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家に帰りベッドの上で横になっても俺の苛立ちはおさまらなかった。
青樹さんと仲良くしていたあの男への嫉妬?
それも否定できないが、それとはもっと別の、そう、明確な敵として俺の本能に刻まれているような感じがした。
「川原……昌也?」
あの時俺の口から漏れ出た名前だ。
記憶の中にそんな名前はないのに。
そういえば……。
俺は鞄から数学のノートを取り出した。
確か……ここのページだ。
消しゴムで消されたその部分を鉛筆で薄く塗りつぶすと、書かれていた文字が浮かび上がる。
青樹空、山平、そして川原。
「くそっ、俺の頭はどうなってんだよ」
俺の知らない何かが俺の中に存在している。
頭に別の記憶が混在する気持ち悪さ。
まるで自分が二重人格者にでもなってしまったように思え、髪を掻きむしり、ベッドに何度も頭を押しやる。
「うわっぁっ! はぁ、はぁはぁ」
腹の中からよじのぼってくる気持ち悪さに、俺はトイレに駆け込んで胃の中のものを全て吐き出した。
気がつけば俺はトイレの壁に背中を預けていた。
どれくらいそうしていたかは分からないが、そのまま眠ってしまったようだ。
あぁ、そうだ。
俺は急に気持ち悪くなってトイレで吐いたんだった。
不思議と気持ち悪さは消えていた。
立ち上がり暗い廊下を歩いて部屋に戻り電気をつけると、机の上にあるデジタル時計は2:43を示していた。
不意に机に置かれたノートに目がいく。
「なんだこれ?」
鉛筆で黒く塗りつぶされた中に、青樹さんの名前が浮かび上がっている。
「俺は小学生かよ。どれだけ好きなんだって」
書いた記憶はないが自分の行動に呆れ、俺はベッドに潜り込むのだった。
二度寝したせいか俺の目覚めは良かった。
スマホに設定したアラームよりも早く起きた俺は、机に置かれたノートを鞄に押し込むとベッドに腰を下ろした。
昨日はかなり青樹さんとの距離が縮まったと思う。
このまま行けば夏休みは付き合ってたりして……。
妄想に頬が緩むがここで調子に乗ってはいけない。
昨日の帰りだって青樹さんは知らない男と帰っていたし……もしかして彼氏ってオチも考えられる。
「——っ!」
不意にズキリと頭に痛みが走る。
痛みはすぐに治ったが、昨日の晩も吐いたし体の調子が悪いのかもしれない。
続くようなら病院にでも行かなきゃならない。
まぁ、それはそれとして……一度、山平に青樹さんのことを相談してみるか?
部活ばかりで恋愛事に興味があるとは思えないが、何かしらのアドバイスをくれるかもしれない。
登校していると校門近くで青樹さんの姿を発見する。
恥ずかしそうに小さく手を振られたので、俺も手を広げて応えた。
これが青春なのかと実感してしまう。
「おはよ、青樹さん」
「おはよう円井くん。昨日はありがとうね」
たわいもない会話んしつつ、俺は昨日の男のことを聞こうか迷っていた。
めちゃくちゃ聞きたいが、すごく露骨な気もする。
すると青樹さんの方からその話題をふってきた。
「昨日昌也くんと帰りに話してたんだけど、あの喫茶店、隠れた名店なんだって」
「えっ、昌也くんって昨日の?」
「あっ、……うん。今は引っ越しちゃったんだけど、うちの近所に住んでた一つ年上の幼馴染なの」
幼馴染。
青樹さんの好きな小説を考えれば、かなりの危険を感じる。
「そ、そ、そ、その、か、か、彼氏とか?」
やばい、めちゃくちゃどもってしまう。
青樹さんはキョトンとした顔をすると小さく笑った。
「そんなんじゃないよ。昌也くんモテるし、それに彼女いるから」
「そ、そうなんだ」
心の中でガッツポーズをしようとして、ふと思った。
見方によっては彼女もいるから好意はあるけど諦めてるとも捉えられる。
「円井くんもモテるでしょ? すっごく話しやすいし優しいし」
「ま、まさか。俺の非モテっぷりは伝説級だよ」
「ふふふふっ、じゃあ私と一緒だね?」
微笑む青樹さんは抜群に可愛い。
このままずっと話していたいところだが、教室に近づいてしまう。
さすがに昨日の今日だと時間差で中に入ると、山平はとてもいやらしい笑みを浮かべていた。
「円井もスミにおけねぇな」
「な、なんのことだよ」
「最近やけに登校時間が遅くなったな」
「うっ」
「それに幸せそうな顔してるよな?」
「いや、それは」
「ちなみにここの窓から校門は丸見えだからな」
実に嬉しそうに山平は笑っていた。
恥ずかしいが、もともと山平には相談するつもりだったんだ。
「そ、そのことでご相談が」
「おう。面白い話聞かせてくれよ?」
山平は俺の肩を叩くと親指を立てた。
昼休憩になると俺と山平は人気の少ない場所を探し、屋上に繋がる階段の踊り場にやって来ていた。
「で、もう付き合ってるのか?」
山平は直球を投げて来た。
「いや、まだ告白もしてない」
「はい。青樹のこと大好きなのは決定だな」
誘導尋問だと言いたいところだが、それも今更だ。
「まぁ、前から円井は青樹のこと見てたもんな。青樹も見てた気がするしお似合いだよ」
「そ、そうか? あぁ、でも青樹さんって男の幼馴染がいるんだよ」
「あぁ、川原先輩ね」
その名前を聞いて、不意に頭に痛みが走る。
俺は相当に嫉妬してるのだろうか。
「知ってるのか?」
「あぁ、部活の先輩だからな。まぁ、あの人よりよっぽど円井の方がお似合いだよ」
山平は笑うでもなく、むしろ少し不愉快そうな顔をして踊り場に置いてある机に腰を下ろした。
「で、いつ告白するんだ?」
手に顎をのせた山平は、さっきの表情が見間違いかと思えるほど愉快そうな笑顔を浮かべる。
「決めてたら相談とはいわないだろ?」
「それもそうか。しかし、まぁ、面白くなってきたな」
「面白がるなよ」
よっ、と机から飛ぶように降りた山平はバシバシと背中を叩いてくるが、俺は山平に話したことで随分と心が軽くなっていた。
それからはちょくちょく俺と山平はこの場所で話をしていた。
青樹さんとは登校の短い時間を話すだけで、大した進歩は未だない。
「円井、来週の土曜日7月2日、隣町で夏祭りがあるのは知ってるな?」
「あぁ、いつも花火を上げてる祭りだろ?」
「そう。花火だ。青樹はメルヘンチックな少女だろ?」
「純粋と言え」
「花火をバックに告白なんかされた日には二つ返事でオッケーされるぞ」
「本当かぁ?」
えらく担がれてる気もするが、確かに青樹さんが好きそうなシチュエーションだ。
「間違いない……とまではいかないが、このままほっとけば何もないまま夏休み入りだな」
「まぁ、夏休みまでに付き合えたらっては思うけど」
「決まりだな。どうする? 言いづらいなら俺が青樹に言ってやるか?」
「さすがに自分で誘うよ」
そう答えたものの、誘うと考えただけで鼓動が速くなる。
山平にがしりと肩を掴まれ教室に戻ろうとすると、見覚えのある男が女を二人連れて、すれ違うように階段を登っていった。
「今のって」
「あぁ、川原先輩だな」
一瞬、隣の山平の顔が険しくなる。
もしかしたら山平は川原先輩のことが嫌いなのかもしれない。
「今の時間から屋上に向かうのって」
「喧嘩だろ? あれ二人とも彼女だから。とうとうバレて修羅場に突入だろ」
山平は吐き捨てるように言葉を続けた。
「あの人はゲスなんだよ」
山平が嫌うのも無理はない。
俺だって嫌悪感を覚える。
このことを青樹さんは知っているのだろうか?
俺は形容し難い不安に襲われるのだった。
「それじゃあ」
「うん」
結構クラスでも噂にはなっているが、俺と青樹さんは別々に教室に入る。
すでに花火大会は今週の土曜日だが、実はまだ誘えていない。
俺の前の席では鋭い目をした山平が睨みを効かせている。
「誘えたか?」
「……まだです」
山平の親指が下に向けられる。
「今日はもう水曜日だぞ。さすがに明日の朝までに円井が言わなかったら俺が言うからな」
「お代官様、それだけは、それだけは何とぞご容赦を」
ちょっとふざけたら山平に頭を叩かれた。
俺だって青樹さんと一緒に花火は見たいんだ。
だけどいざ誘おうとすると、幸せな朝の登校まで失いそうで躊躇してしまう。
「明日がタイムリミットだからな!」
山平にクギを刺されてしまった。
明日誘うと思うだけで今から緊張してしまう。
俺は心ここに在らずの状態で授業を受け終わると、帰途についた。
帰り道、さてどうしたものかと考える。
直球で攻めればいいのかもしれないが、俺はそのあたりヘタレなので変化球で様子を伺いたいのだ。
ふと、あるアイディアが思い浮かんだ。
確か青樹さんがおススメしていた小説で、花火を題材にしていたものがあったはずだ。
それを読破し、その話題から「そういえば週末隣町で花火大会だよね」と自然な流れで誘えばいいのだ。
我ながら妙案だと、俺は書店に急いだ。
女性用ライトノベルのコーナーは中々に居心地が悪いが、俺は心を無にしてその本を探した。
——あった!
「円井くん?」
手を伸ばしたと同時に声をかけられた俺は、そのままの体勢で固まり首をゆっくり背けた。
その声の持ち主は最も会いたくて、でもここで最も会いたくない人だったから。
「ひ、人違いでは」
「あっ、円井くん、その小説読むの? それ本当に面白いよ」
あぁ、俺のプランは崩壊した。
だけど待てよと誰かが心で囁く。
これもまたチャンスなんではないだろうかと。
俺は2度、3度と大きく深呼吸をした。
「うん。青樹さんがススメてくれたから読んでみょううと思ってさ。そ、そういえば今週花火大会がありゅよね?」
めちゃくちゃ噛みまくった。
青樹さんはキョトンとした後、口に手を当てて笑った。
「円井くん、花火好きなの?」
「好きっていうか、こ、この小説読んでから見ると、また違った感じなのかなって」
「あっ、分かる。同じ光景でも物語を読んだ後だと感慨深くなっちゃうもんね」
心の中の山平が叫ぶ。「今だ、ここだ!」と声を荒げる。
「青樹さんも一緒に見に行かない?」
言った。
俺は言った。
めちゃくちゃ声が震えていたけど、俺は言い切った。
青樹さんは下を向いてしまった。
俺もきっと耳まで真っ赤だ。
「……花火……をだよね?」
「あ、うん。ダメ……かな?」
「……うん」
その言葉に俺の顔色は赤から青に変わっただろう。
「大丈夫」
「じゃ、じゃあ土曜日に」
「うん」
青樹さんは恥ずかしそうにその場を走り去っていた。
「っしゃぁぁぉー!」
嬉しさのあまり声を出した俺に、周りにいた見知らぬお姉さんは拍手をしてくれた。
恥ずかしいけどなんか嬉しい。
「土曜日に」なんて言いつつも、もちろん明日も学校で青樹さんと会うことに気づいたのは書店を出てからだった。
おススメ小説を一晩で読破した俺は、校門前で青樹さんに出くわした。
いや、その時間に合わせて登校しているのだから当たり前なのだが。
「お、おはよう」
「お、おはよう」
昨日のことがあってかぎこちない挨拶だ。
だけど俺が小説の感想を言い出すと、いつもの会話に戻っていた。
あれだけお互い恥ずかしがってたのが嘘のように、待ち合わせ場所も決まり楽しみだよねと言い出す始末。
教室に入り真っ先に山平に向けて親指をたてると、秒で親指を立て返された。
もう俺の頭の中は土曜日の花火大会でいっぱいだ。
だってこれって……デートだろ?
脳内では緻密なプランが立てられる。
戦場へと向かう装備も一新しなければならない。
そんな夢の中のような日々を過ごし、花火大会当日を迎えた。




