
私はずっと父を愛していたから、ショックだった。
そしてローラは今までの仕返しとばかりに私を虐め始めた。
まずは私が持っていた衣服は全てローラのものになった。まだ子供でサイズがあっていたからドレスも普段着も全て取られてしまった。
父は何も言わなかった。
この時私は母の形見であるペンダントをローラに取られないように隠した。
次に私の持っていたアクセサリーや宝石が取られた。流石に子供だから少なかったけど、根こそぎ持って行かれた。
父は何も言わなかった。
最後に、ローラは私から部屋を奪って行った。「私が本当の娘なんだから私がリナリアの部屋に移るべきよ」とローラは言った。
父は私にボロボロの離れをあてがった。
最初の頃は私の処遇に対して抗議をする使用人が多かった。
しかし皆解雇され、路頭に迷うこととなった。
使用人というものはその屋敷を辞める場合、仕事ぶりを担保する意味を込めて雇い主から推薦状が渡される決まりとなっている。
逆に言えばその推薦状がなければ貴族の使用人としてはもう働けないということだ。
しかし父は抗議した使用人にはその推薦状を渡さなかった。
彼らは皆仕事がなくなり、安月給の職に就くしか選択肢が無くなったらしい。
そのため、屋敷に私の待遇を改善するように訴える使用人はいなくなった。
それどころか私に関わるとどうなるか分からない、と誰も私をいないものとして扱うようになった。私に近づくと父からどんな処罰を下されるか分かったものではないから、彼らの気持ちもよく分かる。
そして屋敷の中には私の味方はいなくなった。
でも時々ローラのために呼ばれる家庭教師が私の境遇を見て手助けをしてくれたりしたけれど、それもすぐに解雇された。
徐々に食事の量も減らされるようになった。
一日三食が二食に、そして一食に。
それでも毎日パンだけは届けられるのは、父の最後の私に対する情けだと考えている。
食事も少なくなると同時に私は使用人のような仕事をさせられるようになった。
掃除に洗濯、そして父の書類の整理と仕事。
この家では私は完全に使用人になった。
屋敷のありとあらゆる仕事に加えて、ローラとカトリーヌの嫌がらせを受けながら私は七年間過ごしてきた。
「夢……」
目が覚めた私は起き上がる。
どうやら昔の夢を見ていたようだ。
窓を見るとすでに陽が昇り始めていた。
「あっ! もうこんな時間!?」
私は飛び起きて屋敷へと向かう。
私の屋敷での雑用は早朝から始まるので、私はいつも日が昇る前から起きている。
つまり今はもう遅刻寸前だ。
父もローラもカトリーヌも起きてはいないだろうが、使用人経由で彼らの耳に入るとまた食事が抜きになってしまう。
ただでさえ食事の量が少ないのに食事抜きは流石にしんどい。
急いで目元を拭って準備をすると小屋を出る。
「おはようございます!」
屋敷に走って辿り着くと使用人の人達に挨拶をする。
もちろん返事が返ってくることはないが、人として挨拶は大事だ。
モップとバケツ、雑巾を持って屋敷の中を隅々まで掃除していく。
使用人が掃除しているので基本は綺麗なのだが、私が掃除をしている、ということが重要なのだ。
そして掃除が終わると今度は父とカトリーヌとローラが起きてくるので、彼らの朝食を給仕する。
あまりにも朝食が美味しそうで、毎朝お腹がなるのを我慢するのが大変だ。
加えてこの朝食からローラとカトリーヌの嫌がらせも始まる。
「ちょっと! 何スプーンを落としてるの! 私に嫌がらせしてるの!」
「リナリア! スープが冷めてるわよ! 新しいのを持ってきなさい!」
「申し訳ありません! ただ今!」
こんな風にワザとスプーンを落としたり、スープが冷めてると文句を言ったりと毎日同じような事を言っては私が平謝りするのを見て、カトリーヌとローラは優越感に浸る。
朝食が終わると今度は洗濯の時間だ。
三人のベッドのシーツや服を手洗いして干すのを一人でこなすのはかなりの重労働だったりする。
この生活になる前は平民がこんなに大変なことをしてるとは知らなかったので、平民は本当に凄いと思う。
本当はここに私のベッドの継ぎ接ぎシーツもどきを洗濯して干したいのだが、一度やったら三日間食事が無くなるのと、ローラに頬を打たれたので二度とやらないと誓った。
そしてこの洗濯が終わると次は三人の昼食の用意と給仕がある。
そのため屋敷に戻ったのだが──。
「嫌よ! 絶対に私は婚約なんてしたりしないわ!」
ローラの叫ぶ声が聞こえてきた。