組織
風が消えたとたん、辺りのざわめきが五人を襲った。
白い建物の中を、慌ただしく、人が大勢行き交いしている。数人はどこの国の言葉か分からないような言語で、薄くて小さい長方形の箱に叫んでいた。人間にも大中小、高中低、太い細い、肌の黒さ白さ黄色さなど、様々な人種がいる。
それらを、玲奈は呆然と眺めた。五十嵐はきょろきょろと辺りを見回している。緑香はアンヌを見ている。
アンヌは誰かを探すように辺りを一瞥して、すぐに顔を一点に向けた。
不意にざわめきが大きくなり、人が横に避ける。
人垣が避けて現れたのは、女。緋色の長衣を羽織り、くすんだ紫色のアンヌより短い、背中にかかるぐらいの髪をまとめ、陽炎のように朧気な茶色の瞳。
女が人間が避けて出来た道を歩くごとに、辺りの人間は話を止めていく。そして、女が目指しているのであろう、五人に視線が集まる。
あの五人は何だ。白衣の女はよくここに来る。しかしこの方が来るほどの騒ぎが起きたわけでは無いだろう。
ざわめきの代わりに囁きが、辺りに満ちる。玲奈は煩わしいとは思いながらも、意味が分からないこともあって我慢していた。
女は五人の目の前で止まり、疲れたように微笑んだ。
「○◆△▲£◎■@」
言語が分からない。三人は顔を見合わせた。団長は静かに女性二人を眺めている。
「@▲£△■○◆」
むくれたように言い返したアンヌは、女に手を出す。女はそれを握り、アンヌに抱きついた。
謎の言語で話し合う二人に、五十嵐は半泣きの表情を浮かべている。玲奈はじっと二人を見ている。緑香はわたわたと二人の顔を見て混乱している。
団長が小さく咳払いの音を立て、二人の注意を引いた。
「こいつらにも分かるように話せ」
アンヌがそうか、と手のひらに拳を乗せる。女はむむ、と口を尖らせた。
「……こんにちハ。この言葉で、合っていますカ?」
片言で、イントネーションが全く違う異国の話し方だが、まだ言葉が通じる分ずっと良い。玲奈が何度も頷くと、女は彼女に手を差し出した。
「改めテ。この組織を管理している者の一人、ロナンと言いまス。見ての通り、外国語がとても苦手デ意味の通らないこともあるかと思いますガ、宜しくお願いしまス」
「玲奈と言います。こちらは左から優一、緑香。団長とは知り合いなのでしょうか?」
五十嵐と緑香がロナンと握手を交わす。
「お話だけですネ。本物に会えたのは初めてでス」
ロナンは団長に向き直り、表情を引き締めた。
「スオー、と呼ばせてもらっても宜しいですカ? リョク殿がそう呼ばれていタ」
五十嵐が過敏に反応するが、団長は彼を制する。
「それでいい。こちらこそ、厄介事を巻き込んで済まないな」
「いえいエ」
ちょっと微笑んだロナンは建物の奥を指差した。
「事情はリョク殿から聞きましタ。その上で尋ねまス。今からもう一人、戦に舞い戻る前に会ってほしい方がいるのでス。貴殿方にその心的な余裕はありますカ?」
「余裕があっても無くても」
アンヌは苦い顔で肩をすくめる。
「会わなければいけないでしょう。ただ……そうね、須王、貴方はすぐに介護室に向かいなさい。アンヌとロナンからだと言えば直ぐにベッドぐらい貸してくれるわ」
団長が言い返そうとして、よろめいた。慌てて緑香が彼を支える。
「緑香ちゃん、あなたも彼について行ってくれないかしら? 一人では危なっかしいわ」
「はい」
「おい! 俺はまだ元気だ」
「はいはいおやすみなさい」
子供をあやすように言われ、団長がむっと口元を引きつらせる。
その様子をみたロナンが、苦笑と共に頼み込んだ。
「貴方には生きていてもらわなければならないのでス。できれば、戦闘には出ないでいただきたイ」
「仇だ」
短く答えた彼から、ゆらりと怒気があがっていく。邪魔をすれば手段は選ばないと言外に告げられ、ロナン、玲奈、五十嵐が緊張で身を強張らせた。
緑香は気、と言うのだろうか。気配を読めないために気付いていない。
対して読めているだろうに顔色を変えなかったアンヌは、厳しい表情を浮かべて団長の頭を叩いた。
「あなたは大量の世界に住む命と、自らの私情、どちらを優先するの?」
公を選ぶか、私を選ぶか。
思うところがあったのか、団長の怒気が揺らぐ。
「……一般論を放り込むなど」
「一般論ではないわ」
アンヌは溜め息をついた。
「敵討ちを選んでもいいわよ。でも、もし失敗して死んで、あなたは後悔しないのかしらね?」
団長は目に見えて詰まる。
後悔、と言われて、彼の瞳が揺らいだ。
「別にどちらを選んでもらっても、私は構わないわ。貴方を守れるよう、精一杯尽くすから。けれど、あなたを守る為に人員が出て、戦闘員が存分に戦えないかもしれない。あなたはそれでもいいの?」
「……俺は」
緑香が戸惑う団長の服の袖を引っ張った。
「須王さん。行きましょう」
緑香は有無を言わせず団長を案内係の元に引っ張っていく。
顔を見合わせた玲奈、五十嵐、アンヌ、ロナンだったが、ロナンが咳払いを立てて歩き出した。
彼女を追いかけた玲奈は、ロナンに並び、聞く。
「この組織が何なのか、教えてください」
「今から会う方が、全て説明しまス。私はまだ説明できるほど語彙が多いわけじゃなイ」
そう言って会話を打ちきられ、少しむっとする。別の話題で会話を試みた。
「陛下……リョクはどこにいますか?」
「今から会う方の部屋二。その方から説明を受けていまス。もうすぐ合流できますヨ」
四人がギリギリ入れる箱に乗り、移動する。揺れに五十嵐が警戒を示した。
「これは?」
アンヌが答えてくれる。
「エレベーター。上下間を移動する時に使うの。今は上に向かっているわ」
突如エレベーターの揺れが止まり、出口が現れた。
箱から出ると、妙な通路に出た。
壁が白い。エレベーターの向かいにあった扉は茶色で、取手は金色。しかし、残りの扉が少々奇怪だった。
赤い板に赤い取手の扉。
白い板に白い取手の扉。
黒い板に黒い取手の扉。
青い板に青い取手の扉。計四つ。
「ここでス」
ロナンは黒い扉をノックした。
「どうぞですじゃ」
若い声で老人のような口調に玲奈は思わず首を傾げる。しかしロナンは構わず扉を開けた。
中は執務室になっている。奥にも繋がっているようだ。
手前の椅子に国王が、奥のロッキングチェアに男性が座っていた。男性の側に錫杖が置かれている。
「陛下!」
「ご無事ですか!」
二人で駆け寄ると彼は笑みを見せる。しかし、あまり明るい表情ではない。
「二人も無事でよかった。義父上のご遺体なら棺室に安置してある。しかし……」
国王はアンヌを見上げた。
「どうやら、俺達は下手をすれば異界に国を潰されかねんらしい」