二話 美しき女神
白い世界。
何もない、まっさらな世界で俺は真っ裸だった。
「おお、すげえ、本当にあったのか!」
死んだことのある人間はいない。飛び下りた先に意識がどうなるかなど、誰もわからない。
異世界へ行きたいと強く願った俺だが、なんの救いもなく死んでしまうこともあり得た。要は半信半疑だったのだ。
だがこうして異世界の存在が証明されたことに、俺の体は喜びで溢れそうだった。小踊りをして数分、そろそろ三十路に差し掛かるというところを思いだし、辞める。
裸というのも都合が悪い。
筋肉質なわけでもない、だらしない自分の体は俺の喜びを削いでいく。
「筋トレしときゃよかったな」
そんな後悔をしていると、俺の影が後ろから前へ伸びていく。振り向くと、そこには神々しい光があった。
光────その中央には白い布を体に巻きつけた、眉目秀麗な女性が浮かんでいる。
透き通った色の髪に、宝石のような瞳。
そしてあまねく人々を照らしてくれるような、そんな安心感すら与える慈愛の表情。
ラノベで予習をしている俺には、彼女の正体がすぐに分かった。
「あんた女神か?」
「エヘ、その通りでございます」
女神は額にコツンと手の甲をあてて舌を出した。
ずいぶんと古い表現だ。俺は女神のアップデートされていない価値観に心底震える。
「言っておきますが、わたくしあなた様の考えが分かります。失礼な態度、物言いを心のなかですれば、当然罰が下りましょう。あなた様に思考の自由など無いとお考えくださいまし」
それなら俺喋る必要ないじゃん。
さっさと転移させてチートくれよチート。
「はぁ……愚かな」
女神が指を鳴らすと、胸の奥に針を刺されたような激痛が走った。
「ぐぉぉぉぇぁぁ……!」
「では、説明いたしますね」
俺は地面でのたうち回り、足をばたばたとかいて無様に暴れる。その様子に女神はなんの感情も寄せていなかった。
女神の底冷えするような瞳は淡々としていて、人の形をしているがために、まるで機械のごとき態度をとる彼女がひどく不気味に思えた。
人であって人ではない。
似ているが、どこか遠い。
「あなた様は異世界ヘルムブルグに転生します。剣と魔法の世界、中世の生活様式……というのもお辛いでしょう。多少は科学が発展している世界でございます」
痛みがようやくおさまり、沸々と湧いてくる怒りは爆発寸前にまで至るが、心臓のむず痒さが俺の精神の沸騰を止めた。怒りは拳を握りしめて殺す。
また激痛を向けられてはたまらないので、俺は女神の言葉を黙って聞くことにした。
「あら、殊勝な態度♡ こほん……言語問題は心配いりません。こちらで言語認識能力を弄らせていただきますので。そして肝心な肉体ですが……」
そういえば俺の肉体は飛び下りでぐちゃぐちゃになったはずである。こうして全裸の状態であるのも、俺が魂という存在であるからではないか。
ではこういうとき、普通ならどうなる。
俺のよく読んでいた異世界ラノベ全般では、赤子になって転生する。それもイケメンに。
童貞である俺の夢。それは赤ん坊になったことを免罪符にいろいろすることだ。そう、イロイロと。
「わたくしはあなた様が生きていた次元の担当ではないため、新たに作り替えさせていただきます。異世界の美醜感覚に沿うように。
ですが、一つ注意があります。精神は年齢に引っ張られます。思慮深い者ならば精神の解離により発狂するでしょうが……、まああなたなら大丈夫でしょう」
別人か、それとも憑依に近いのか。
その辺りはなってみるまで分からない。
あと最後なんて言ったんだ。
発狂する? じょ、冗談じゃない!!
「頭がいい人と精神が強い人だけですよ、影響を受けるのは」
「ならよかった……ってなんだと!?」
安堵すると同時に自分が能天気でバカだと言われていることに気づき頭が沸騰するも、女神が指を鳴らそうとしたので、俺はすごすごと引き下がった。
「ただ現代でのうのうと暮らしていたあなた様に過酷な異世界生活は耐えられないでしょう。三つだけ、能力を贈呈いたしましょう」
キタ、キタキタキタ。これだよ、俺が待っていたのは。
怒りと屈辱を堪え忍んでいたのは、女神の機嫌を損ねてチート能力が貰えないことを危惧していたからだ。
チートさえ貰えればもうこっちのもの。
ハーレム、豪遊、名誉、なんでもいい。すべて俺のものにできる。俺の失敗した人生を帳消しにできるんだ。
「ええ、あなたが頑張れば、それは実ることでしょう。ではでは、あなた様へ贈答される能力を紹介いたします。
一つ目は『優れた運命』。あなた様は絶大な幸運と栄華が約束されるでしょう。
二つ目は『深淵覗き』。他者と、そして自分のステータスを数値化することができます。あなた様の知識で言うなれば、『鑑定』と呼んでも差し支えないでしょう」
鑑定といえば異世界────それもステータスが表示される世界ではかなり有能とされる能力だ。鑑定で救われてきた主人公は多くいるのではないだろうか。
無知は罪とはよくいったもの。既知であるからこそ、俺たち人間は色んなことに対処できる。
ああ、現代では何度考えただろう。もし失敗する未来が見えたならば、俺はこんなに怒られることもなかったというのに。むしろ有能として讃えられたというのに。
「そして最後の一つが、『無限の果てに』。
あなたの成長率────分かりやすくいえばレベルが常人のはるか数千倍の効率で上がっていきます。そして人間の限界を突破し、9,999レベルまで、いやそのさきに到達することのできる能力です」
成長チート、限界突破チートという二つの単語が頭に浮かんだ。
前者はゲームでいう経験値の効率を常時高めることだ。
後者はあらかじめ定められた限界を突破し、人外の域へ飛び出すことを可能とする能力だ。
どちらも強力であり、異世界生活を楽にさせる素晴らしいチート能力といえよう。
それを二つ含有した能力であるならば、弱いはずがない。
「フフ。これで能力の説明は終わりです。さて最後にこれだけは伝えておきましょう」
能力の性能に喜んでいる俺を尻目に、女神は手を叩いて嬉しそうに告げる。
「異世界に降り立った際、私に関連した記憶は消えます。能力を貰った経緯も、異世界にきた正確な理由も、あなたから消え失せます。
ですが安心してください。あなた様に与えられたチートはあなた様のもの、失くなることはございません。ですので存分に、しっかりと使って、幸せな異世界生活をお楽しみくださいませ♡」
そんなのはどうだっていい。
異世界に行けるならば、そんな能力を貰った過程なんてどうでもいいんだ。
「フ、フフフ……了承、ということで。ではこれからあなた様を飛ばします。よき異世界ライフを」
女神は最後に丁寧な礼をした。
同時に、俺の足元には魔方陣が浮かび、指先が透明になっていく。
異世界。剣と魔法の世界。
そこには何が待っているのか。
「ただ……」
俺の体のほとんどが消える寸前、女神は言う。
「どの世界も似たようなもの。規範と常識が違うだけで、なにも変わることはないのです」
「故郷を捨てた逃亡者に、幸せな末路などあるはずもない」
「自分を変えない限り……ね」
言葉の意味が理解できなかった。
逃亡者……逃亡者って俺のことか?
ただなんとなく、女神が俺を試すような視線で値踏みしていることだけは分かった。
それ以上考えようとしたが、濁流のような衝撃に俺の思考は途切れてしまう。
意識が消失する。
体が分解される。
野暮真人は生き返った。
新たな体と共に転生したのだ。
たまにコラム的な感じで異世界のひとくちメモを書くかもしれません。不評だったらやめます。多分。
評価してくださったり感想をくれたりすると作者の心が潤います。
正直なところ罵倒でも喜びます。




