優しい人。
こつん…こつん…
何か聞こえる。硬いものがあたるような物音。私はゆっくりと目を開けた。
自分の部屋ではない。天井が違う。目だけで周りを見渡すと、障子ごしに、優しい日の光がふんわりと室内を照らしている。身じろぎをするとギッ…と木がきしむような音がした。どうやら自分はベッドに横たわっているらしい。
「目が覚めた…わけじゃないのか?」
真っ白な夢の中で、変な人が自分を神様だとか言うし。いきなり訳の分からないことを言われて、夢なら早く覚めたいと走ったのにどうやらまだ抜け出せていないらしい。
今度はなんだ。ここはどこだろう…
起き上がろうとするとズキッと額に痛みが走った。
「痛っった…」
額に手を当てると手当てがしてあるらしく、指先に布の感触がした。夢のはずなのにすごく痛い。痛む部分をさすりながらゆっくりと起き上がり、周りを見回してみる。
「なんだここ…?」
和モダン?なインテリアの部屋だ。サイドテーブルに白い陶製の水差しとグラスが黒塗りの盆の上にのせて置いてある。
盆には自分が握っていたお守りも二つ並べて置いてあった。障子越しにやわらかな陽の光が当たって、なんだかふんわりと光っているように見える。
見慣れない部屋にきょろきょろしていると『こつん』という音が止まり、すうっと障子が開いた。
「あらあらまあまあ、目が覚めたのねえ」
障子のあいだには、少し腰の曲がった和装のおばあさんが立っていた。
「目が覚めてよかったわ~、朝、外に出てみたらうちの庭先で倒れているんだもの。あなた覚えてる?」
優しい目をしたおばあさんはにこにこしながらベッドのそばに来た。杖をついている。さっきから聞こえていた音はおばあさんが杖をつく音だったらしい。そして私はおばあさん家の庭の出入り口に倒れていたと話してくれた。おばあさん一人ではどうにもできず困っていたところを、たまたま訪ねてきた知り合いにここまで運んでもらったそうだ。私はそれからまる一日寝ていたらしい。
「おでこを怪我しているみたいだったけど具合はどう?」
「あ、すみません、大丈夫です。ありがとうございます…っ。」
反射的にそう答える。しかし痛みに顔を顰めてしまいバレバレだ。おばあさんはにっこり笑って首を振った。
「礼儀正しいのね、でもまだ痛むのに無理をしないのよ。大丈夫。」
そういいながら水差しからグラスに水を注いで差し出す。素直に受け取ると一口飲んだ。ハーブ水かな、ほのかな香りがする。すっきりしていて美味しい。
…味も感じる。これは本当に夢か?なんだか分からなくなってきて、考え込む。
「ごめんなさいね、あなたの名前を教えてくれるかしら?」
優しくそう尋ねられた。
「…智斗世です」
とりあえず名前だけ名乗る。おばあさんには悪いけど全部名乗るのが少し怖い。おばあさんは頷いた。
「チトセちゃんね、いい名前だわ。どこから来たの?ご両親は?まだ子供なのだからきっと心配しているでしょう」
私は固まった。…今なんと言いました?子供?私が?
「すみません、鏡…鏡を貸してください」
おばあさんは私が額の傷を確認すると思ったのだろう、すぐに持ってきてくれた。
「……」
私は成人しているし、ちゃんと仕事もしている。年齢ははっきり言いたくはないがいわゆるアラフォーだ。
しかし自分を映しているはずの鏡には10歳程度の少女が映っていた。
しかも明らかに自分の顔じゃない。シミもしわもない色白の肌、口紅が要らなそうな赤い唇。長いまつ毛に大きな黒い瞳。額のガーゼが痛々しい。
それにまっすぐでつややかな黒髪が胸元まで伸びていた。本来の私の髪はくせ毛で、いつもストレートアイロンが手放せなかったのに。
服は変わっていないけれど、首まわりがゆるゆるになっていて肩からずり落ちそうだ。170あった身長も縮んだらしい。
おばあさんは私が額のガーゼをみてショックをうけたと思ったのか、「大丈夫よ、腕のいいお医者様を知っているから。綺麗になおしてもらえるわ」と声をかけてくれる。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみません。それと、私ここがどこか分からなくて。ここって何というところですか?」
こちらから質問してみる。おばあさんは「ここは夜の皇国。月詠領よ」と教えてくれた。
知らない。なんだ領って。日本は都道府県だぞ。
私はゆっくりと首を振り、わかりません。と言った。
…これからどうするかな。この夢いつまで続くのかなあ…
ぐるぐると考えているとおばあちゃんが明るい声で言った。
「まあ、あなたさえ良ければ、ここでゆっくり怪我を治すといいわ。この家には私一人しかいないし。私の名前はササというの。よろしくね」
「ササ…さん」と呟く。いいのかな…知らない人をそんな簡単に招き入れちゃって。子供だけど、私アラフォーだし…
本人にそんな不安はないのだろう、「まあ!ササさんなんて呼ばれるのは若い時以来だわ~」なんて言っている。
この人危ないな、危機意識ってものが足りないぞ!今まで騙されたりしなかったのかなあ。まあ追い出されても困るし、正直そう言ってもらえるのはありがたい。
夢なのかなんなのか分からないけど、とりあえずなるようになれ。そう切り替えた。
「ありがとうございます。お世話になります。」そう言って頭を下げた。