えもしやぎりのわたし
江戸時代には切捨御免と呼ばれる制度がありました。
武士は下の身分から無礼を受けた場合、斬ってよいというものです。
『無礼打ち』や『お手討ち』などとも呼ばれました。
このお話は黒森 冬炎様主催の『動くところで槍』参加作品です。
既出の小説の人物が登場しますが、独立したお話です。
広い川で、水がゆっくりと流れています。
川べりの桟橋に渡し舟がつながれています。
お客さんが船頭さんに渡し賃を払って、順番に乗り込んでいました。
お客さんの列の最後の方にその親子がいました。
母親と小さな二人の男の子、三人連れでした。
親子たちが乗り込んだあと、船頭さんが声を出しました。
「舟がでるよ~~」
すると、「そのふねー……まてまて~」とどなる低い声が響きました。
大きな身体のお侍さんが速足でこちに向かってきます。
ドスドスと音と立てて桟橋を渡り、船頭にお金を渡しました。
お侍さんが船に乗りこむと、船は少し揺れました。
でも、他のお客さんたちは誰も文句は言わず、顔を伏せていました。
先に乗っていた母親は自分の身体で子供たちを隠すようにしました。
お侍さんは渡し舟の端に座り込み、薙刀のような得物を身体の横に立てていました。
ひげをたくわえ、眉毛も太く恐ろしそうな顔です。
目を閉じて眠っているようにも見えますが、ゆれる船の上で背筋を伸ばして座っています。
やがて渡し舟は岸を離れました。
船頭さんが櫂をあやつって、船はゆっくりと川を進んでいきます。
川の半ばまで来た頃でしょうか。
兄弟の弟の方が「かあちゃん、アメちょうだい」と言いました。
兄も「おらもほしい」と言いました。
母親が荷物からアメの入った子袋を取り出して中を改めました。
アメ玉が2個入っています。
兄は「ふたつあるな。ふたりで1こずつなめよう」といいました。
でも母親は言いました。
「あんたたち、いっぱい食べたでしょ。わたしゃまだ1つも食べてないんだよ」
親子三人で、誰が我慢して誰が食べるかを言い合っていました。
三人とも自分が食べたいと言って、だんだん声が大きくなってきました。
すると、近くに座っていたお侍さんがカッと目をあけて立ち上がりました。
「……ひっ……」
怖い顔の巨体のお侍さんに見下ろされて、親子の顔色が変わりました。
この時代は、お侍さんに無礼を働くと手討ちにされることもあったのです。
お侍さんは右手に薙刀を持ち、左手を母親にむけて差し出しました。
「そのアメをよこせ。ふたつともだ」
「……はい……」
母親は震える手でアメ玉をとりだし、お侍さんの手に乗せました。
お侍さんは親子から少し離れると、ふたつのアメ玉を宙に投げ上げました。
そして、薙刀を右手だけで振りまわしたのです。
シュキン! と音がしました。
お侍さんは空中のアメ玉は左手でつかみ取りました。
そして、親子の前で左手を開きました。
半球状になったアメ玉のかけらが四つ乗っています。
「ひとつづつ取るがいい」
「……は、はい……」
母親はかけらを三つ取り、そのうちの二つを子供達に与えました。
お侍さんは最後に残ったかけらを自分の口にぽいっと入れ、さきほどの場所で座り込みました。
そして背筋をぴんと伸ばしたままで目を閉じました。
* * *
「偉文くん。いい感じだね。これならあの人形が使えそう」
胡桃ちゃんが僕に言った。
安アパートで独り暮らしをしている僕の部屋に、小学生の従妹二人が遊びに来ている。
彼女たちは放課後クラブで人形劇を開催している。
手作りの紙人形で、子供たちを相手に劇をやっているんだ。
胡桃ちゃんの妹の暦ちゃんも、うんうんと頷いて言った。
「このお話は読んだことあるんだよ。童話の『飴だま』をアレンジしたんだね」
「そうそう。もとの話ではアメは1個だったけどね」
『飴だま』は『ごんぎつね』を書いた新美南吉の小説だ。
兄妹でひとつのアメを取り合う話だった。
今回、姉妹に相談されたのは、新しい人形をどんな話で使うかだ。
放課後クラブに暦ちゃんの同級生がいて、右手の薙刀をクルクル回せる侍の人形を作ったそうだ。
戦闘シーンだと人形を壊しそうなので、この話を紹介したんだ。
「ねぇ、偉文くん。他のお客さん達の人形って、どのくらい船に乗せるといいのかな」
胡桃ちゃんがきいてきた。
「動かす人形は船頭さんと親子だけでいいよ。船の前の方で座っているお客さんは、絵を置けばいいと思う」
僕がそう答えると、暦ちゃんも僕の案を書いた紙を見ながら首を傾げた。
「船を動かすのはどうやるの? 船が大きいと演台からはみ出るんだよ」
「船は動かさなくていいよ、青いヒモか長細い紙で川面を表現するんだ。船が出るときに桟橋だけ動かして、後は波をたてればいい」
僕は紙を取り出して船と川面の絵を描いてみせた。
が、姉妹たちには不評のようだ。
「ねえ。それ、あたしが描いてあげるー。色鉛筆借りるよー」
胡桃ちゃん 画・りすこ様
説明がわかりづらいというより、僕の絵がへたすぎたらしい。
ここは絵の得意な胡桃ちゃんにまかせてみるか。
彼女たちが絵を描いている間に、僕はキッチンに移動した。
今日は僕が二人におやつを作ってあげることになっている。
冷蔵庫から『水切りヨーグルト』が入った丼鉢を取り出した。
これは丼鉢にザルを乗せ、キッチンペーパーを敷いた上に無糖ヨーグルトをのせたものだ。
一晩冷蔵庫に置いたので、ザルの下には乳清という透明な液体がたまっている。
冷蔵庫で冷やしておいたふたつの小さいガラス鉢にシリアルを入れた。
シリアルの真ん中に、クリーム状になった水切りヨーグルトを盛っていく。
予め丼鉢にはドライフルーツを入れてあった。
乳清を吸ってやわらかくなったものをヨーグルトの周りに盛り付けた。
スティック状のスナック菓子を刺し、全体にカラーのチョコスプレーを振りかけて完成。
僕がガラス鉢とスプーンを持って部屋に戻り、卓袱台に置いた。
「おまたせー。できたよー」
「わーい、パフェだー」
「お姉ちゃん。入れ物が縦長じゃないんだよ。パフェじゃなくて、サンデーなんだよ」
暦ちゃんがツッコミを入れた。
従妹たちは「いただきまーす」と言ってすぐに食べ始めた。
「ねえねえ、偉文くん。こないだクラブの先生にマザーグースの歌を教わったの。『マフェットちゃん』っていう歌にこういう感じのデザートがでてきたの」
胡桃ちゃんがスプーンですくったヨーグルトを見ながら言った。
「あれと同じものかもしれないね。チーズっていう説もあるけど」
なぜか暦ちゃんはちょっと嫌そうな顔をしている。
あ、歌詞に蜘蛛がでるのを思い出したかな。
暦ちゃんって蜘蛛が嫌いなんだよな。
『マフェットちゃん』という歌には『curds and whey』というものがでてくる。
curdsは発酵させた牛乳から水分を抜いたもので、wheyは乳清のことだ。
僕はいったんキッチンに戻って『なんちゃってラッシー』を作る。
冷たい牛乳に乳清とハチミツを加えてよく混ぜた。
できあがったラッシーをグラスに入れて、ストローもさしておく。
部屋に戻って卓袱台にラッシーの入ったグラスを置いた。
暦ちゃんがグラスのストローに口をつけ、少し飲んだ後でこちらを向いた。
「偉文くん。お侍さんの人形って目を開け閉めできないんだよ。人形劇ではどうしようか」
「大丈夫。観客に背を向けて座らせて、あとはナレーションで説明すれば大丈夫だよ」
その時、サンデーを食べている胡桃ちゃんもきいてきた。
「ねえ偉文くん。さっきのお話で空中に投げたアメを切るところって、どうやって見せればいいかな?」
「人形の方は投げるマネだけでいいよ。紙で作った大きい半円を2つずつ、合計4つだね。人形の上でパカッと割れる様子をみせればいいんだ。まぁ、これはお話だから強引にやっているけど、実際には空中のアメを切るのは無理だよね。薙刀にあたったら、跳ねて川に落ちると思う」
元々の小説では、アメ玉を船べりに置いて刀で叩き割っている。
その時、暦ちゃんはキラーンとした目でこちらを向いた。
また変なことを言い出すかな。
「お話が短いから、別の話に続けるんだよ。薙刀の穂先が外れて川に落ちるんだよ」
「それって落語の『巌流島』だよね。やるならお話を二本立てにして、仕切りなおした方がいいよ。船はそのまま使えるしね。悪役のお侍さんは別で用意して、薙刀を持った方が頭をおじいさんっぽくするといいよ」
僕は胡桃ちゃんにも落語の『巌流島』の内容を説明してあげた。
槍を持ったおじいさんの侍がでてくるので、今回の人形はそっちで使った方がよさそうだ。
「うん、わかった。ありがとうなんだよ」
「ごちそうさまー」
彼女たちは僕にお礼を言って帰っていった。
後日、二人から人形劇の結果を聞いた。
アメ玉の話と巌流島の二本立てにして、なかなか好評だったそうだ。
その後、クラブではなぜか人形の頭を挿げ替えるのが流行ったらしい。
女性の人形の身体に男性の頭をつけるとか。
他に首なしの人形で、ホラーの人形劇も構想中のようだ。
子供の考えることはよくわかんないね。
「いや、偉文くんにホラーのお話を考えてほしいんだよ」
「ねえ、夏らしくお化けの話を出してみたいの」
暦ちゃんと胡桃ちゃんが無茶ぶりをしてきた。
観客は小さい子がいるんでしょ。ちょっと難しそうだなぁ……。
暦ちゃんの豆知識:
落語の『巌流島』では、お侍さんがキセルの先の川に落としちゃうんだよ。
船の上に騒動になりかけて、止めに入ったおじいさんの侍と決闘することになるんだよ。