表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕たちと君たちの差  作者: 鳥海山時雨
5/5

終末:君は誰だ

もとから短編の予定なので

 当然でありながら必然的に根本の話ですが、立場とは自分自身で決定されるものではなく相手との比較によった『相対値』によって決定されます。ゲーム的解釈で言えば『ステータスの比較によってつける優劣』といったのもでしょう。よりステータスの優秀なものが選ばれてその他は切り捨てられる。


 少々逸れましたが即ち立場とは普遍的なものではなくむしろ変化に富んだ性質を持つものだという事です。そしてそこに存在する『価値』も、結局は相対的なものに他ならないのです。


 例え話をしましょう。いつの日かあるところに一般人と大富豪がいました。片方は名前すら歴史に覚えてもらえない平民で、もう一方は地域では有名な人間でした。彼らは一度だけ、『平民と富豪』として会っていました。そしてもう一度、『二つの死体』となって再会を果たすのです。


 さて、彼らになにか価値はあったのでしょうか。人は死にます。死ねば墓地へと行き石か十字架かまたその他のものの下敷きになります。これは決して変わらないものなのです。しかし立場はどうでしょうか。死ぬまで、いや死んでもなおその立場は残されるのでしょうか。


 立場とは実に曖昧です。仲間内で作られた立場は外の世界では通用しない。神は世界が平等であると答えた。それは現代の小さな社会にある壮大な立場の影響力がその輪の外側にいる少数派を引き込むことにより、思考を放棄させ歪ませていったものなのだろう。


 全員に腰が低くとも威張り散らしてもその立場の価値の答えを得ることはできない。なぜならそれはその輪の外側なのだから。


 改めて問おう。内側と外側の違いは何だ。

証明は出来るのか

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ