第16話 夏休み納涼”へろへろ女”生け捕り作戦11
ついに、”へろへろ女”出没か!
◆肝試し◆
(何で、こうなっちゃったんだろう〜。もう、ほんとバカなんだから・・・)
すっかり子供達に乗せられてしまった浅はかさに、和美は自己嫌悪に陥ってしまっていた。
(あ〜も〜、ホントに大丈夫なの、レイラさ〜ん)
心の中で呼べど叫べど、レイラは一番後ろ、多分3〜400mは後ろを歩いているはずである。
こんな時は、不安が不安を連れてくる。和美の頭の中には”フ餡”と言う、ほろ苦い餡が寒気がする位に満ちている。
今、和美は湖畔の道路を、湖の奥に向って歩いている。両脇にぶら下がる様にしがみ付いているのは、無表情の澄子ちゃんと、殆ど目を開けない緒湖羅である。
和美の歩いている湖畔の道路の明かりと言えば、取り敢えず設置されたとしか思えない裸電球が、100m程の間隔に足下をレトロに照らすだけで、余り意味をなしていない。
それに、和美達の宿泊しているコテージを過ぎてしまうと、全く建物の影すらも見えてこない。
ただ、虫の音が悲しく響くだけの寂しい道路である。
当たり前の様に、まだ一台の車も通り過ぎていない。
湖畔の道路には、和美達以外には全く人影が感じられないのである。
和美達一行は、初日最後のイベントとして、肝試し大会をすることになったのである。
肝試し大会と言っても、この旅行の一行12名が4組に分かれて、湖畔の道路を1〜2分間隔に歩くだけのことなのである。
しかし、子供達にとって、この「肝試し」はそれだけのことではなかった。
これこそが、最初っから予定されていた今回の旅行の最大のイベント、
”へろへろ女生け捕り作戦”なのだ。
行先は、湖畔道路の奥にあるバラ線の張られた大きな木のある芝地まで。もちろん、これは今日の昼食時にペンションの夫人から仕入れた情報である。
何事もなければ、コテージから往復で約30分だ。しかし、何事もないのでは、目的は達成されない。
子供達にとってこの肝試しは、”へろへろ女”の出没が欠かせないのである。
-その為の準備も万全なのだから-
この肝試しのチーム編成は、もえちゃんの用意したくじ引きで決めることになった。
くじ引きは、和美、レイラ、帯人、庄蔵の大人4人の名前の書かれたカードを子供達+1が引くもので、その4人にくじを引いた子供達2人が加わり、1チーム3人編成の4チームが出来あがった。
さらに、くじ引きで、歩く順番が決められた。
結局、先頭を行くのが、和美、諸湖羅、澄子ちゃんの3人。続いて、帯人、真希未ちゃん、靖子ちゃん。次が庄蔵、もえちゃん、陽太くんで、最後がレイラ、健太くん、雄大くんの3人である。
非常に常識的で、文句の付け所の無いチーム編成が出来上がったのである。因みに、諸湖羅は“+1”の子供扱いであった。
その時は和美もこのくじ引きに、何も不自然に感じなかった。むしろ感心した位である。
しかし、この静か過ぎる道を歩いてようやく気付いたのである。
そうなのだ、子供達の中では初めっから、予定されていた行動だったのだ。
和美は今更ながらそれに気付いたのである。
(この子達にまんまと嵌められてしまったわ〜。何で気付かなかったの~)
悔やんでも悔やみきれない。
(失敗したわ〜。もし、この子達に何かあったら、どうしましょう。あんなに自信満々に、”任せておいて”何てお母さん達に言っておいて、何でこんな安易な行動を・・・。
ホントに出るんじゃないでしょうね”へろへろ女”!)
和美は相手に脚さえあれば、男であっても素手の勝負でそんなに負ける気はしない。こんなところに飛び道具を持った変体が出るとはあまり思えない。
しかし、問題は、足の無い生き物?いや、生きてない者がお出でになられた場合なのである。
それにはちょっとばかし自信がないのだ。
夜の怖さと相まって、普段の和美の強気な心は著しい消耗を始めている。
そこで、和美は頼みのレイラの予報の信頼度を今更ながら気休めに再確認してみた。
「ねえ、諸湖羅さん。レイラさんの予報信じていいんですよね」
「はい。それは、もちろんです。絶対です」 と、言いながら、しっかり和美の腕にしがみついている。
和美は、緒湖羅の自信が何処から来るものなのかは分らないが、唯一余り乗り気で無かった諸湖羅が、レイラの予報の後からは、怖がってはいても心配した様子がないのは救いであり、頼もしく思える。
(それなら、もうちょっと堂々と歩いてくれないかしら。そうしてくれると、気持ちも楽なんだけど・・・。
怖いと心配は全く別なのかしら?若い娘の気持ちはわからないわ)
男っぽい性格の和美には、緒湖羅が少々理解出来なかった。
スタートして5分。和美の先はまだまだ長い。
笹の葉が、”がさがさ”となびく度に、体がびくつき、冷汗が飛び出しそうになる。
その度に澄子ちゃんが気遣ってくれる。
「おばさん大丈夫?」
澄子ちゃんは以外と非現実的な者には強いようで、和美にしがみ付いている割には、足取りが軽やかである。どちらかと言うと、和美にしがみ付くのを楽しんでいる様子である。
そんな、澄子ちゃんのペースに引かれて3人は湖畔道をさらに進んでいった。
和美は何処でこうなってしまったのか、花火の最中の会話を再び振り返るのだった。
◆花火の最中で◆
「レイラさん、それ反対だよ。指、燃えちゃうよ」
着火用に準備したローソクの火に、逆さまに持った線香花火を近づけようとしたころを、靖子ちゃんに指摘された。
花火に一番興奮しているのは、明らかにレイラである。
「あっ、そうなの」 レイラは慌てて持ち替えた。
和美はそんなレイラが、不思議でしょうがない。つい、その姿を楽しげに眺めてしまう。
凄い知識を持っているかと思えば、単純なことを知らない。
冷静沈着かと思えば、他愛もないことで慌てふためいてしまう。
今はどう見ても花火が初体験としか思えない。
喜び方が尋常じゃないのだ。
「わ、わわわ、ねえ、もえちゃん見て、見て。火の玉から火花が出てる」
そう言い、もえちゃんの方を振り向くと、火の玉は大きく揺れだした。
「あれ?もえちゃん」
花火に気を取られていうちに、もえちゃんがいなくなっていた。
「レイラさん落ちるわよ」
和美は、そう叫んだが遅かった。
レイラが花火に目を戻した時には、摘まんでいるのは、ただの撚っただけの奇麗な紙であった。
「ああ〜おぢた〜」
レイラの目が悲しげに一点を見つめて固まっている。
「フフフ・・・」
和美はそんなレイラに微笑みを浮かべながらも、つい先ほどまでレイラの隣で花火をしていた、もえちゃんの姿を探してみる。
他の子の周りを見渡したが、何処にも見当たらない。
(あれ、もえちゃん、トイレかしら?)
和美は範囲を広げて、コテージの庭をくまなく見回してみた。
すると、もえちゃんはコテージの庭の片隅で屈んで小さくなっている。
良く見ると、もえちゃんの友達は人間だけでは無い様だ。
「もえちゃ〜ん、どうしたの」
和美は、もえちゃんに近づきながら声を掛けた。
「うん、なんか呼んでるんだ」 和美の方に振り向いて、そう声を発するが、動物は逃げようとはしない。
「呼んでるって〜、その動物が」
「うん」
真剣に頷いている。
「うそ〜」
もえちゃんは、見たことの無い耳の長いタヌキの様な奇妙な動物と向かい合っている。和美はここに来て、まだもえちゃんのこの姿を見ていなかった。
もえちゃんに近づく和美に気付いたレイラも、線香花火の落とした火の玉からの金縛りから解放され、和美の後に続いた。
その後には、和美と一緒に花火をしていた靖子ちゃんと澄子ちゃんも後を付いて来ている。
和美が近くに寄ると確かにウサタヌキは鳴き声を上げている。その仕草も好意的に見ると慌てて何かを伝えている様にも見えなくはない。
「くーくー、くーくー・・・・・・」
「もえちゃん、呼んでるって?」
「うん、来いって」
「また〜、うそ〜、もえちゃん言葉分るの」
和美にはもちろん信じられない。
それに、あっさりと
「分んないよ。だって言葉しゃべらないも」
「だって、さっき“来いっ”て、呼んでるって・・・」
「言葉じゃなくて、感情の羅列なんだ」
和美は羅列と言う言葉を知っていることに驚いたが、本題はそこではない。
靖子ちゃんと澄子ちゃんも
「もえちゃん凄〜い」
と手を叩いて喜んでいる。
(うそでしょ・・・)
和美は幾ら梢の子でも、受け入れ難い出来事であった。
◆メインイベント◆
「あれ、またもえちゃんのところに来たの?」
レイラも、こう何度も現れると何かあると思ってしまう。
「うん、そうなんだ。レイラちゃんは怖がるのに、もえの所にはよく来るんだよ」
レイラも信じがたいが、何かがもえちゃんにあることは間違いない。それは驚きとして認めるところなのだが、自分のことだけを怖がっていると、もえちゃんに思われるのはちょっと納得がいかない。
そこで、レイラはちょっと胸を張って日中の出来事を話してみた。
「さっきね、私のところにも来たのよ」
「ほんと〜?」
レイラには不本意だが、もえちゃんは、レイラのところにウサタヌキが近づいたことを疑っている。
「もちろん、ホントよ。もう~」
そこで、レイラは今目の前に居るウサタヌキに、日中に木の上で予報をしたウサタヌキの真似を忠実にやって見せた。
「くーくくく、くーくー・・・・・・」 手足の動かし方から、顔つきまでがウサタヌキに見えてくる。
すると、
「くーくくく、くーくー・・・・・・」
驚いたことに、目の前のウサタヌキもレイラと全く同じ鳴き声をしてみせた。
レイラには、決してひいき目ではなく、ウサタヌキがどこか嬉しそうにみえてしまう。
自信満々にもえちゃんを見ると、
「レイラちゃん、上手いね。人間とは思えないよ」
もえちゃんのその言葉に褒められたと思い、レイラは一瞬喜んだが、和美が手を叩いて喜んでいるのを見て、その意味を思い直した。
つい真剣になって動物になりきってしまった。恥ずかしさで直ぐに顔が赤くなってくる。
それでも、一応余裕を見せて平静を装い、話を先に進めた。
レイラは顔が赤いまま、
「ウサタヌキくんは何て言ってるの?」
“くん”が付いている。
それを聞いた、もえちゃんはさらに大人になって、気づかないふりで流してくれた。
「月がないとか、出るとか、みんな来いとかそんな感じかな?」
もえちゃんは首をひねって、ウサタヌキに向かって
「くくく、くゅく、くく・・・」
と言うと、ウサタヌキもそれに応える。
「くーくくく、くゅくくく・・・」
「あ〜あ、分って来た。多分、月が出る前にみんなで来いってことかなあ」
(なるほど、来いってことね)
レイラが同時にウサタヌキの過去を覗いて見た。レイラも覗き方を日中の木の上で既に把握している。
すると、数時間前のある男の姿がくっきりと見て取れた。
(そういうことね)
レイラは納得した。
表情には見せないが、レイラにとってはそれよりも、
(しかし、もえちゃん。ホントなの?)
やっぱり驚きである。
東側は丁度、湖の反対の高台側にあたるので、そこから月が顔を出すまでは、まだ40〜50分はあるはずである。
まだ、レイラには何の事件の”気配”も感じられてこない。
(ホントに丁度いい頃かもしれないわね)
レイラはそう思った。
そこに、帯人が残りの全員を引き連れて、ぞろぞろと和美のところにやって来た。
「和美さん、今みんなで、肝試しをしようと言うことになったんですけど、あの~~どうですか」
ちょっと気が引けた様子で、いつもと違って照れながらの小声である。
「えっ、みんなって?」
帯人が指さすところにいるのは、緒湖羅に庄蔵、それに、真希未ちゃん、健太くん、雄大くん、それに和美の息子の陽太くんである。
ただ、諸湖羅だけは、あまり気が進まない様子がありありである。
それに、靖子ちゃんが飛び付いた。
「おばさん、それ面白そう」
「うん、面白そう」
澄子ちゃんも待ってましたとばかりに、珍しく間髪いれずに声を張り上げた。
「ああ、そうね〜、面白そうよね」
和美も、その手のものには弱いくせに、乗り的には大好きである。つい乗ってしまう。
「でしょう、おばさん」 靖子ちゃんの目は、もう真ん丸になっている。
そのまま、一気に決まりそうな雰囲気になった。
しかし、そこでお茶目な和美の後ろ髪を、冷静な和美が引っ張りだした。
(大丈夫?)
和美は考える。問題は危険がないかである。
自分も子供達と一緒に乗り乗りで行きたいのはやまやまではあるのだが、ここは保護者である。
「でも、危険はないかしらね~?」
「危険って何が?もしかして、へろへろ女とか、お化けとかのこと?」
息子の陽太くんが挑発する。
そう言われると、ちょっと怖い気がするが、
「何、言ってるのよ、そんなの居る訳ないでしょ」
「じゃあ、何も居ないなら大丈夫じゃん。食後の散歩だよ」
「夜だから・・・何があるか」
和美は自分の意思を抑えて、客観的に判断しようと心を抑え込む。
「あ~~、きっと怖いんだ」
陽太くんの声は、小声だがしっかり聞こえる音量である。
和美に気を使って、陽太以外の面々は何も言わないが、和美には明らかに、みんなの顔つきは、見掛け倒しの烙印を押そうとしている様に見えてくる。
(なんか、私、弱わっちいかしら?)
それには和美も、冷静さを失い昔の血が騒いでしまう。元来弱いと言う言葉が大嫌いな負けず嫌いである。
そこに、
「おばさん、そんなの怖くないよね」
靖子ちゃんが、援護してくれる。それは和美にとって、とても嬉し過ぎる。
「そんなことないよね」
澄子ちゃんも、和美を見上げて泣きそうな顔でかばってくれる。はっきり言って可愛い。
「そりゃ~。おばさんは怖くないわよ。おばさんに怖いもの何てないもの。強いて言えば、足の無いもの。いえ、蛇くらいのものよ」
蛇は出るかもと、子供達全員は思ったが、もちろん口に出す者等、居るわけが無い。
「さすが~、やっぱり和美おばさん素敵」
真面目な真希未ちゃんがそう言うと、和美もその気になってしまう。
「じゃあ、レイラさんに見て貰って大丈夫だったらにしようよ」
和美の様子を伺っていた健太くんが締めに入る。
非常に良い妥協点である。
「そ~お、レイラさんいいかしら。お休みにこんなこと頼んで申し訳ないのですけど」
「いいよね、レイラちゃん」
和美ともえちゃんがお願いすると、以外にもレイラは簡単に引き受けたのだった。いや、和美には喜んで引き受けてくれた様に見えてしまう。
(レイラさん、反対じゃないのかしら?)
和美は、たぶんレイラは危険が無かったとしても駄目と言ってくれると思っていた。
子供達の事には、将来も含めて慎重姿勢であることは、和美も既に気付いている。
しかし、今回は・・・。
レイラは、両サイドに居るもえちゃんと、靖子ちゃんを順次予報した。そして、靖子ちゃんの予報が終わった後に、誰にも気付かれない程度にくすりと笑った。
それは、レイラには靖子ちゃんの未来がやけに見やすかったのだ。
誰かが意図して導いているかの様子がありありなのである。
その未来に、またある人物が・・・。
(あれ、レイラちゃん笑った)
これで、もえちゃんは大丈夫と確信した。
レイラは、ここに来る前のノシさんの言葉を思い出していたのだった。
「難しく考えないで、楽しんでくるといいと思うよ。そんなに最善のことばかり考えなくてもいいさ・・・」
(そうよね。少しは破目を外して楽しまないと。せっかくの“お誘い”なんだし)
そう思っていた。
レイラは、大きく頷くと
「行ってみましょうか。ウサタヌキも来いって言ってたし」
そうニッコリ笑うのである。
「『わ~い』」
それに、子供達全員が歓声を上げる。不安な表情であった、緒湖羅もレイラの言葉を聞いて安心したのか、ほのかに笑顔に変わっている。
「はっ?レイラさん、動物がそんなことを・・・(言うとでも)」
和美はレイラの意外な言葉と、子供達の歓声にすっかり飲まれてしまい、唖然としたままその場の雰囲気に流されてしまった。
遠くでは微かにバイクのエンジン音がこだまし始めた。
◆ヘロヘロ女現る◆
(そうよね、随分話が上手過ぎだったわよね。もしかして、あの動物もグルかしら)
子供達の連携が台本でもあるかのように見事さに、ある意味感服の和美であった。それに、あの動物も出来すぎである。
(いや、動物は無理よね)
和美は、余計なことが頭の中で渦巻いてしまう。
(まあ、それはもう過ぎたことなのよね、問題はこれからなのよ)
と、気を引き締めようとしても、和美の顔は次第にに弱々しい顔になっていく。
(レイラさ~ん、本当に、本当に大丈夫なの~)
はっきり言って叫びたい。
考えて見ると、和美の知っているレイラの凄さは、子供達から聞いた予報の話と、来る途中のサービスエリアでの腕力の強さだけである。
予知能力があることは、既に疑う余地はない、しかし、何処までの能力であるかは実体験をしたことがないのである。
そんな和美の表情を読み取ったのか、澄子ちゃんが和美に言葉を掛けてくれた。
「おばさん。レイラさんが大丈夫って言ったら絶対に大丈夫だから安心して」
それに目を瞑って、和美にしがみ付いている緒湖羅が頷いている。
「わかったわ、澄子ちゃん。レイラさんが言ったんだもんね」
そう言って澄子ちゃんを見ると、肩から小さな鞄をぶら下げているのが目に入ってくる。
(そう言えば)
すっかり、他の事に気が散ってしまい忘れていたが、出掛ける時に凄く気になっていたのである。
それは、澄子ちゃんだけでない。子供達全員がお揃いの試供品の様なバッグを持っているのである。
(保冷バッグにみえるけど?)
「何持ってるの」
和美は、そう澄子ちゃんに聞いてみた。
「餌」
非常に淡白な返事が返ってきた。
「餌?何の」
「へろへろ女の」
(へろへろ女の?なんで、さっき大丈夫って言ったじゃない、澄子ちゃ~~ん)
そう、大声を心の中で張り上げた時であった。
「おばさん、何か足音聞こえない」
澄子ちゃんが、これまた、しらっと淡白に言ってのけた。
(ほ、ほんと、ほんとだ~、や、やば~)
和美にも確かに聞こえてくる。
諸湖羅が腰を屈めて和美の後ろに隠れた。重い。
足音は物凄い勢いでこちらに向って来る。
「うそ~」
和美は冷汗が出そうになった。
が、
「うん?」
そこはちょっと冷静な和美であった。
(足音が聞こえると言うことは、足が有るのよね。腕力は通じるわね)
和美は、半袖のシャツを肩まで捲り上げた。そして、右手の懐中電灯を諸湖羅に渡そうとしたが、頼りないので、澄子ちゃんに渡した。
本とはかなりドキドキとして、脚も震えているのだが、ここは保護者の力の見せ時である。
「足があればこっちのもんよ」
虚勢を張る。
足音は一人ではなさそうだ。しかし、近づくに連れ、小気味の悪い足音は余り怖さを感じない。
ついに、足音が人影に変わったが、
「あら?」
少し力が抜けてくる。和美は振り上げた拳を下げた。
明らかに普通の人である。それも、弱そうなうろたえた足取りである。
その走って来る物体は、和美達を見つけて声を上げてきたのだ。
「たすけて~」
聞いたことのある声である。
一所懸命に走って来るわりには、さっぱり前に進んで来ない。コントの様な走りである。
和美は澄子ちゃんに渡した懐中電灯を受け取り、走って来る物体を照らしてみた。
それは、なんてこと無い。
弘史と昌史であった。
「あんた達どうしたの」
「あ~あ、和美さ~ん、良かった~」
いきも絶え絶えである二人から飛び出した言葉は、
「出たんですよ」
「出た?えっ、何がよ」
和美はやな予感がした。
「へ、へ、へ、へろへろ女が出ました~」
驚いたおかげで言葉が少女に様に優しくなっている。
「ま、またそんな寝ぼけたこと言って」
和美は出来れば信じたくない。
緒湖羅は、目を瞑って和美にしがみつくだけである。
「ホント、ホントですって」
「い、いや、ぜ、ぜったい、あんた達のみ、見間違い」
明らかに、和美の口調は弘史達に歩調を揃えだした。
「そんなこと無いですって。本当です、この目で見ました。なあ、昌史」
「お、おおー」
昌史も震えながら頷いている。
「いや、ぜ、絶対み、見間違い。い、行くわよ。あんた達も付いてきなさい」
こうなると、和美は見間違いであることを信じたいのと、負けず嫌いが災いして、避けることをしらない。いのししの様に
真っ直ぐに進んでしまう。
一人では、とっても様子を見に行けない和美は、みんなを道連れに、進めたくない笑った膝を無理に持ち上げる。
その両サイドには、緒湖羅と、澄子ちゃん。そして、その後に弘史と昌史が続く。
そこに、やや温かく、そして微妙に涼しい風が、全員の頬を微妙な感触で掠めていく。それに、排尿の後の様に”ぶるっ”と震える。
全員が一緒に震えたので、お互いの顔を見合わせけん制し合う。
みんな顔を意味も無く横に振っている。
だが、その風はこの後起こることの完全な予告であった。
「お・ば・さん」
「何、澄子ちゃん(ドキッ!)」
和美は、いきなり澄子ちゃんに呼ばれて、いやな予感が物凄い勢いで走り出した。両腕の皮膚に妙な神経が走る。
「おばさん、手がざらざら」
「はっ?」
「手がざらざら」
「やだ、おばさん鮫肌なのよ、夜になると」
「そっかあ」
(も、澄子ちゃん勘弁してよ)
そう思ったがここは余裕を見せなければならない。笑顔を向ける。少し引きつっているかもしれないが。
すると、また澄子ちゃんが、続けざまに和美を呼んだ。
「おばさん」
また、澄子ちゃんが話しかけてきた。
今度は、また同じ様なことだろうと思って、和美も安心して返事をした。
「な~に」
自分ながら笑顔が素敵なんて思ったりして。
ところが・・・。
「今、あそこの電気の少し向こうに白い服を着た人がいたよ」
平然と言ってのけるので、危うく普通に聞き流すところであった。聞き逃したいところだが、もう一度聞き直す。
「えっ、な、何ちゅうSAY?」
多分、聞き間違いよ。そう祈りながら、古い言い方が飛び出した。
澄子ちゃんは、今度は指をさして応える。
「あそこに白い服を着た髪の長い女の人がいたよ」
今度は、聞き逃しようがない。わかり易いモーション付きだ。
みるみる和美の背筋は、大型の急速冷凍庫並みの出力を発揮し、氷点下モードに移行し始めた。
「えっ、う~、う、う、うそ~~~!!!」
和美は見たくはないのだが、気になってしまうと、怖いもの見たさで自然と目を凝らしてしまう。
目は小気味良く動くのだが、それに反して足腰が思うにならない。
完全に澄子ちゃんに引きずられている。
「ちょ、ちょっと、澄子ちゃん待って。もしかしたら危険かも」
全く恐怖を感じていない、普段物静かな澄子ちゃんは、変わらないペースで和美を引っ張っていく。
そこに、
「あの~何か、変な匂いがしませんか」
目を閉じたままの緒湖羅が和美に追い討ちをかける。
和美は、今度は臭いもの嗅ぎたさで、鼻をくんくんさせる。
確かに、先程まで無かった、何か生臭い匂いがする様な気がする。
(な、なんでよ~、も~、なんでこうなるのよ~)
口に出来ない絶叫が、体を内部を圧迫させてきた。
今度は、自分の耳に届いて来た。
「キーン」という金属音。
「音、き、聞こえるわよね」
小声で確認してみた。
両サイドで頷いている。
その時、後ろを歩いている弘史が
「あそこの木、見て下さいよ。横に何かが・・・」
50m程先で、湖畔道沿に覆い被さる様に右側の土手から迫り出している木に、間違いなく人が旗の様に垂直にぶら下がっている。
歩くと引きずる位に長い白い服を着た髪の長い女性である。
白い服のみが、月明かりにぼんやりと照らされている。
「うそ~」
そこから脚が動かない。
月が雲に隠れて、見えにくくなると、次に月が出たときには誰もいない。
和美は目だけが活発に動いている。
いつ右から左へ移動したのか、今度は、20~30m先の左側の岩陰から青白い顔がこちらを覗き込んでいる。
「だ、駄目・・・」
和美は立っていることが精一杯のプライドである。目だけは、未だ元気である。しかし、その視界から急に青白い顔が消えた。
「き、消えた」
すると、今度は。
何と、気が付けば直ぐ目の前、数メートル先をこちらに向かって歩いて来ている。その歩様はエスカレータにでも乗っているような上下動のない滑らかな動きである。
和美は、何年かぶりに少女に戻った
「キャー」
腰が抜けて動けない。
隣では、目を瞑ったままの緒湖羅が、何も見えない筈なのに
「キャーキャー」
叫んでいる。後ろでは、弘史と昌史が和美の影に隠れていて、しゃがみ込むことも出来ない。
次第に近づいてくる。
女は、へらへらと笑っている。
「へらへら女」
女は、もう目の前だ。
(駄目だ!!!)
そう思った瞬間である。
和美の右脇で、
「しゅぽっ」
缶を開ける音を聞いた。
冷たいものが右脇の隙間をと通って前に出る。
和美は腰は抜けているが、目は動く。
「えっ?えっ? ビール?」
<つづく>
やっと、出ました。