アル:待機
アルの目の前で、アンヌは享に笑みを浮かべた。
「享。一回でいいから、本気で殴らせて?」
「イヤほんとマジで済みません」
「何か言った?」
享が土下座の態勢に入る。だがアンヌはにこにこと邪気をふんだんに使う笑顔で彼の胸ぐらを掴んだ。
享に書類を届けに来たアルは白い目で見ている。
「まさか許して、は無いわよね? ああ良かった、組織から出ようとして貴方に邪魔されたのだもの、すっごく苛々しているのよ。そのような事を言われていたら、拳、一回では済まなかったのかもしれないわ」
彼の顔が僅かに青い。
「安心しなさい、顔の形が変わるぐらいにまで力を抑えるから」
「それは押さえてんのか?」
思わず突っ込みを入れてしまった。
「ええ、とても」
「アンヌが本気で殴ったら世界ごと吹き飛びますから。それを考えれば、とても抑えてくれているのでしょうが……」
殴られたくない。彼の目は雄弁に語っている。だがアルに助けるような技能は無い。のでさっさととんずらさせてもらう。
「組織にまで被害が及ばないようにしてくださいねー」
「薄情もの!」
仕事が嫌でぶらぶらと歩いていると、ふと窓から病室が見えた。何となく玲奈のもとに向かう。が、玲奈は熟睡していた。
「……失礼しました」
女が大の字。何かが悲しい。
またぶらぶらと歩く。誰を訪ねようと考えを巡らせるが、たいていの知り合いは丹洪で戦闘、もしくは別の世界で異界と戦っている。アルも外に出たいのだが、彼自身の体調が悪いせいで、彼が纏める隊は外出を禁じられていた。
そう思ったと同時に、始まる。
「あー、ちくしょう。来た」
右肩の付け根が熱くなっていく。炎で焼かれているのかと思うほどの激痛だが、アルは顔色ひとつ変えずに部屋に向かう道を歩く。
アルのこれは、一種の呪いだ。周期的に来て、気が付けば去っている。しかし、戦いに出られないのはもどかしい。
事務室に戻ると、キーリがまじまじと見てきた。
「何だよ」
「……生涯で一番恥ずかしかったことは?」
「カノジョに服を脱がされかけた事だ、てめえ俺が自分で戻って来たから偽物だと思っただろ」
「あ、自覚はあるんですか」
切り捨てられて少しへこむ。
「お前は一体俺をどう思って……」
「戦場でしか頼りにならない兄貴ですが何か?」
「誉めてんのか貶されてんのか分かんねえ……」
「キーリさんのどこに誉めるような単語が入ってましたかー?」
事務室で作業していたアルの部下が笑いながらばっさりと切り捨てる。
部下は報告書に目を通し、ふと呟いた。
「と、そういえば例のお二人、怪我も完治して隊を仕切っているそうですよ」
「あいつらも回復早ぇ……しかも同じ日に退院かよ、流石としか言い様が無えな」
「分かってると思いますけど、それを二人の前で言ったら、いくらアル大尉でもブッ殺されますよ」
「知ってる」
舌を出したアルは席に座り、キーリから飛んできた大量の書類を受け止めた。
「とりあえず、あなたが最低限やる必要があるのはこれだけです。それを優先して片付けるように。僕たちもそれなりにやってますから」
「へーい」
アルがぶらついている間に、彼の机に乗っていた仕事が減っている。比例して、部下の机に仕事が積まれている。特に、キーリの机に。
申し訳ないと思うが、それを素直に言葉に出してもはぐらかされるのが落ちだ。
内心感謝しつつ、アルは仕事にとりかかった。