呪い・呪い
玖楼は気付いただろうか。否、人の命を扱う医療や祈祷を一手に受け持つ玄武の彼は、最も人の命に敏感だ。恐らく見てなどいないだろう。
病室に入ると、何故かいた五十嵐、玖楼組と鉢合わせした。五十嵐がぎょっと玲奈を見ている。
「……お前ってやはり神出鬼没なんだな」
「ちょっと今、あたしに対する認識が垣間見えたようですが?」
「首に手を伸ばすな! ついでに絞めようとするな!」
五十嵐が逃げ出した。玖楼が苦笑を浮かべてそれを追いかける。
すれ違いざま、アンヌは彼に囁いた。
「優一が持つ顔の相、見た?」
「見てはおらぬが……ふむ。折りを見て視ようかの」
玖楼は何事もないかのように、病室を出ていった。
アンヌにはそう言ったものの、玖楼はどうも、本人の許可なしに相を見ようとは思えない。そのために制御までかけてある。知り合いに変わり者と言われたこともあるが、単に怖いだけなのだ。
あと何年で、その人間がどのような人生を送り、どういった経緯で、どう死ぬのか。それが解ってしまう、それほど恐怖なものはない。
その運命を変えようと足掻いても、結局死に様は相に現れていたそれに酷似する。
だからここ数十年は視ないようにしていたのだが、玖楼の心を知る彼女が言うのだ、何かあるのかもしれない。
「五十嵐よ」
「はい」
玲奈が潜んでいないかと辺りを見回していた彼は、玖楼の呼び掛けに振り返った。
「お主の顔に浮かぶ相を見てもよいかの?」
五十嵐の、一瞬の迷いをどう捉えれば良いのか。
「……どうぞ」
玖楼は力を解放する。改めて彼を視て、玖楼は目を見張った。
五十嵐の顔に浮かぶそれは、死者の相だった。
玲奈は病室のベッドに座り込んだ。
「……五十嵐の死相について、ですよね? しかも既に死んでる、みたいなんらしい」
「話が早くて助かるわ」
喜ぶ話ではない。彼女も枕を抱き締める。
「親父殿は、人の心を読んだり、索敵の能力を持っていました。そのお陰か、どうやら占いの才も少しばかりあったようで。優一の異常性はあの人から聞きました」
相が運命を違えるなど、聞いた事もない。ましてや、実物をお目にかかるなど。
今ここで、どれほど彼が異常なのかを深く詳しく説明する暇などは無い。無いし、時間も無駄な労力も必要になってくる。
だから、端的に言おう。
「相によれば、優一は十歳の時に、村を襲った盗賊団によって死んでいた。何か知っていることはない?」
「あー……」
その問いに、何故か玲奈がアンヌから目を逸らした。
「玲奈?」
「その、ですね……」
いつのも彼女にしては、歯切れが悪い。
「…………親父殿いわく、どうも優一が死相を無視して今も生きてんのは、あたしのせい……いや、おかげらしいんですよ」
「………………」
理解し難い。なのでとりあえず、言ってみた。
「は?」
五十嵐は玖楼の驚愕に溜め息をつく。
「その顔はもう、見飽きました」
「……と、言うと?」
「占い師に顔を見られる度、悲鳴はあげられるわ、化け物と罵られるわで、大変でしたから」
占いといっても、ちゃんとした勉学の占いである。手相を見られて下がられたこともあった。
玖楼はじっと彼を見ている。
「黙秘権を行使してもよい。……何故このようなことに?」
話しても別段困ることでもない。
「現れた賊に住んでいた村の皆が皆殺しにされて、俺が殺されかけたとき鈴無当主が颯爽と現れて助けてくださった。それだけです」
五十嵐は一気に話し、一息ついた。
もう、過去の話をしても、昔のように、あの首筋を這い上がる憎悪の炎は現れない。
そして昔を思い出しても、あのとき出来た薄い手首の傷を見ても、心の臓には鈍くて淡い痛みしか走らなくなっていて。
それは、自分が過去を忘れていくようで。
怖い。
彼らを忘れ去ってしまうかもしれない、自分が怖い。
五十嵐はまた、大切な者を守れなかった。
村が壊滅してから、父親代わりだと言い放ち五十嵐の世話を焼いた鈴無当主。近衛では異端児扱いだった自分達を受け入れてくれた副団長と武士団の仲間たち。
もし彼らを忘れてしまったら、そのとき自分は人ではなくなるのだろうか。
「五十嵐よ」
「……ああ、済みません」
五十嵐は頭を切り替えた。
「ただこの話には、スピンオフとでも言うのか。玲奈の存在が関わっていたようで」
あたしが十一の頃ですね。
親父殿の能力である索敵が、上手く行けば側の者にもしばらくの間付加できるのでは、とか何とかの可能性が出てきたころでした。
その頃あたしはやっぱり親父殿の索敵能力を面白がっていて、一回やらせてーなと親父殿に頼んだわけですよ。もちろんやらせてもらいましたけど。
それで始めに視たのが、血でした。
死体が折り重なって積まれている。それの側で男たちが話している。
不意に視界が揺れて、ですね。目に入ったのはあたしと同じくらいの少年やった。手足串刺しにされとって、出血多量で死んでないんがおかしいぐらいの血ィ流しとって。
でも、獣みたいに吼えてた。気ィ狂ったみたいに、って言えばええんかな?
そこで親父殿に意識を引き戻されて、事情を話したら親父殿は駆け付けてくれて村はその通りになってて、優一と名乗ったアイツだけが命をとりとめてた。
あいつはラッキーだったんです。
一つ目は、偶々あたしが優一を視たから。
二つ目は、それが親父殿が索敵しやすい場所だと言うて、あのときあたしらがおった場所が村と近かったから。
でも、親父殿は何や驚いてて、しばらく時間をおいて、あいつが馴染んできたころ、優一がおらんときにこっそり話されました。
曰く、彼は本来は死んでいたらしい。なら今度彼はいつまで生きるのかといえば、それは玲奈、お前と戦場で離れたその時までだ。
「おかしな話でしょう?」
玲奈は苦笑と共に、話を切り上げた。
アンヌは何やら考え込んでいる。
「……とりあえず注意すべきなのは、優一があなたと戦場で離れたら死ぬのね」
「はい。何ロンて言うてたかな……だいたい、五十ロンぐらいやて聞きました」
アンヌの眉が寄る。
「ロン……ねぇ」
「正確には五十メートルぐらい?」
「ああ、そっちで言ってほしかったわ」
アンヌに激しく突っ込まれた。
本能だったらしい彼女は荒い息をおさめつつ玲奈を睨む。
「優一は知っているのかしら?」
「多分知りません。でも戦の最中にあたしから五ロン離れたらぶん殴るって言っておきましたから。ああ、あいつに言わないでくださいよ」
「分かったわ……それに、彼には拳の方が怖いかもしれないわね」
さて、とアンヌは話を打ち切るように立ち上がった。
「悪いけれど、軍人や傭兵にその弱点は致命的だわ。治してあげたいけれど、私には知識が足らない。知り合いでも当たってみようかしらね」
「ありがとうございます!」
「どうも。さて……」
アンヌはにこやかに玲奈の笑顔を見た。
「あなたは言葉のお勉強をしましょうね?」
彼女の笑顔が、凍り付いた。
一部始終話を聞き終えた玖楼は一言、五十嵐に聞く。
「五十嵐はどこで、自分の死相を?」
「玲奈がいない隙を見計らって、当主に」
さすがに何度も占い師連中から怯えられるのは腹が立ったのだという。
「そうすれば、死相の話を聞かされましたし、玲奈が俺の運命を変えたという話も聞いた。ついでに、どうやら戦であいつから離れたら死ぬということも」
何とも厄介な相だ。
「それを、鈴無は……」
「知っているんでしょうね」
ちょっと舌を出して生意気なところを見せる。
「昔、五メートルでも離れたら殴ると言われましたから」
「……過激な御仁じゃの?」
「それがあいつです」
遠くを見つめてはははと乾いた笑い声をあげるあたり、慣れているらしい。
ちょっぴり五十嵐に同情した玖楼だった。
「……とりあえず、鈴無にはお前が知っていることは隠しておくぞ?」
「その方針でお願いします。……と、それから」
「うむ?」
彼は不安そうに玖楼を見て、その、と言い出しにくそうに切り出す。
「近衛から武士団に押し付けられた理由の一つ、なんですが。俺、剣が遣えないんです。短剣の長さなら大丈夫なんですが。もっぱら槍で」
「……少年剣士ではなかったのか?」
「……あのあとから」
五十嵐の目から、口元から、表情が消える。それはどこか、彼の日にあった恐怖を思い浮かべているようで。
「剣が持てなくなりました」
「……了解した。ここはそれぞれが好きに得物を選んでもよいのでな。気にする必要はない」
「ありがとうございます!」
頭を下げた五十嵐を、図書館に案内する。
今回のタイトルですが、「まじない・のろい」と読んでいただければ;
長らくお待たせして済みませんでした。
ですが、またしばらく投稿できないかも、です(汗)