緑香:邂逅
緑香殿、と彼に呼ばれ目を開けると、どこかに寝かされていた。
まず目に入ったのは天井と、ほっとした顔の彼。
「あれ、ここは?」
「俺の故郷だ。ひいては俺の家だ」
到着したらしい。しかし一度も異界の襲撃が無かったことを驚く。
「そうですか……まさか、あなたが私を運んで?」
「風で浮かせて故郷まで飛ばした」
乱暴な扱われように少しイラッとするが、心配そうに彼がすりよってきたのを見て、思わず苦笑を浮かべた。
「大丈夫か?」
「ええ。ありがとうございます、見捨てなくて」
「見捨てるものか」
口を尖らせた彼を見て、思い出す。
「そうだ、名前!」
「そういえば」
彼の目が輝いた。知らず、身を乗り出しているように見える。
「どんな名前だ?」
「唯。唯一の、唯です」
ユイ。そう呟いた彼……唯はにっこりと笑った。
「ありがとう」
笑みを受けて、緑香は思い出す。
くらりとめまいがして、緑香は気が付くと一面が黄色の花畑に立っていた。
誰かが、立っている。ぼやけた細い塔も、見える。
「ああ、もう戻っ……て、違う」
振り返ったのは、女性。少し緑香より年上。金色の瞳は優しく輝き、髪は風に踊る。
女性は緑香を見て一度びっくりしたように目を開き、笑った。
「そうか、ここは夢の中か。居眠りしちゃったみたいだ」
「……貴方は?」
「あなたと一番、縁が深くなる者」
歌うように返した彼女は、緑香に歩み寄り、手を伸ばす。
気が付くと、女性の腕のなかにいた。
「なっ!?」
「えへへ。ちょっとだけ」
その声はどこか泣きそうで。引き離しづらくなった。女性は緑香の肩に顔を埋めて、泣き出した。緑香はぎこちないながらも、彼女の背中を撫でた。
「……うん。もう大丈夫」
彼女は体を離して、にっと笑う。
それが、彼と被った。
「……貴方は」
「とりあえず座ろう」
引っ張られて、テラスに座らされている。
緑香が混乱するなか、女性はあのねと話し出した。
「結婚しました。で、子供ができました。名前は綾子です」
「はあ」
「話したい人は別にいるんですが、もうその人はこの世にいないんで、代わりにあなたが聞いてください」
無茶苦茶な論理だ。だが、その屁理屈は時折緑香も使うので、反論しづらい。
「い、いいですけど。……どうぞ?」
「じゃー遠慮なく」
女性は笑みを絶やさないまま続ける。
「綾子は、俺が母親だと知らせず、旦那に育ててもらうつもりです」
「え」
続けて早々、遮ってしまった。
でもこれは仕方ないと思う。
「…………何で?」
「バレたら危険だから」
その言い種では、彼女も危ない橋を渡っているように聞こえる。
それに気付いたのか、女性は肩を竦めた。
「ちょっと前まではかなり物騒だったんですけど、一段落して。でも、あの子には、こっちに踏み入れてほしくないから」
くしゃりと笑った顔は、また泣き出しそうだ。
「……肩、貸しましょうか?」
「もういいです」
目覚めたくないと思っちゃうの、分かってるから。
首を振った彼女はでも、と続ける。
「こんなに苦しいって分かってても、あの子が生まれてきてくれたことが、すごく嬉しいんです」
金色が、瞬いた。
緑香には子供はもちろん、夫だっていない。だが、不思議な彼ならいる。
彼女になら、この不思議な気持ちが話せるのかもしれない。
「私のそばに一人、不思議な彼がいるんです。ちょうど貴方のような金髪に金眼で」
「……その、彼のことはどう思っているんですか?」
うーん、と首を傾げた。
「よく、分からないですね……。純粋で、素直で、大型犬になつかれているような感じ」
「はい?」
女性の目が点になる。
「……それは、異性としては全く眼中に無い感じデスカ?」
「……私の事を大切にしてくれているのは分かるんです。でも、必要以上に近付かせてくれなくて、でも、私がバカをやらかしたら飛んできてくれる。そして、目いいっぱい怒ってくれる」
だから怒られても、またやりたくなる。
「でも、目と言い話し方といい、どこか子供みたいで。やっぱり図体の大きい子供?」
「うわー……」
がっくりと女性がテーブルに突っ伏している。うめき声が聞こえた。
「……意識されてないとそれは寧ろ哀れと言うかいやこの時点ではまだ互いに意識していないのではいやしかしいやそれよりも欄外なのかそれはとてもうん哀れにしか思えないがしかし」
「……えーと」
何やら女性が混乱、ついでに激しく落ち込んでいることが分かる。ブツブツ言っているのは分かるが、単語までは聞こえない。
「比は1:9ぐらいで」
「落ち込む比率の方が高いんですか。そして貴方は心が読めるんですね!」
「いや、顔を見たらそれぐらい分かります」
断言した女性はそれで、と目を輝かせ身を乗り出した。
「何かありましたか?」
「その彼に名前を名付けることになって、悩んでいるんです」
ちなみに今の候補はジュンとユイ。
「ジュンにしましょう! 淳の漢字がいい!」
拳を握って言われた。
「でも風が、ジュンは駄目だ、あの子に残しておかないと、と」
女性は目を丸くしている。
「風が……」
「ですから、ユイかなと」
腹を決めたら、漢字も浮かんできた。
「漢字はやっぱり唯一の唯かな?」
ちょっと女の子のような名前だが、静かな彼だからよく似合う気がしてきた。
あれこれ思案していると、女性がふっと笑う。
「仲良しですね」
「悪くはないですね」
「ちぇっ、お邪魔虫は退散しますよーだっ」
椅子から飛び降りた彼女は、振り返って手を差し伸べる。
「じゃ、お暇しますか」
引っ張られて着いた先は、またあの花畑だ。緑香はテラスを振り返って、ぎょっと目を見開いた。
先ほどまでいたのは、組織のテラスだった。彼女の動揺に女性が事も無げに話す。
「俺、友達とこの花畑で昼寝してたら、いつの間にかこの夢に引きずられてたんです」
「私は、いきなり意識が遠退いて。……でも、この花畑は、まだ咲いていなかったはず」
「そりゃそうでしょうね。ここはあなたからしたら未来だから」
「未来」
「そう、未来」
言った彼女は、笑う。
「もう時間みたいです。それじゃあ、また」
「待って! 貴方は……」
「次会う時、俺は喋ることも出来ないガキだから」
花びらが舞う。視界が覆われる。彼に呼ばれる。
そして、緑香は目を覚ました。