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放課後の校舎裏。
人の気配はなく、部活のランニング中だろう掛け声が遠くから聞こえてくる。
少し困ったような顔をした女の子は、俺の視線を避けるように俯いた。
こんな場所に呼び出したのだ。
今から何を言わるかなんて簡単に想像がついているのだろう。
だが俺は知っている。
こんな定番のシチュエーションに彼女は憧れているのだと。
「……えっと。なにかな円井くん?」
蚊の鳴くような声を出す青樹 空は、細い体を隠すように腕を前で組んだ。
校舎の隙間を縫って走る風が肩まで伸びた黒髪を揺らし、やや細めの目を覆い隠してしまう。
クラス片隅でいつも本を読んでいる彼女。外見の地味さも相まって暗いイメージが付きまとうが、彼女を知れば知るほどに俺は心を奪われていた。
ここで恥ずかしがってはいけない。
そしてあまりに真っすぐに見つめてはいけない。
一度視線を彼女の足元に落とし、言葉を発しながら徐々に上に持っていくのが正解のはずだ。
「……俺、青樹さんのこと、ずっと好きでした。俺と付き合ってくれませんか?」
俺の告白にピクリと体を震わせた青樹さんは、恥ずかしさを隠すように後ろを向いた。
俺が答えを一語一句聞き逃さないように耳を傾けると、彼女は駆け出した。
それはもう陸上部かと思えるような勢いで。
「……ごめんなさい」
俺が唖然とする中、風に乗った言葉は確かにそう告げていた。
今回はかなりの自信があった。
その顔を見られないように後ろを向いた青樹さんは「……うん」と答えるはずだった。
まだ何かのピースが足りないのか?
薄れいく意識の中、俺は遠ざかる彼女の背中に向けて手を伸ばすのだった。
——37回目、失敗。
「うわぁぁぁ!」
体の奥から這い出てくるような寒気を感じて俺は飛び起きた。
顔に手をやれば汗でびっしょりだ。
目覚めから少し遅れて、朝を知らせるアラームがスマホから等間隔で鳴り響く。
画面に触れて音を消すと今日の日付が表示されている。
——6月7日。
俺にとって16歳で迎える38回目の6月7日が始まった。
人に言えば漫画や小説の読みすぎだとか、厨二病かと言われるだろうが、俺、円井 月也は一定期間をループし続けている。
まるで電脳世界の中に放り込まれたように6月7日から始まり、ある種の失敗を犯すことで再び同日に戻される。
37回も失敗していれば何が引き金で戻されているかは明白だ。
青樹 空。
パターンはいくつかあるが、彼女が起点なのは間違いない。
大前提となるのは二つ。
彼女に告白し、フラれると俺は6月7日に戻される。
そしてもう一つは何もしないまま7月7日の19時7分を迎えると、やはり戻される。
何故7月7日なのかは28回目の失敗の時に理解している。
その日の19時7分に彼女は一つ年上の先輩、川原 昌也に告白される。
そして彼女がそれを受け入れた時に俺は6月7日に戻されていると考えられる。
もちろんその告白を邪魔したこともあったが、その時間が分岐点なのかループは繰り返された。
これは憶測でしかないが、7月7日までに青樹さんに告白して結ばれない限り、俺はこのループから逃れられないのだろう。
俺はベッドから起き上がると勉強机の椅子に座り、引き出しから新品のノートを取り出した。
あと20分もすれば下から「いつまで寝てるのよ。学校遅刻するわよ!」と母さんの怒鳴り声が聞こえてくるのだが、この時間はとても重要な意味を持つ。
記憶を掘り起こして今までに培った経験を書き出さないといけないからだ。
流石に37回分の記憶を事細かに書くことは出来ないが、要点だけでも残しておかなけばいけない。
何せ学校に向かう頃には小さな記憶から徐々に薄らいでいくのだから。
記憶がなくなるわけではない。
青樹さんのことは覚えていられるし、ループしていることも覚えていられる。
ただ、例えば3日前の夕食を思い出せと言われるのと同じように、その時とった行動とその結果が朧げな記憶となってしまう。
同じ状況になるなどのきっかけがあればある程度記憶は蘇るが、事前準備として持つべき情報は多い方がいい。
まず書くべきこと。
6月15日の登校中、遅刻寸前の青樹さんは校門手前で派手に転んでしまう。
ばら撒かられた鞄の中身集めを手伝うことで、俺と青樹さんは話をする関係になる。
6月18日は……。
「まるでストーカーだな」
何とか時間内に書き上げた俺は、他人が見れば警察に通報されそうな内容のノートを見て苦笑した。
「ちょっと、月也! いつまで寝てるのよ。学校遅刻するわよ!」
「今降りるって」
返事をしながら表紙に38のタイトルを書いてを片付けると、俺は階段を降りてリビングに向かうのだった。
「おはよー」
「おはよー」
教室に入れば朝の挨拶が飛び交い、始業のチャイムが鳴るまでは雑談が続く。
席に着くと毎回のごとく俺の前に座る山平が、椅子の背もたれに体を預けて笑いかけてくる。
「おい、円井、聞いてくれよ。昨日さ」
「また部活の話か?」
「そう言うなって。でさ……」
卓球部の山平は、昨日の部活の愚痴を俺に話すのが朝の日課だ。
面白おかしく話す才能があるのか、聞いていても退屈はしないのだが、薄れた記憶とはいえ同じ話を何回も聞かされれば飽きもする。
まぁ、本人は初めて話すことなんだろうけど。
適当に相槌を打っていると、教室の後ろの扉から中を伺うように青樹さんが入ってくる。
小走りで席につくと大きく息を吐き出し、教室の中を見渡してから鞄の中身を机に入れていく。
まるで小動物のような細やかな動きは見ていても微笑ましい。
「でさ、その時先輩がさ。っておい、円井聞いてるか?」
俺の視線の先を追いかけた山平は、小さく鼻で笑うとぐいと顔を近付ける。
「また青樹のこと見てるのかよ。さっさと告りゃいいのに」
「それが出来たら苦労してないさ」
「えっ!? お前……えっ!?」
今までは山平の冗談まじりの言葉を軽く流していた。
だが今回の俺は真面目に答えてやる。めちゃくちゃ慌てる山平だが、これも成功のための一歩となると睨んでいる。今までと違うことをしなければ道は開けないのだから。
そもそも最初のタイムリープ。つまり事の発端はこの会話からだ。
当時というのも変な言い方だが、俺は青樹さんに興味こそあったが、別に恋愛感情を持っていたわけではない。
まぁ、よく見れば俺の好みの顔つきで、別に好きな人がいるわけでもなく、「あんな子が彼女だったらな」と思っていた程度だ。
興味がないとつっぱたのだが「円井ならいけるって」とおだてられ、放課後に山平が青樹さんを呼び出して俺は告白した。
『青樹さんて可愛いよね。彼氏とかいないんだったら俺と付き合わない?』
そんな軽薄な告白に深々と頭を下げて謝り、断った青樹さん。
小さな心の痛みはあったが、山平に担がれたかなと思ったものだ。
だがその瞬間から俺のループが始まったのだった。
2回目はフラれた記憶だけが残っていて、告白しないまま7月7日を迎えた。
4回目でループしている事に確信し、7回目でループの鍵が青樹さんだと知り、試行錯誤を繰り返して現在に至る。
不思議なことに彼女を知れば知るほど俺は惹かれていった。
だが彼女の好みを知り、成功の自信があった前回を思えば、新たな材料を見つけるにも手探り状態になった今回は気の重い始まりだといえる。
そんな俺の苦悩も知らず、体勢を戻した山平はボソリと呟いた。
「でも青樹って、この学校の一つ年上の先輩と幼馴染で仲がいいし、持ってかれちまうぞ」
「はぁーー!? ちょっ、お前!」
先ほどの俺の対応を変えたからか、爆弾発言が飛び出した。
いや、それが川原先輩だとは知っているし、なんなら7月7日に結ばれることも知っている。
問題なのはその情報を知った上で俺を告白させようとしていた山平だ。
前のめりになり肩を掴む俺から逃げるように、山平は後ずさる。
問い詰めようとしたが、タイムアップを知らせる始業のチャイムが鳴ってしまった。
もちろん逃しはしない。
ノートの切れ端に『取り調べは昼に行う』と書き込み丸めて前の席に送ると、何故か前を向いたままの山平にサムズアップで返された。
約束の昼まではとても長く感じられた。
4限目終了と共に山平の肩をがっちりと掴み、なるべく人気のない屋上へと続く階段まで連行していく。
右手に持つ30cmのプラスチック定規を左手に当てペチペチと音を立てながら俺の尋問が始まる。
「さて、容疑者山平。俺の納得する答えをもらおうか?」
「えっ? 何? 何で怒ってんの?」
「あくまで容疑を否認する気かな? 君は青樹さんに幼馴染がいることを知っていたね?」
「あぁ、川原先輩ね」
あっけらかんと答える山平だが、川原先輩は卓球部。コイツが知っているのは当然のことだ。
何せ過去のループでは川原情報は山平から仕入れていたんだから。
「で、青樹さんが川原先輩に気があることを知っていたね?」
「気があるっていうか、仲良く話しているのは知ってるよ」
うん。そこまではいい。
「じゃあ何で俺に告らせようとしたのかなぁ?」
怒りを抑えるために作り笑顔をしているが、定規のペチペチという音がバチンと大きなものに切り替わる。きっとそれに恐怖を感じたのだろう。
はっと目を見開いた山平は俺の言葉の意味を理解し、何度も首を横に振って無抵抗を示すように両手を上げた。
「ま、待て。待つんだ円井。違う。違うんだ」
「ほぉ? ちゃんとした理由があると?」
今度は何度も首を縦に振る山平。
俺は定規の動きを止め、小さく息を吐き出した。
「理由があるなら教えてくれ」
「あんまり人に言える話じゃないし、どこまでが本当かまでは分からないんだけどさ……」
山平は川原先輩のことを語り出した。
自分が見たもの聞いたもの。
先輩や後輩から人伝いに知ったこと。
途中話が脱線することもあったが、山平は話してくれた。
簡潔に言えば川原先輩は……いや川原はゲスだった。
ゲス川原は現在二人の彼女がいるらしい。
確かに整った顔立ちだし、運動神経もいいらしい。
そんなゲス川原がなぜ7月7日に青樹さんに告白するのか?
それは今いる彼女の一人と別れ話の真っ最中だからだ。
もちろん一人と別れても一人の彼女は残るのだが、『俺には右と左に一人ずつ女がいるのが1番落ち着くんだ』とのふざけた理論もつゲス野郎。
しかも青樹さんは2番目の彼女ではなく、2番目の彼女が出来るまでの繋ぎとして目をつけられているらしい。
山平的には可哀想な子だなと思う程度だったが、俺の態度を見ていてゲス川原に弄ばれるよりはと告白を推したそうだ。
俺の本気度を感じて焦ったらしいが。
山平が話し終えた時、俺は怒りで駆け出していた。
「お、おい! 円井!」
後ろで山平の声がした。
何度も転びそうになりながら廊下を走り、川原のクラスの教室へ駆け込む。
川原は机の上に腰を下ろし、女と話をしていた。
その顔を見て俺の頭は真っ白になっていた。
定規を投げつけ怯んだ川原の顔を思い切りぶん殴ったのは覚えている。
暴れに暴れて、周りの男に取り押さえられ、気がつけば逆に何度も殴られていた。
教師たちが騒ぎに駆けつけ俺は保健室送りとなり、明日改めて話を聞くと家に帰される。
学校からの連絡で両親に怒られても、翌日生活指導の教師にワケを話せと言われても俺は無言を貫いた。
まず真っ先に伝えるべきは青樹さんだと思ったからだ。
謝罪も絶対にしなかったが、川原や川原の両親が大事にしなかったらしく、俺は一週間の停学を言い渡された。
一週間振りの学校は俺の居場所を奪っていた。
唯一真相を知る山平は話しかけてきたが、他の連中からは危ない奴という烙印を押されていて、明らかな距離を取られている。
「なぁ、円井」
俺は山平の呼びかけに冷たい視線を返す。
別に山平が憎いのではない。
ただ胸に穴が空いたような空虚な気持ちが俺を埋め尽くしていた。
諦めたように体を前に向ける山平。
俺はそっと視線を青樹さんに向けた。
今回も失敗だ。
もう告白するしないの話ではない。
だけどここまで大きく変わってしまうと、またループするかなんて分からない。
なら俺がすべき事は例え嫌われようとも、青樹さんに川原のことを伝えることだ。
彼女が不幸になる姿など絶対に見たくはないのだから。
その日の帰り、俺は校門で青樹さんを待っていた。
彼女は俺を見てビクリと体を震わせたが、むしろ逃げ出そうとはせず口を一文字にしてこちらにやって来た。
普段重なる事のない視線が絡み合う。
そう、今までのループでいつも目を逸らしていた青樹さんは、俺の目を真っ直ぐ見ていた。
睨みつけるように。
俺は声を発することが出来なかった。
「なんで……なんで昌也くんを殴ったんですか? 昌也くんが貴方に何かしたんですか?」
彼女は睨みながら目に涙を溜めていた。
大人しい彼女がここまでするんだ。青樹さんの中の川原はとても大事な存在なんだろう。
それが悔しくて、腹が立って……。
「なんで……」
青樹さんの目から涙がこぼれ落ちた瞬間、俺の中で何かが崩れ落ちた。
今、青樹さんを泣かせているのは俺なのだと。
どれだけ頑張ろうと、どれだけ川原がゲスだろうと、俺は勝てはしないのだと。
「……ごめん」
俺の口からようやく言葉が漏れた。
「——ごめんって。私じゃなくて昌也くんに謝って下さい!」
青樹さんは泣きながら俺の胸を叩いた。
2度、3度と力無く叩いた。
そのまま泣き崩れる彼女を置いて、俺は家に帰り引き籠った。
どれだけの時間が経っただろう。
俺は睡魔ではない、意識が薄れる何度も味わった感覚に陥った。




