バジル:野営中に回想
そしてこちらも。
「ふむ。もうそろそろ野営にするか」
薪を組み、野宿の用意をしていた。バジルである。
野営もお手のもの、更に今回は折り畳み式の寝袋を用意してきたので煩い蝿の音も聞かずに済む。
本日狩った肉を炎に投げ入れる。肉が焼き上がるまでに、バジルは小さな用紙に今日見た生き物の特徴を書き込んでいった。
ふと、筆を止める。
「元気にしているかな、アンヌ様は」
彼女が第一に考えるのはアンヌのことだ。それは恐らく自分が死ぬ間際でも変わらないだろう。
何故なら、彼女だけが、あの人の苦しみを和らげてあげられるだろうから。
バジルは異界の主に否定的感情を持っている訳ではない。一般人なら「己の願いに世界を巻き込むな」とでも言うだろうが、彼女は別にそれでもいいと思っている。
ただ、あの人は苦しむだろう。
ある時、バジルは異界の一室に迷い込み、紅い部屋に辿り着いた。
部屋の中央に女性が寝かされていて、ベッドに腰かける女性は彼女に瓜二つで。
さらに、後ろが透けて見えた。
悲しそうに寝顔を見ていた女性は、バジルが彼女を凝視していることに気付き、
『あたしが、見えるの?』
バジルの頬に触れた。
「自分でも不思議だが、そのようだ。貴方は?」
『あたし? そうね……』
女性は悲しそうに笑い、部屋を訪れた主に顔を向ける。
『あいつの妻』
「晶子!」
主は嬉しそうに叫び、彼女に手を伸ばした。しかしその手は空を切る。
『楊志』
「触れられなかった……忘れていた。だが、考えていた通りだったぞ!」
主はにっこりと笑う。
バジルが始めて見る、暖かい笑いだった。
「黒狼が体のそばにいれば、魂のお前はこちらに戻って来れる」
『駄目よ、楊志。あたしなんかの為に、手を汚しちゃ駄目』
「悲しそうな顔をするな。大丈夫、直ぐに体を治してお前の魂を身体に定着してやる。しかしそれには世界を幾つか潰さなければならない。少しだけ待ってくれ」
『違うの!』
主に、女性の声は聞こえていなかった。
それ故に、苦しい。
バジルの口から女性の言葉を伝えても、彼は止めることを知らなかった。
ただ、晶子に会いたい。生きた彼女の身体に、触れたいと言うばかりで。
肉を狙う獣の唸り声に、バジルは我に返った。
「……夢だな」
昔の夢だ。感傷に浸ってしまったらしい。
主はバジルの何かを使い、女性を甦らせようとしている。それには、世界の、ひいては大勢の生き物の命が代償となる。
彼女を泣かせたくない。
バジルが始めて抱いたその願い。
「残念だったな」
獣。角が生えた頭。狼の足。牙は鋭く。
しかし、体は糸に縛られていた。
「お前も私の肉になれ」
アンヌの「私を利用しなさい。私もあなたを利用するから」という言葉。
享の「君がアンヌの側にいる限り、アタシは君を騙し利用し骨の髄まで使うよ」という言葉。
全て、嘘だ。
証拠に、二人はこんなにも優しい。
「組織がある世界なら、もし異界の者が来ても直ぐに察知し飛んで行ける……か」
全く、いつもこれだ。
「酷いな、あのひとたちは。私の気持ちなど、これっぽっちも考えてはくれない」
夜に、獣の悲鳴が響いた。