第一:人間という特異集合体
先ず、人間という生物は生物学的、文化学的に一人で生存することは不可能な種族です。それが単体で存在しているのならばそれは終焉を意味しているのでしょう。少なくとも二人の存在、即ち『相手』となるものが必要になってきます。
人間という生物は面白いもので、何か――ここでは人間以外のすべての物体が該当し、また必ずしも全ての物質が該当するとは限りませんが――を疑似的に人間とみなしそれに返ってくることのない『反応』を求めているのです。これを擬人化などと俗語では言いますがこれが絶対的に何らか特定の反応を示さない物体のみに該当しているわけではないのです。
具体的に言えば数字や人工無能と言われるチャットボットのようなA to Bの反応を発生させるものの他に掲示板、SNS上に存在する仮想の人間的存在に対しても同じことがいえるのではないでしょうか。現に私はこの著書という手段を利用して直接見たこともない読者の存在を数字として確認して話を進めているので間違いないという事が分かります。
しかし、我々の潜在意識にある相手の存在を失ってしまったとしてもそれの中身はもちろん、外側も関係なく新たな存在を発見、作成することが可能です。我々は自分の他になにか別のものがあればそれが何であれ結局関係なくなってしまうのです。
そしてその対象がA to Bの反応を返してくれたものからA to B or NOT to Bの反応を返すようになる物質へと自然と、無意識のうちにシフトしてしまったのです。その結果お互いが会話を何かへの手段として利用するのではなくそれ自体を目的として――なにかが言いたいだけであって、別に何が言いたいわけではないと自分の中で発生するべきであった責任というしがらみを意識化の無意識ですり抜けて言葉が漏れ出てしまっている状態――会話から価値を見出そうとしている相手との普段からの認識差異が仮想世界での問題として挙げられます。
A to Bの例
A 「お元気ですか」
B 「はい、元気です」
A to B or not to Bの例
A 「お元気ですか」
B 「はい、元気です」
not B 「少し、体調が優れません」