終末:君は誰だ
もとから短編の予定なので
当然でありながら必然的に根本の話ですが、立場とは自分自身で決定されるものではなく相手との比較によった『相対値』によって決定されます。ゲーム的解釈で言えば『ステータスの比較によってつける優劣』といったのもでしょう。よりステータスの優秀なものが選ばれてその他は切り捨てられる。
少々逸れましたが即ち立場とは普遍的なものではなくむしろ変化に富んだ性質を持つものだという事です。そしてそこに存在する『価値』も、結局は相対的なものに他ならないのです。
例え話をしましょう。いつの日かあるところに一般人と大富豪がいました。片方は名前すら歴史に覚えてもらえない平民で、もう一方は地域では有名な人間でした。彼らは一度だけ、『平民と富豪』として会っていました。そしてもう一度、『二つの死体』となって再会を果たすのです。
さて、彼らになにか価値はあったのでしょうか。人は死にます。死ねば墓地へと行き石か十字架かまたその他のものの下敷きになります。これは決して変わらないものなのです。しかし立場はどうでしょうか。死ぬまで、いや死んでもなおその立場は残されるのでしょうか。
立場とは実に曖昧です。仲間内で作られた立場は外の世界では通用しない。神は世界が平等であると答えた。それは現代の小さな社会にある壮大な立場の影響力がその輪の外側にいる少数派を引き込むことにより、思考を放棄させ歪ませていったものなのだろう。
全員に腰が低くとも威張り散らしてもその立場の価値の答えを得ることはできない。なぜならそれはその輪の外側なのだから。
改めて問おう。内側と外側の違いは何だ。
証明は出来るのか