虐げられるリナリア
ガシャン、と音が鳴を立てて床に落ちた皿が砕け散った。
スープと皿の破片が床に散らばる。
「ちょっとリナリア! あんた何してんのよ!」
私の異母妹であるローラが近くにいた私を責め立てる。
しかしその皿と私は五メートルほど離れており、落とすことなどできるはずが無い。加えて皿の一番近くにいるのはローラだけだ。
もちろん、皿をテーブルから落とした犯人はローラしかいない。
その証拠にローラはニヤニヤと私を見て意地悪な笑顔を浮かべている。
しかし、この家の中での私の身分では言い返すことはできない。
「も、申し訳ありません……!」
私は給仕する手を止めてローラに頭を下げた。
「全く、給仕すらまともにできないのか……」
「本当よ。鈍臭くて、ノロマで。おまけに見た目まで醜いなんて」
父であるドニールと義母のカトリーヌが私に失望したようにため息をついた。
義母の言葉を聞いてローラはケラケラと笑う。
「それにリナリア、こんな使用人以下の服しか着てないなんて、身嗜みを整えることすらできないの?」
確かに私が着ている服は平民と区別がつかないくらいの服装だ。使用人が着るようなメイド服よりも質が悪い布を身に纏っている。
しかしそれは彼らが私にそう仕向けたからだ。
服やドレスは全て取り上げ、ボロボロの布だけを与えたのだ。
「リナリア! 何ボサっとしてるの! 早く掃除しなさい!」
ローラが私を怒鳴りつける。
「は、はい! 今すぐ!」
私は慌ててローラの元まで行って床に散らばった皿の欠片を拾い集める。
「痛っ……」
しかしその時皿の破片で指を切ってしまった。
傷口から血が流れ出す。
「うわ、あんた血が出てるじゃない!」
ローラがその傷口をみて叫んだ。
(も、もしかして私のことを心配してくれて……!)
私は期待に満ちた瞳で顔を上げる。
もしかして、家族としての情があるのかもしれない、と。
「血なんか見たら食欲が無くなるから今すぐ出てってくれない?」
そんなはずが無かった。
今まで散々な目に合って私を心配してくれるはずないなんて分かってたのに、少しでも期待してしまった。
彼らは私を家族として見てないのだから。
ローラは血を流す私を見て不快そうな表情になった。
「チッ、もういい! 今日はもう離れに帰れ!」
「早く出ていって!」
ドニールとカトリーヌも眉を顰めて私を追い払う。
生粋の貴族である彼らにとっては血とは穢れたものであるらしい。だから血を流している私が近くにいるだけで不快なのだろう。
「分かりました……」
私はお辞儀をして食堂から出ていく。
食堂の外には使用人が二人立っていた。
私が彼らに話しかける。
「離れに戻るように命令されたので、後の給仕をお願いできますか?」
「……」
私が話しかけても彼らは答えない。
それどころか無視して扉を開けて中へと入っていった。
まるで私なんかいないみたいに。
でも、それも仕方のないことだ。
ここで私に反応してくれる使用人は、もうすでに全員解雇されてしまったのだから。
「……よし! 帰りましょう!」
パシ! と私は自分の頬を叩いて気合いを入れる。
私は気持ちを入れ替えて自分の家へと帰ることにした。
「もうこんな時間……」
外に出るともうすでに陽は完全に落ち、暗くなっていた。
私は自分の家である離れへと歩いていく。
そしてたどり着いたのは貴族はおろか平民ですら馬小屋と見間違うほどに小さな、木でできた小屋だった。
「ただいま」
ギィ、と木の扉が音を立てて開く。
小屋の中にはボロボロのベッドが一つと、木の机が置かれているだけの簡素な場所だった。
これでも精一杯掃除したのだが、これが限界だった。
私はテーブルの上に置いてあるランプに火をつける。
当然、この小屋には暖炉なんてない。今は春だから布団を被れば寒さは凌げるが、冬は隙間風も入ってきて毎日寒さで死ぬんじゃないかと思うほどこの小屋は寒い。
「あ」
明るくなって分かったが、テーブルには皿が置かれ、その上には布が被せられていた。
どうやら私がいない間に屋敷に勤める使用人が今日の食事を運んでいたらしい。
「今日のご飯は何かなー?」
私はテンションを上げながら布を取る。
「やった! 今日はスープです!」
今日の食事は具材少なめ、塩たっぷりのスープだった。その横には半分に切られたパンがテーブルに直に置かれている。
もちろんもうすでにスープは冷めている。
しかし昨日はパン一つだけだったので、昨日の食事よりはランクアップしたと言えるだろう。
やはり一日に一回しかない食事なので、二品あることは大切だ。
「それに加えて、じゃーん!」
私は懐からもう一つパンを取り出した。
私がローラたちに給仕する時にこっそり懐に隠して持ってきたパンだ。
それをテーブルの上に置くと、より食事が豪華に見える。
「ふふ、これでもっと豪華になりました!」
私は豪華な食事に満足すると、椅子に座って食べ始めた。
「ん、やっぱり屋敷のパンは美味しいですね」
屋敷から持ってきたパンを食べながら呟く。
やはりいつも食べているパンよりも屋敷で一から焼いているパンの方が美味しい。
いつも食べてるパンは固いし、パサパサしているのでスープのような水分がないと食べにくいのだが、こちらのパンはもちもちとした食感で柔らかく、バターの香りがして美味しい。
屋敷から持ってきたパンを食べ終えると、私は固い方のパンを適当な大きさにちぎり、スープに入れた。
こうするとパンが水分を吸ってお腹により溜まる気がするのだ。
これは十歳の頃から七年間、私がこの生活を続ける中で生み出した発明だった。
それも食べ終わると私はごちそうさまをする。
「ご馳走さまでした」
そして私は椅子から立ち上がるとすぐにベットの下に隠しておいた本を取り出した。
私はそれをテーブルの上に広げ、読む。
これも屋敷の書庫から持ち出した本だった。
しかし父も義母も異母妹も、誰一人として読書なんてしないので書庫から一冊無くなったところでバレたことは一度も無い。
この読書は昔来ていたローズの家庭教師の女性に『読書をしなさい』と勧められて始めたのだが、彼女もすぐに屋敷を解雇されてしまった。
『勉強をしなさい。そしてこの屋敷を出るのです』
私の境遇を知った先生は私にそう言った。
ただ、この小屋には紙もペンも無いし、流石に屋敷からそれを持ち出したらすぐにバレてしまうので紙とペンを使った勉強は私には出来なかった。
だから私に出来る唯一の勉強である読書をずっと続けているのだが、この屋敷を出れるかどうかは正直怪しいところだ。
そうして集中していると時間が経ち、本を読み終わってしまった。
時間は正確には分からないが、小屋の窓から屋敷の明かりのつき具合を見るに、そろそろ日を跨ぐ頃だろう。
「ふぅ……そろそろ寝ましょう……」
私は軽く伸びをするとランプを消してベットの中に入る。
藁の上に大きめの布が被せられただけのそれは、最初この小屋が与えられた頃シーツもマットレスもない、ただ木の枠組みしか無かったものを私が改造したものだった。
マットレスのベッドよりは劣るが、意外とこのベットもよく眠ることができる。
私はいろんな布を継ぎ接ぎしてできた一枚の布団を被る。
ベッドの藁の中をゴソゴソと漁り、隠しておいたペンダントを取り出した。
このペンダントは亡き母の形見だった。
隠しておいたのはバレたら確実に没収されるのと、父が母を嫌っているからだ。
「今日も色々ありました、お母様」
私はペンダントに話しかける。
顔を横に向けて窓の外を見る。
屋敷の窓から等間隔に設置された廊下の明かりが漏れている。
私はあそこから追い出された。
でも、昔はあのオレンジ色の光はもっと近かった。
夜中にトイレに行く時によく見た明かりだ。
かつて私はあそこでマリヤック伯爵家の一人娘として暮らしていたはずだった。
今は使用人のように扱われ、こんな離れに住まわされているけれど。
何でこんなことになってしまったのだろう、と考えて思い出す。
それは、お母様が亡くなった十歳の時だった。
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