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ふれあい

正午に近い今、頭上から照りつける暑い陽射しを避けるように、少しでも木陰を見つけては入ったりと、ささやかな抵抗をしながら加奈子はお寺へと歩く。

長い髪もまとめて帽子の中に隠した、うなじがむき出しになってこの暑さの中でもそれなりに心地よかった。


だが家から10分も歩かない距離だと言うのに、バスも電車も通らない、車もない加奈子には苦痛だった。


1人で黙々と歩くことの辛さに、額から汗を垂らしながら時折見かける懐かしい風景に、記憶を呼び起こされて「一寿ときたら、この時期でも魚釣ったり、ここでセミ捕まえたりしたよねぇ」などと呟きながら大きな杉の木を触る。


お寺に行く途中にある神社への階段を見て、またセミを捕まえた話を思い出したが段数に気後れした加奈子は、何も見なかった事にしてお寺へと向かう。



『今はご先祖様の魂が仮の姿を借りて生き物となって戻って来ているのだから、殺生したらいけないよ』

この時期、おばあちゃんが口をすっぱくして言っていた言葉をふと思い出す。


現に父が亡くなった年の初盆は、どこからともなくトンボが家の中に入ってきた。

何を追いかけるでもなく、トンボが仏壇の周りをグルグルと飛び、私の肩に止まって、しばらくしてからどこかへと飛んでいったのだ。


あれで信じた訳でもない、縋りたい訳でもなかったけれど、ただ胸にストンと落ちたものがあったのかもしれない。

そうやって、迷信かもしれないけど信じてもいいのかなと加奈子は思ったのだろう。


なのに一寿は、おかまいなしに神社に虫捕りに行こうぜ、と誘いにくる。田舎でできる事は限られていて、この時期、虫も魚取りも禁止されたら川遊びくらいしかなかった。

でもいつからか、その川遊びさえもせず、西瓜のタネを飛ばしたり、馬鹿馬鹿しい会話をしてお盆を過ごしてきた。


最初は「ご先祖様が!」と言い返して、虫取りを妨害していた加奈子だが、いつの頃からか一寿は言い出すことはなくなっていた。


一寿も大人になったよね、と呟く加奈子が口の端を持ち上げた頃にはようやくお寺にたどり着いた。



やっとついた、と休憩する事なくお墓の掃除に、と花桶や柄杓などの道具を借りて両親と祖父達が眠る墓に向かう。


まずお墓周りの雑草を抜き、カラカラになってしまった花を回収し花筒を外す。

そのまま墓石を丁寧に洗う、そして花筒を洗い、元の場所に戻したら造花を飾った。

蓮の模様が描かれた湯呑を洗って新しい水をいれ、ようやく線香に火を灯し墓前にお供えして拝む。


『お母さん、お父さん、おじいちゃん、ごめんね』そう心の中で呟いていると後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。


「あら加奈ちゃん。今年も帰ってこれたの?久しぶりね」


その声は懐かしくて思わず加奈子が振り返ると、女性は額に汗がびっしりと浮かび上がらせながら加奈子のそばに来ては新たな線香に火をつけて墓前にしゃがんで拝んだ。


女性は一寿の母親、房子(ふさこ)だった。

首にかけたタオルで汗を拭きとった房子は「加奈ちゃん、今日はうちに泊まりなよ。喜ぶし!」と昨日の一寿のようにニカッと笑って加奈子の手をとった。


有無言わせないのは血筋だろうか、加奈子は笑って頷いた。

それを見た房子もにっこりと笑って「加奈ちゃんはもう終わり?私もこれから帰るとこなんだけど乗ってくでしょ?」と駐車場に止めたのであろう青く目立つ車を指さした。


「助かります。ここまで歩いてきてヘトヘトなんです」

左手で額に浮きでた汗をぬぐい、耳元にたれてきた髪を加奈子はかきあげた。


「それじゃ道具片づけて帰りましょうか」と房子は言いながら借りてきた花桶と柄杓を持つ。

加奈子は慌てて「あ、それは私が…」と手を伸ばすが「加奈ちゃんは、そのゴミ袋持ってくれたらいいから」と笑って先を歩いていった。そしてそのまま片づけ、車へ行くと静馬おじさんがニコニコしながら待っている。

そのまま房子の運転で加奈子は家まで送ってもらった。



****



加奈子は一度帰宅してからスーツケースから包まれた物を取り出した、土産物である。

昨日はうっかりしていて渡すのを忘れてしまっていたのだが、一寿の家にお邪魔する事もあって一度帰宅して戸締りもキチンとした。必要最低限のものをカバンにいれて、お隣のおうちに向かったのだ。



「こんにちわー、おじゃましまーす」

「どうぞー」


加奈子は玄関をガラガラッと開けて声をかけて上り込む、これも田舎だからこそできる事だった。


昔は気がねなく家に上がってきたこの家は、加奈子が幼い頃からあり、年相応にふるびてきている。

それでもまだ住んでいるからか、祖母の家と違ってカビ臭さはせず、懐かしい匂いがした。


ゆっくりと声のした方へと足を進めると、台所で房子がせっせと晩御飯の準備をしていた。それを見て「私も手伝いますね」と加奈子は腕まくりして手を洗った。


「加奈ちゃんはいいのよー、疲れてるでしょ?そこに座って休んでて」

房子は横に並んだ加奈子に目を細めて笑う。


「いえ、大丈夫です。それにお手伝いってもうなかなか出来ないんですよね。だから、是非させてください」

そういって笑う加奈子は房子からしたら儚げに見えたのだろう。

両親に旅立たれ、一人残っていた祖母も年には勝てず認知症になり、もう一緒に暮らす事はかなわない事くらい隣に住む房子は知っていた。そしてあの家を手放すことも。


房子はそんな暗い雰囲気を吹き飛ばすように笑った。

「それなら、加奈ちゃんには野菜洗ってもらおうかな。今日は大好物の天ぷらよ!」

「やった!房子さんの天ぷら大好き」

少し他人行儀だった加奈子も童心に帰ったように、いつものように顔を崩して笑った。



房子の作った料理が机を埋め尽くす。

今日は房子と静馬以外、用事があって帰宅が遅いのだそうだ。

房子と加奈子は揚げたての天ぷらを満足いくまで食べる。


「はーっ、もうお腹いっぱいです」

料理を美味しくいただいた加奈子はそういって箸を置き、少し足を崩して楽な体勢をとる。

静馬おじさんはマイペースでテレビの野球番組に夢中だ。出されたビールにも手をつけずにテレビにかじりついていた。


「やっぱり若い子がいるとご飯も張り切っちゃうわね。でもデザートにはスイカがあるからね」と、房子がカチャカチャと音を鳴らし食器を重ねながら片づけを始める。


「あ、洗い物は私が」と加奈子が立ち上がり、「いいからいいから」と笑う房子に「でも…」と食い下がって洗いあがった食器を拭く事になった。


食器は水に軽く浸されてからスポンジで洗い、水で流して水切りかごに置かれたものを加奈子は丁寧に拭きあげて元にあった場所へとしまう。

無言で洗う房子に加奈子も黙々と拭いているとおもむろに房子が言った。


「どんな時でも、帰りたくなったら加奈ちゃんは帰ってきていいんだからね?私は加奈ちゃんを自分の娘だと思っているから」

その言葉に、加奈子は嬉しくて涙した。

帰る場所を手放す辛さを、わかってもらえた気がした。



その日、加奈子は一寿と会うことは叶わず、先に床につく。

布団に潜りながら加奈子は久しぶりに触れ合う人との温かさに、安らぎに触れ、幸せに浸りながら眠った。



***



今日は朝から房子は出かける用事があったのだと言い、朝食を食べながらパタパタと準備していた。


「加奈ちゃん、今夜も泊まっていいのよ?」と言う房子に加奈子は「すみません、最後の夜は1人おうちで過ごそうと思っていまして」と言いながら頭を下げた。


「いいのよ、気にしないでったら。明日は何時に帰るの?明日から仁志が休みだから送ってもらうように言っておくわね」

房子はそう言って車の鍵を持ちカバンを持った。


「仁志は夜勤明けで寝てるけど昼頃には起きるし、加奈ちゃん帰る時は鍵かけなくていいからね。暑かったらこっちで涼んでもいいし」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

加奈子が頭を下げたのを見て房子は笑って手を振った。


朝食を食べ終え、加奈子は洗い物をして食器を元の場所に戻す。

時おり鳴り響く風鈴の音以外、テレビの音もなく、静馬おじさんも既に出かけたのか、もういなかった。


加奈子は一宿一飯の恩義に、と軽く掃き掃除をすると仏間にたどりつく。

仏前に座り、おリンを鳴らして線香をあげ、写真の人達に頭を下げておがむ。

頭を上げた際に加奈子は気づいた、見慣れた顔がある事に。加奈子は一瞬驚いたが…少し微笑んでその場を後にした。



そのまま家に戻り、掃除をしはじめた。人が住まなくなった家は傷みやすいし、埃もたまる。

加奈子も出来ればここに住んでいたかったが、ここから通う事は無理だった。

また両親の残したマンションがあるとはいえ、祖母の施設費用を負担して自分の生活と自宅を守るのは無理だった、金銭的にも。


「今年で最後、これで最後のお盆」

そう呟いては家中を掃除していた加奈子もさすが疲れたのか、大きく息をつき手を洗った。

そして麦茶を持ち広縁に行って庭を見れば、去年落ちた種から発芽したのか庭の隅から芽吹いた朝顔の葉がそよそよと揺れている。


その揺れる様を眺めながら加奈子は少しまどろんだ。



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