はじまり
空が、雲が近くに降りてきて太陽までも近くに来たんじゃないかってくらい照りつける日差しに加奈子は目眩を覚える。
ここは、1年ぶりにきた加奈子の祖母の家がある町。夏休みの度に帰省していた頃が懐かしかったのだろう、電車がこの駅に止まるまで加奈子はずっと風景を眺めていた。
加奈子は誰も住まなくなった家に帰るために、駅員さんに切符を渡して無人駅のホームに降り立つ。
かつては賑やかだったこの場所は人気も無く、代わりにセミだけが賑やかにわめいていた。
田舎だから涼しいと思いきやこの茹だるような暑さは、人混みに揉まれる都会とは違う。
駅前から続く道はひっそりとし、舗装された道に加奈子は一人、ゴロゴロとやかましくスーツケースを鳴り響かせながら歩いた。
舗装された道の周りに見えるのは、青々と生い茂っている田んぼ。
キツい日差しに耐えながら、日除けもない中を歩いていればふいに穏やかな風に包まれた。
都会と違って遮るものがないためか全身で風を浴び、心地よさに気分がよくなるのだ。
さらに風に吹かれて自慢の黒髪をたなびかせた加奈子は、すこし伸びをして大きく息を吸い込む。
そして、すこし息吐き出して気持ちを入れ替えた。
砂利道では持ち上げて運ばざるを得ないスーツケースも、舗装された道であれば水溜り以外に気を使う事はない。
中身自体も着替えと花火とささやかなお供え物などくらいで、大して重くはない。
だが迎えの来ない駅から家までの1km程度の距離を加奈子はバッグ持って歩く事を嫌がった、たとえ1kmでも指が痛くなるのだ。
何を入れるでも無く、スカスカのスーツケース。それを引きずるようにゴロゴロとわめかせながら、黙々と足をすすめた。
一人、歩きながら「今年からはもうおばあちゃんいないんだよね」と一人ごちては俯く。
俯くと右手で引っ張るスーツケースが重く感じ、また川にかかった橋の坂道で足取りもさらに重くなりつつも、加奈子は目的地でもある実家になんとかたどり着いた。
ようやく建物の陰に入り一息ついた後、ポストに溜まった郵便物やチラシなどをかき出す。
そして肩下げのカバンから鍵を取って玄関を開けると、すこしカビ臭い匂いがした。
土間にスーツケースを置いたまま、靴を脱ぐと「ただいま」そう言って家に上がる。
誰もいない家に言ったところで返事など来ない事くらい加奈子もわかり切っていた。
無言のまま茶の間を通り、縁側のドアを開ける。
雨戸も開けて締め切っていた家に風を通す。
縁側から奥の部屋の窓を開けると軒下に吊るしていた風鈴が涼しげな音を鳴らした。
チリーン リーン
風鈴の音を聞いて仕事が終わったと言わんばかりに加奈子は広縁にごろんと寝転がる。床はすこし湿っぽいが、外より涼しくて心地よかった。
仰向けになりながら、そこから外を見れば青空が続いていて… ぼーっと眺めている間に加奈子の瞼はゆっくりと閉じていった。
どれくらいたっただろうか、そのまま広縁の床に大の字になって寝ている加奈子の上に隣に住んでいた 一寿がひょっこりと顔をだす。
ニヤニヤした表情を浮かべながら加奈子が眠りについているのを見て耳元で「わっ!!!」と大声で叫んだ。
突然の大声に「ふぎゃっ!!」と奇声をあげて目をパチパチとさせながら勢いよく起き上がる加奈子。
周りを見渡すが声の主は見当たらない、だがどこからかくつくつと笑い声が聞こえる。
見えたわけではないが、声はぬれ縁の下から聞こえてきているようだ。
「一寿、あんたって奴はいつまでたっても変わんないわね」と加奈子が悪戯をしてきた主を言い当てる。
「ちぇっ バレたか。カナはすこし大きくなったか?って言っても態度が、だけどな」
悪態を吐きながら濡れ縁の下から顔を出すのは毎年お盆になると遊んできた一寿だった。
「毎年毎年、ガキっぽい事をして。女は男より精神年齢が上なのよ?あんたと一緒にしないでよ」
やれやれと言わんばかりに髪をかきあげる。寝ている間に首回りに汗をかいたのか、左手で仰ぐ仕草をしていた。
「カナ大して変わってなくない?さっきの奇声といい。そうは言っても、俺もっと身長伸びる予定だったんだけどなー」
そう言いながら一寿はヘラヘラしながらぬれ縁に座った。座っているとはいえ二人の身長差はさほどない、強いて言うなら加奈子の方が背が高いように見えた。
いつもと変わらぬ一寿を見て「ねぇ、あんたなんで来てんの?自分ちには行かなくていいの?」と加奈子が問う。
目を見開いて一寿は「だってカナ一人で迎え火とか寂しいだろ?だから来てやったんだ」とニカっと笑った。
加奈子は一寿に言われて周りを見渡すと、さっきまで見ていたはずの青空は色づき始めていた。
「あ、もうそんな時間なんだ、急がなきゃ」
そう言うが早いか土間に置き去りにしたスーツケースからお供え物を取り出す。
迎え火をする前に色々としなくてはいけなかった。
迎え火に使う炮烙の皿は玄関入ってすぐの所にあるため、加奈子は持ってこなかった。
ただ今回たいまつを買って帰ろうとしたが都会には売っていなかった。本来は、おがらを燃やすのだが加奈子の田舎の風習ではたいまつを燃やす。
代わりのものを探した結果、たいまつを組んだような形のろうそく。
それをそっと取り出して置いたのを見た一寿は「なんだこれ」そう言ったが早いかろうそくを持ち上げて「なぁカナ、迎え火はたいまつじゃん。それすらも忘れた?」と右手で投げては取って、とろうそくをお手玉のように器用に放り投げている。
「仕方がないじゃん、あっちじゃたいまつ売ってなかったんだもん」
加奈子はばつが悪そうにしながらも口を突き出して不貞腐れていた。それでも日が暮れる前に火をつけねば、と色々と取り出す。
ある程度出した加奈子は台所に行ってまな板を取り出して茄子を切り始めた。水に濡らした生米とあえるとおもむろに隣さんち、一寿の家の畑に行って里芋の葉を一枚拝借する。蓮の葉が手に入りづらいので手頃なサイズの葉で毎年代用していたのだ。
水洗いして丁寧に水を拭き取ってから先ほどの茄子と生米をそっとのせる。
そして仏壇を開いて前に置き、茄子と胡瓜の聖霊馬を置く。簡易的ではあるが、ひととおり準備をすませた。
「ふうっ」と一息ついた加奈子は、そのまま玄関前へ行き、炮烙を持ってろうそくに火をつけに向かった。
が、一寿が持っていたろうそくがない。
どこにいったのか、と探せば一寿がおもむろに出てきて「そこの靴箱の中に去年使ったたいまつがあったよ」と指をさす。
言われた通りに靴箱を開ければ、確かにたいまつがあった。ガサガサと引っ張り出し、炮烙の上にたいまつを置いてマッチを擦る。
まだ暗くもなっていないが、暗くなる前にご先祖様に帰るべき家はここだよと教えなくてはいけない。
それは祖母からの教えに沿ってやっているのだが、一人で行うと思ってこなかった加奈子はうろ覚えでやっていた。
何度か試みた後、ようやくついた火が勢いよくたいまつを燃やしだす。
「やっぱ迎え火はたいまつじゃなきゃな」
パチパチと音を立てながら燃えるたいまつを見て、一寿が言う。
たいまつで迎え火をする前に現れた彼は、昔のまま変わらない。
一寿は今も昔も変わらないのに、都会で暮らす加奈子の方が都会に染まってしまったのか。
加奈子はろうそくを買った自分を恥じた。
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無事迎え火も終え、たいまつが消えたのを見て、戸締りしてから寝ろよと言い残して一寿は家へ帰っていった。
それを見届けた加奈子は初めて一人で過ごすお盆に、戸惑いながら扇風機を使って眠りにつく。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか
朝、あまりにも蒸し暑くて寝苦しくて目を覚ました加奈子は、ここが祖母の家だった事に気づいた。
「そうか、窓開けなきゃだよね…」
右手で首の後ろを掻きながら、施錠を外し風を取り込むとやっと一息をつけた。
止まっていた扇風機を稼働させ、淀んだ空気を外に追いやる。加奈子は冷蔵庫から昨夜作っていた麦茶を取り出してグラスに注ぐ。こくこくと喉を鳴らしては失った水分を補給して、またもや一息をついた。
水滴がついたグラスに麦茶を再度注ぎ、そのまま広縁に向かう。
窓の先にある雲一つない青空を見上げ、眩しさに目を細めた。
「今日もまた暑そうだなー。でも…昨日行けなかった分、お墓参りしなきゃだよね」
カランッ…
ため息まじりの声に、グラスの中の氷が音をたてて答える。一人で過ごすお盆に慣れていないせいか、加奈子は独り言を呟いていた。
開け放った窓に手を当てて、ぬれ縁に座り外を眺める。
昨日と大差がないキツい陽射しに、ギラギラと煌く太陽を見て加奈子はまたため息をついた。
今までならば陽が陰ってきた時間にご先祖様のお墓参りをしてきたのに、いま祖母は離れた施設にいる。これからも出ることは叶わず、ずっとそこで過ごす事になっているのだ。
既に両親も、祖父も先に旅立ってしまった。
「一人で迎えるお盆は今年が最初で最後」とそう一人ごちて加奈子はグラスに残った麦茶を飲み干し、流し台に置いて出かけるために準備を始めた。