1 はじまり
――「そのとき」のことで覚えているのは、まず空に突如浮かび上がった巨大な円形の模様だ。ゲームとかでよくある魔法陣のようなものだった。とても大きかった。俺がみたのは渋谷の空だったが、街をすっぽり覆ってしまうくらいの大きさだったような気もする。それを見た時間は確か早朝だった。俺は何をしていたっけ。ベッドの上でスマホをいじっていた気がする。そうだ。外がざわざわ騒がしかったので、何事かと思って窓から外を覗いたんだった。
次に覚えているのはピカリと瞬いた強い光だ。失明しそうなほど強烈な光で、視界が真っ白になった。そうしたら、少し遅れてものすごく大きな音がして、部屋ががたがたと揺れ始めた。
窓ガラスがわれて、全身に強い衝撃が走った。ぶっ飛ばされて、ベッドから転落した。それからどうなった? もうそこからは思い出せない。ただ、悲鳴をあげたのは間違いない。轟音にかき消されたけど。
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そのあと、気が付くと、俺はどこか知らない場所に横たわっていた。
「…!?」
むくりと体を起こし、周囲を見回してみる。
そこは、はじめて見る場所だった。天井と壁、床があることから、そこがどこか屋内であることはかろうじてわかる。
天井は途方もなく高く、壁は大小さまざまなモニターで埋め尽くされている。外の風景と思われる映像をうつしているものもあれば、わけのわからない図や文字、記号がずらずらとならんでいるものもあった。
「なんだここ……」
そうつぶやいたとき、『大丈夫ですか?』と後ろで声がした。
振り向くと、若い女性が立っていた。強くパーマのかかったブラウンのセミショートヘアが印象的だった。
「なんでしょうね、ここ。なにか覚えてることあります? どうやってきたかとか、最後の記憶とか」
彼女が俺に尋ねた。
「……自分の部屋にいました。そうしたら空が光って……。すみません。それだけしか」
思い出そうとすると、ずきずき頭が痛む。
「私も同じものを見ました。覚えていることも大体一緒ですね。あそこの男の人も同じだそうです」
そう言って彼女が示す方をみると、もう一人若い男性の姿があった。ツンツンとした金髪で、高級そうなスーツを着ていた。ぱっと見た感じ、ホストかなにかかと思った。
俺はゆっくりと立ち上がって、再度周囲を見回してみた。部屋には彼と彼女と俺、三人のほかに人の姿はなかった。
すると、背後からこつこつと足音がきこえてきた。
振り返ると、男性が一人近づいてきた。茶色のコートを羽織っていた。
「みなさんお目覚めのようだ。僕の名前は【ユージーン】。早速だが、向こうの部屋で状況を説明したい。ついてきてくれるかな?」
ユージーンと名乗った彼はそう言って、部屋の奥を指さした。扉らしきものがみえた。
まだ頭がぼんやりしている中で、相手から『説明したい』と切り出されたら、『はあ』と答えるしかなかった。
俺たち三人は、その人についていった。
歩きながら気づいたが、ユージーンのコートは異様なデザインをしていた。一言でいえば、ファンタジー系のコスプレのような格好だった。
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ユージーンに連れられ別室に移動すると、床に大きな模様が描かれていた。
魔法陣みたいなやつだ。強烈な既視感があるのは、つい先ほど空に見えたそれにひどく似ているからだった。
「さて、では説明するが、とりあえずはだまって全部聞いてほしい。質問は後でまとめて受ける。いいかな?」
ユージーンが言った。誰も何も言わなかった。ただなんとなく、首を縦にうっすら揺らした。
「よし。まず、君たちはもうすでに死んでいる。ここにあるのは魂だけだ。【魔王】の攻撃で日本が消滅して、君たちも、君たち以外の人もみんな死んだ。今ごろはほかの国々も滅ぼされているところだろう。もう間もなく、君たちのいた世界はあとかたもなく消え去ってしまう」
……? 何を言っているのかさっぱりわからない。
「君たちをここに呼んだのは、魔王を倒してほしいからだ。僕がいた世界は既に滅ぼされてしまった。僕らは負けたんだ。でも、まだチャンスがある。君たちが、最後のチャンスなんだ」
……だめだ、全然理解できない。ちらっとほかの二人の様子をうかがうと、彼らも同じみたいだ。
しかしそんなことはおかまいなしに、ユージーンは説明を続ける。
「ここは【マスタールーム】と呼ばれる場所だ。魔王は直にこの場所を襲いに来る。そうしたら最後だ。本当にすべてが終わりだ。協力してくれ。もう戦えるのは君たちしかいない」
「もういいか? 頭おかしいのかお前? これ以上聞きたくないね。俺たちを外に出せ」
ユージーンの話をさえぎって、金髪のスーツ男が言った。
彼はユージーンに歩み寄って、その胸倉をつかもうとした。
すると、彼の手はユージーンの体をするりと突き抜けた。女性が、『ひっ』と悲鳴を上げた。
しかしユージーンの表情はかわらない。何も感じていないようだ。
対してスーツの男は困惑した表情で、おそるおそる手を引き抜いた。
「わかってくれたかな?」
ユージーンがつぶやいた。スーツの男は、へなへなとその場に腰を落としてしまった。
「続けるよ。これから君たちを【女神】のもとへ転送する。そこで彼女の“祝福”を受けろ。魔王と戦う力をもらうんだ。祝福を与えられるのは君たちが最後だ。協力してくれといったが……君たちに拒否権はない」
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで俺たちが? 戦えって言われても無理だし……そもそもあなたの話が本当なら、世界はもう滅んでるんだろ!? いまさら戦ってどうなるんだよ!」
思わず、俺は声を荒げた。
「女神が最後の力で、時間を巻き戻す。魔王に滅ぼされる前の、僕の世界――【アルズウェイズ】に君たちを送る。君たちはそこで魔王を討伐し、ヤツの攻撃を阻止するんだ。君たちの愛する家族、友人、全員殺されたぞ。なかったことにしたいだろ? ヤツが奪ったすべてを取り戻したいだろ!?」
ユージーンの目からこぼれた涙が、ほほを伝った。彼の表情は真剣そのものだ。
「……なんだかわかりませんが、やりましょう。断れなさそうです」
女性がこちらをみて言った。同意見だ。俺は首を縦に振った。
確認していないが、スーツの男もおそらく断らないだろう。
「ありがとう。では……」
ユージーンが手を前方にかざすと、足元の魔法陣が発光した。同時に魔法陣から風が巻き起こり、衣服がばたばたとはためいた。
光がどんどん強くなり、目をあけていられなくなった。吹き荒れる風の音は一層強くなり、それ以外の音を塗りつぶした。
足に風の感覚を覚えなくなった。なんとかうっすら目を開けて確認すると、足が消えていた。
肉体がパズルのように分解され、剥がれ落ちたピースが風に舞って消える。痛みはない。
その現象はじわじわと胴体まで侵しはじめていた。
「……!」
そして、俺の身体はすべて消失した。