第57話「陸軍大学を受験する時期だな」
ベネル市を後にしたゼニス大尉率いる第1中隊は、予定通り第2軍団と合流するため、アンリ大将のいる軍団司令部に向かった。
軍団司令部と言っても、立派な建物があるわけではない。野戦軍である軍団司令部は、街から離れた荒野に存在する。特に第2軍団司令部は、地域一帯が見渡せるように小高い丘の上に設置され、そこにはいくつもの天幕が立ち並んでいた。
指揮官自ら周囲を確認し易い地形への布陣といい、測量でもしたのではないかと思えるほど整然と立ち並ぶ天幕といい、それを指揮するアンリ大将の人柄を思い起こさせる。
戦闘には勝利できるので、戦時の上司としては頼りになる人物だ。例え要求が厳しく、気が抜けなかったとしても、あの人なら生き延びさせてくれるのではないかと言う安心感がある。だが、これから戦争は和平に向けた準備に進んでいる。この様な時期であると、アンリ大将の様な口うるさい上官に仕えるのは、少しばかり億劫だ。特に、ゼニス大尉の部下達は、アンリ大将好みの細部まで高い意識が充溢した精鋭とは程遠い。彼らをまとめ上げてアンリ大将に仕えるのは、かなり気を使う事になるだろう。
だが、アンリ大将は共和国軍の中で、唯一ゼニス大尉達の活躍を認めてくれた人物だ。これまで蔑まれ、無用な危険を押し付けられていた事を思えば、多少の不便は甘受すべきだろう。
ゼニス大尉はそんな事を考えながら、アンリ大将のいる天幕に向かって行った。
「第1特別歩兵連隊第1中隊長ゼニス大尉、着隊の報告に参りました。入ります」
入口ではきはきと用件を述べると、中から入るように指示があった。
「本日付けて第1……」
「それは今聞いた、再度言わずとも良い」
正式な報告をしようとしたゼニス大尉を、アンリ大将は軽く手を掲げながら制止した。気勢をそがれたゼニス大尉は、次に何を言うべきか迷い、思わず瞬きを繰り返した。
「ところで、ベネル市から来たばかりだと思うが、ハンザ中将が解任されるという話は聞いたか?」
「いえ、聞いておりません。ベネル市を出発する時には、その様な話は広がっていなかったと思います」
「そうか、お前たちの出発とは、入れ違いだったかな?」
第1師団長のハンザ中将は、ベネル市を拠点にアスミタ村を含む地域の防衛を担当している。そのため、ハンザ中将が解任されるのであれば、ベネル市中がその話題で持ち切りになるだろう。それなのに、まるで聞こえてこなかったと言う事は、その件がベネル市まで伝わっていなかったと判断して良いだろう。
「しかし、何故ですか? ハンザ中将が第1師団長に就任したのは、ほんの一か月ちょっと前の事ですが。いや、全く不適格だとは思ってますが」
ハンザ中将は、軍事的素養がまるで無く、政治的な駆け引きだけで将軍に登りつめた人物だ。当然、最前線の指揮官には向いていない。だが、これから停戦交渉が本格化する事を考慮したならば、多少無能な人物が師団長をしていたところで、実害は少ない。
もちろん、その様な無能に仕えなければならない将兵は不幸であるが、その事は考慮しないものとする。
「お前なら話しても構わんと思うから話すが、奴には内通の疑いがかかっていてな。それでだ」
「内通……ですか? 確かに、色々と思い当たる点はありますが」
第1師団長に就任してからのハンザ中将の動きは、確かに不審な点が多かった。アスミタ村が敵に襲撃された時、全く増援を寄こそうとしなかった事など、その際たる例であろう。まるで敵に攻めてきてくださいと言わんばかりの行為であった。
思えば、ハンザ中将が第1師団長に就任した直後、戦線を後退してベネル市に引きこもった事も怪しい。その時は、軟弱な貴族出身のため野外で寝泊まりするのが嫌だったのだろうくらいに思っていたのだが、今となってはそうとばかりとは思えない。前師団長であるアンリ大将がせっかく押し上げた戦線を後退させ、それまで確保していた地域をあっさり放棄してしまったのだ。
確かにあの後すぐに休戦になったため、放棄した地域を敵が完全に確保する事は無かった。だが、もしもあの地域を放棄していなければ、いかに休戦協定破りの奇襲をされたとしても、アスミタ村やその周辺の村まで敵が侵攻する事は出来なかっただろう。
「まあ、まだ証拠は揃っていないので、処分は出来ん。だが、奴に戦力を持たせるのは危険だと言う事になってな。形式上は中央への栄転になっているが、証拠さえそろえば機を見て処分が下るだろう」
「証拠は、見つけられるんでしょうか? それに、見つかっても事を荒立たせないために見過ごされる可能性があるのでは?」
政治的駆け引きというやつで、ハンザ中将に貸しを作るためにあえて黙認される可能性も十分にある。
「意外と、権謀術数に想像が及ぶものだな。お前の様に派閥に加わらない人間は、そう言った事に疎いと思っていたぞ」
「派閥に属していないというか、どこにも加われないと表現した方が正確ですから。これでも昔は立身出世を夢見てましたので」
「確かに、士官学校首席ともなれば、立ち回り方によっては将軍まで行けたかもしれんな」
ゼニス大尉は一時期バラス殿下と呼ばれる、旧王族の下で働いていた。バラス殿下は旧王族という事もあって王党派に発言力があるのだが、本人の思想は完全に共和派である。しかも、過激さはなく穏当なために両派閥に顔が効く。彼の下で手柄を立てて行けば、軍功的にも派閥的にも立身出世は間違いなかっただろう。
まあ、うっかりミスで、一回バラス殿下を戦死させてしまったため、その夢も潰えたのであるが。
「心配するのも分かるが、今回の件は共和派の連中が息巻いていてな、王党派の首魁たるハンザ中将の息の根を止める絶好の機会だと考えている。手加減する事はないだろう。俺はノンポリだから、そんな派閥争いは下らんと思っているが、まあ仕方あるまい」
派閥に参加することなく、純然たる軍事的能力でのし上がったアンリ大将の実力は凄まじいものがある。余計な政治的思惑で動かないので、両派閥からしてみれば便利な存在なのかもしれない。だが、彼の様に実力のみでのし上がるのは、ゼニス大尉の様に士官学校出身の将校としては、一種の憧れの対象だ。
「ところで、お前の経歴を見たが、もうそろそろ陸軍大学を受験する時期だな。ちゃんと勉強はしていいるか?」
「……いえ? 特にしてはいませんが」
「何故だ? 士官学校出身の将校にとって、陸軍大学を目指して勉強するのは、一種の義務の様なものだ。例え合格しなかったとしても、その時勉強した事は必ず勤務において役に立つ」
「その通りですが……」
ゼニス大尉は口ごもった。
アンリ大将の言う事は、完全に正論である。非の打ち所がない。しかし、陸軍大学受験には筆記試験による一次試験の後、面接試験がある。筆記試験は受験者名が分からない様にして採点されるのだが、面接試験はそうはいかない。
ゼニス大尉の様に、過去の失敗により左遷された者が面接試験を突破したことなど、共和国軍の歴史において聞いた事が無い。
「お前の思っている事は、分かっている」
「……」
「だが、お前が真面目に受けるつもりがあるなら、過去の失敗は不問にするように口添えをしておこう。そもそも、あの件は軍事的には失敗に内には入らん。確かにバラス殿下が死んだのは残念であったが、戦場では偶然で人が死ぬのだ。当時の状況を確認したが、特に大きなミスは冒していない。ただ、あの件を派閥抗争に利用されたからお前に責任をかぶせられたのだ。それに、これまた偶然であるが、バラス殿下は生き返り、お前に恨みも持っていない。よって、お前を引き上げない理由は無い」
「しかし、私が陸軍大学に入学したら、私の中隊は……」
第1中隊の部下達も、ゼニス大尉の心配事項である。彼らはゼニス大尉指揮下で、他の誰も比肩できない様な戦果を上げた。しかし、他の指揮官の下で、同じ様な戦いを出来るとは思えない。場合によっては、彼らの使い方を知らない指揮官の下で戦い、戦死しかねないのだ。それだけは絶対に避けたい。
「今回募集の陸軍大学の入学は、半年先になる。俺としては、その半年間で何とかして欲しい。それは、第1中隊の生み出した新しい戦い方を、他の部隊に広める事でもあるし、お前の次に中隊長となれるものを育て上げる事もそうだ。それに、あと半年もたてば講和が成立するだろう。そうなれば、お前の部下が死ぬこともあるまい。それどころか、共和国軍のモデル部隊の一員として将来も安泰だろう。そう取り計らうつもりだ」
「将軍、私は……」
アンリ大将は、ゼニス大尉が心配するような事は全て考慮済みであった。ゼニス大尉の将来も、部下達の事も考えてくれている。ならば、それを断る理由も無い。
ゼニス大尉は、承諾の返事をしようとした。
その時だった。
「軍団長! 緊急報告です! 大怪我をした者が数名、陣地に駆け込んできました! 第一報は以上です。新しい情報が入り次第、再度報告します!」
「いや、俺が直接確認する。案内しろ!」
突如天幕に伝令が駆け込んで来て、不穏な内容の急報を告げた。
すぐに天幕から出て現場に向かおうとするアンリ大将の後を、ゼニス大尉も追いかけて行った。
何か、嫌な予感がした。




