崩れた日常
副団長は苦笑を浮かべた。
「泥に足を埋めたら、動くのに筋力が要るだろ? こういうのもいいかな、と思ってね」
武士団の皆で、豪雨で抜かるんだ泥の間を歩いていた。玲奈などは女性なので筋力に一抹の不安があるのか、余計無駄に歩き回っている。
武士団の宿舎を一周したころには、皆へとへとになっていた。
宿舎で泥を拭った副団長はじゃあ、と皆に声をかける。
「十分後に訓練場集合! それまで各自休憩をとるように」
「副団長はどうされるんですか?」
五十嵐が声をかけると、彼は怪我をした方の腕を指差した。
「腕を怪我しちゃったから感覚が狂っていてね、だから弓の練習。凱旋のときもフラフラだったし」
副団長が弓を持って調練場に向かう姿を、団員は賞賛の目で見ていた。
「凄え……」
「休憩入れずに練習かよ」
「しかも弓だから力要るだろ? 怪我した方の腕、力入るのかよ?」
「だからソレ込みで練習するんだろ」
「副団長すげー」
五十嵐はそんな声をよそに、泥を拭い自らも調練場に向かった。
五十嵐も玲奈も、調練は人一倍してきたという自負がある。
調練場に向かうと、やはり副団長は的に向かって矢を放っていた。しかし中心には僅かにずれている。
そんな彼をよそに、二人で打ち合いを始める。
それを観にわらわらと周囲に人が集まる。
一度汗を拭いに部屋に戻り、また調練場に戻った二人は。
団員達が血塗れで倒れている、その光景を目の当たりにした。
「……へ」
五十嵐の隣に立つ玲奈が、事態についていけず間抜けな声をあげる。
そのとき、中央に立つ血塗れの副団長が、こちらを向いてにこりと笑った。
「二人とも、遅刻」
いつも通りの言葉に、五十嵐の全身に戦慄が駆け巡る。
「……副団長。これは!」
「調練だよ。内容は簡単、真剣でオレと戦いましょう、ってね」
そう言った副団長は血がこびりついた真剣を煌めかせ、真っ直ぐ玲奈の首を狙った。
狙い、間に割って入ったアンヌの両手で刃を受け止められていた。
「危ないわね。こっそりついてきていて、本当に良かったわ」
のんびりとそう言った彼女は、副団長の腹に蹴りを入れる。副団長は調練場の壁に叩き付けられた。
だが、彼はにこやかな笑みを崩さない。
「やっぱりいたんだ」
アンヌは答えず、二人に下がるよう促す。副団長はまた、彼女に話しかけた。
「貴方だよね、ボク達の邪魔をしてくれたのは?」
一人称が変わっている。さらに、声が異常なほど甲高い。
「正確には、私とバジルよ」
「あ、そっか。鈴無領で会ったなぁ」
玲奈がはっと副団長を見た。
「まさか、御神木と御石を壊したのは……」
「ボク。樹がかなり抵抗したから手間取ったんだけどね」
からからと笑った副団長は人間なのだろうが、とても人間には思えなかった。
何か、気持ちが悪い。
「何故、そんなことを」
「団長に回復されたら困るから?」
副団長は静かに彼を見据える女性を指差した。
「団長はこの女性みたいに人間じゃない。数百年前、丹洪に神木と龍石を置いた旅人は、団長の事だった。だから、龍石を操作して、団長を回復するようにエネルギーを変換できるかもしれない。その考えは当たっていたみたいだね」
「ご名答。その通りよ。うちの子がそれに気付いたときには遅かったようだけれど」
溜め息をついたアンヌは、地面に触れたかと思うと、一本の棒を作り出した。
女性は、改めてそれを構える。
「失せなさい。さもなくば、殺すわよ」
「……二人を守る為だけに?」
「情が移ったの。何か悪いかしら?」
副団長はちぇ、と呟いてから、自分の顔に手をやった。そのまま、力をこめて、べりべりと顔の皮膚を引き剥がしていく。
五十嵐も玲奈も、息を呑むことしかできない。
やがて、副団長の皮を脱いだそれは、新たな顔を三人に向けて、笑った。
「じゃ、お言葉に甘えて、先に王都に行かせてもらおうかな」
動揺からなのか。アンヌが目を見開く。
「待ちなさい!」
彼女は副団長に手を伸ばしたが、ゆらりと立ち上がった団員らを見て、諦めたかのように棒を構えた。
「……玲奈、優一。味方に剣を奮える?」
「どういう意味ですか」
アンヌは団員らを見据えたまま、言葉をつむいだ。
「彼らは死んだ。今動いているのは、操られているから。そして彼らは今、私達を殺すために剣を抜いた!」
団員の一人が襲い掛かってくる。女性はそれを棒で打ち倒す。
二人も刀で受け流していた。
「らちがあかない」
悪態をついたアンヌは、不意に二人の腕を左手で掴む。
「逃げるわよ!」
彼女は空いた右手を前に突きだし、炎を発した。
団員達が焼かれる。玲奈が吐きそうな顔をしている。五十嵐も。
アンヌは二人を掴んだまま、炎の道を駆けて外に出た。
不意に、大地が揺れる。地面にヒビが入る。ヒビの隙間から出てきたたくさんの手は、一斉に三人に襲いかかった。
「邪魔!」
アンヌはまた炎で手を焼く。
人間の肉が焦げる臭いに、五十嵐が口元を押さえた。
女性は二人を解放し、馬に乗った。
「アンヌ、さん」
自然と、二人は彼女に頼るしかなくなっていた。
「どうされる、つもりなんですか」
「副団長の皮を被っていたあれは、王都の龍石を壊しに行ったの。下手をすれば、近衛兵の命も、この国の国王の命も危ない」
五十嵐はゆらりと馬に手をかけ、乗る。
「手伝います」
「……あなた、最悪な顔をしているわよ」
「知っています」
玲奈が頬を叩き、馬に乗る。
「あたしも!」
アンヌは苦笑を浮かべた。
「行きましょうか」




