バジル:急襲
鬱蒼と茂り、辺りも暗い森のなか、バジルは知り合いの匂いにぎょっと振り向き、
「っ」
後ろから迫っていた糸の束を寸前で避ける。だが逃げ切れず、頬に鋭い痛みと鮮血が飛んだ。
「甘い。いや、違うな」
冷ややかな声と共にあたりの木がざわりと蠢く。光景をめにしたバジルの眼が見開かれる。
「温い」
バジルの目には、彼女を囲むように幾重にも張り巡らされた糸が見えた。
次の瞬間糸が襲いかかり、とっさにバジルが一房引き裂いてもそれをも予測していたかのように、糸は彼女の腕に巻き付き四肢の自由を奪った。
森から出てきたのは、ナイフを弄ぶ、黒いコート姿の空野。
空野は糸目を開け、鋭い赤の瞳でバジルを見据え、皮肉な口調で問うた。
「これが、敵だったら」
完敗だ。
バジルは頭を垂れた。
空野はバジルを追ってきたらしい。
「アンヌさんからしばらく暇を出されましてね。本業に戻ろうとも思ったのですが、生憎学校も夏休みで無いので、気が向くままに知っている匂いを追いました」
そう言った彼は纏めた糸を懐にしまう。
空野は元々は日本の教師を生業にしている。非常勤の講師らしいが、専攻は日本史らしい。
「あなたも糸を扱うと聞きましたが」
「……未熟者です」
「でしょうね。先ほどの対応を見る限り。それか、糸を罠のつもりでしか操ったことが無いのか」
どちらもだ。
森に張り巡らされた糸を避けるには、空に逃げるしか方法はない。糸を断っても代わりがいると考えなければいけない。同じ量の糸を使って張り巡らされた糸を断ち切る方法もあるが、それには労力も糸の量も必要になってくる。
昔、神無に教えられた。
「……精進します」
「是非。俺がまた空から降ってくるあなたを助ける羽目にならないように」
空野は厳しい。
「技量を見る限り、確実に出来ます。重ねてバジルの腕力ですから、尚更」
そして、空野はバジルが今できる技能を最大限に活用しろと言う。
「出来ることを、何故やらない?」
「…………はい」
頭を下げていると、彼は溜め息をつき、それでと話を本題に向けた。
「地図を作っていると聞きましたが、どこまで行きましたか?」
バジルが地図を渡すと空野はでは、と進み始める。
「行きましょう!」
「あの……空野殿」
「何か?」
バジルは恐々と、指摘した。
「そっちは反対、です」
人はこれを方向音痴と呼ぶ。
空野は本物の方向音痴、
ギンはわざと、
トーラは方向が全て反対です。