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三 異郷の人


 そして向かったのは、学校近くのファミリーレストランだった。

 急くようにして私たちを校外に出したルナさんは、私をできるだけ学校内にいさせたくないようだった。なぜだろうと思うが、すぐに気づく。亡くなったはずの真柴亜由美に構内を不必要にうろつかせて、騒動にしたくなかったのだろう。

 ウェイトレスに通されたテーブルで、礼さんとルナさんは向かい合うように席を取った。私はルナさんの隣に座る。特にそこに何らかの理由があったわけではないけれど、

「礼の隣じゃないんだな」

「え?」

 ルナさんはそう、ぽつりと呟いた。

「あ、ごめんなさい、その方がいいですか」

「いや、いいんだ。ただ私のバランスの問題だっただけで。

 あなたにそれを理解しろと言う方が酷だな、すまない」

 ということは、私と礼さんは彼女の中でにこいちの存在だったのだろう。二人一組。

 ウェイトレスがコップを三つ置いて、去っていく。それを見送って、さて私もとメニューを手に取り。

 ――そこで、思い出す。

「……あの、ルナさん」

 おずおずと小声で、隣に座る彼女を呼んだ。

「ん? どうした」

「私、その、お財布……」

「ああ」

 思い当たったとばかりに声を上げた。

 私はお金を持っていないのだ。恥ずかしいことだけど、不可抗力なのだから仕方ない。――けれど彼女は涼しい顔で、

「気にするな。好きなものを食えばいい」

 と言った。

 そして続けて、

「金は礼が出す」

「えっ、ちょ」

 それはさすがに何とも。

 助けを求めるように礼さんを見れば、彼も特に表情は変えずに。

「いいよ。好きなもの食えよ、気にするな」

「全部礼の奢りだからな」

 ルナさんが涼しい顔でそう言って――

「……待て」

「ん?」

 何か引っかかるものを感じたのか、礼さんが制止の意を示した。

 ルナさんが首を傾げる。

「まさかお前の分も奢れって言うんじゃないだろうな」

「そう言ったつもりだが」

 何を当然のこととルナさんが言った。

 唸るような低い声で、礼さんがそれに抗議する。

「なんでてめえの分まで」

「レポート中断させた詫びに奢るって言ったろ」

「……覚えてたのか畜生っ」

 呟かれた毒に、けれどやはりルナさんは動じない。もっともルナさんは、一切間違ったことを言っていないのだが。

 しばらくしてウェイトレスが「ご注文はお決まりでしょうか」と聞きにきた。

 ルナさんはざっとメニューを見渡して、

「私はチキン・シュリンプセットと和風抹茶サンデー」

 そう言うと。

 礼さんはメニューを見ていた顔を上げた。

「てめえ」

「何か?」

 首を傾げる。しかしその表情からするに、彼女には礼さんの言いたいことがわかっているようだった。

「人の財布だと思って取り敢えず高いもん頼んだだろ」

「おや。心を読まれている」

「これだけ悪友やってりゃわかるようになるっつうの。あー畜生、俺も食うぞ。オムライスときのこパスタとあとチョコバナナパフェのでかい方」

「おー食え食え。野郎は食いっぷりがいいほうが気持ちいい」

 ひとごとのようにそう言うルナさんをじろりと睨んでから、私を見た。

 注文しろという合図だと取って、私は慌ててメニューに目を落とす。何を頼むことにしたのだったか。

「あ、ええと――」

 けれど。

「あとそいつに、シーフードグラタンとベリーのシフォンケーキ」

 私が何かを言う前に、礼さんがこともなげにそう言った。

 思わず顔を上げて、彼を見る。

「え?」

「駄目だったか?」

 と、そう聞き返される。注文が不服かということだろうが、礼さんの言ったどちらも嫌いではない。

 かぶりを振ると、礼さんは面白そうに笑った。

「だろうと思った。……以上で」

「はい。ご注文を繰り返します。――」

 ウェイターが律儀に復唱するそれを、礼さんもルナさんも真面目には聞いていない。礼さんは窓の外を見やり、ルナさんはメニューをぼんやりと眺めている。

 それが終わるとウェイターは、メニューを回収して戻っていった。

「なんで? 礼さん」

 私が尋ねたのは、私の注文のことだ。

 主語を抜いた質問だったが礼さんはきちんと理解したようで、窓に向けた顔の、目だけを私のほうに向けた。

「馬鹿やろ。だてに二十年近く幼なじみやってねえぞ、俺は。

 普段はふっかけてくるくせに、親切心見せてやるとすぐ遠慮しやがる」

「う」

 図星を指されて思わず唸る。当たり前のことかもしれないが、どうやらこの世界の私は私によく似通っていたようだ。

 次に口を開いたのはルナさんだった。

 水を一口飲んで、それからコップをもとのように置きながら、

「取り敢えず、話を進めるか」

「そうだな」

 と、礼さんの同意。

 私も首を縦に振って、同意を示す。

「しかしどこから話したものか。困ったものだな……

 ……じゃあ、亜由美さん。まずあなたのことを詳しく聞きたい」

「私のこと、ですか」

「あなたが見てきたもののことだ。私たちの知る話を先にしてもいいが、それで下手に記憶のすり替えが起こっても困る。あなたが見たものを知る人間は、恐らくこの世界にあなたしかいないのだから。

 ――事故に遭ったと言っていたが、どういうことだ?」

 私はひとつ頷いて、私が見てきたものを簡単に説明した。

 あの日、礼さんとお昼ご飯を食べる約束をしていたこと。しかしその際に事故に遭ったこと。信号を無視して走ってきた乗用車に轢かれたこと。

 そうやって衝撃が来て体が軽くなったと思った次の瞬間、私がいたのは自分の家で、目の前に人が眠っていた。顔に掛けられた布を持ち上げて見てみたらそれは紛れもなく私で、私は交通事故で死んだのだと思った。

「……私は、成仏できていない幽霊なのだと思いました」

 そう、付け加えて。

 その言葉の重さや怖さに、少しだけ、悪寒がした。

「声がして振り返ったら、礼さんが呆然と立っていました。私の、幼なじみの死に驚いているのかと思ったら――」

「亜由美の遺体の隣に亜由美が立っているなんて、信じられなかった」

 私の言葉を継いで言ったのは、礼さんだった。

 少々眉根を寄せて、苦い表情を作っていた。

「頭がおかしくなって幻を見ているんじゃないかと思って、手を伸ばしてみたら、実体があった。まさかとは思ったけど、目の前にいるのは紛れもなく亜由美だし、おばさんに会わせたらおばさんが卒倒すると思って、とにかくどこかに連れて行かないとと思って……

 駅へ行って、電車に乗せて、考えて。結果、そういう非常識な問題にも対処してくれそうな人間は一人しか思い浮かばなかった」

 以上だ、と言って礼さんは私から引き継いだ説明を終えた。

 私から話せることはもうない。だから私は隣に座るルナさんを見た。ルナさんも私を見返す。ルナさんは私よりも背が高いから、やや見下ろすかたちになっていた。

 私の言葉をすべて聞いた彼女はまず、こんなことを言った。

「私たちの知る亜由美さんは、交通事故になど遭っていない」

「え? でも」

 この世界の私は死んだ、と。

 私の言いたいことを理解した彼女はしかし、かぶりを振った。そうやって否定の意を表して、この世界で起こった『私』に関する事項を私に告げた。

「殺された」

 殺。

 日常ではドラマかニュースでしか聞かない言葉に、私の頭は一瞬にして真っ白になった。それが私の――『この世界の私』の身に?

「……え」

 言葉を失った私に、彼女は申し訳なさそうな目をした。

「礼、写真はあるか。真柴亜由美さんの」

「……写真?」

「彼女に見せてやろうと思ってな」

 写真なぁ、と呟き虚空に目をやって、しばらくして彼は鞄を探って黒い手帳を取り出した。こんなものでよければと言って、その一番最後のページに挟んでいた一枚のそれを、テーブルの上を滑らせてルナさんに渡す。

 彼女はそれを持ち上げて一瞥したあとに、私に手渡した。

「あ……」

 そこに写っていたのは、私によく似た人だった。うり二つ、という言葉では甘いほどに。礼さんと二人、競うようにしてピースサインをこちらに向けている。背後に遊園地のアトラクションが映って見えるあたり、二人でどこかへ遊びに行ったときの写真なのだろう。もしくは、撮影者を含めた三人で。

 見覚えのないピンクゴールドのアクセサリーが、写真の中の私の首で、さりげなく光っていた。

「それが、真柴亜由美さんだ」

 ルナさんはそう言った、けれど。

 これがこの世界の私だと言われても、実感はなかった。

 そのときちょうど、ウェイトレスが料理を持ってきた。各々の目の前に料理を置いて、伝票を置き、一礼すると去っていく。私の目の前には、礼さんが注文した通りにシーフードグラタンとベリーのシフォンケーキが置かれた。

 ルナさんは視線を窓の外に逸らして、続きを口にする。

「ここ最近、学校近くで傷害事件が起こっている。

 亜由美さんはそれの三人目の被害者で――唯一の死亡者だ」

 そして少しの間を置いて、今のところは、と付け加えた。

 ということは。

「犯人は……」

「捕まっていない。まだ警察も捜索中だ。目撃者の数もなかなか少なく、どうにも上手くいかない状況が続いている」

 鶏肉のソテーをフォークの先でつつきながら、ルナさんはそう答える。礼さんを見ると、彼は何も言わずにオムライスをかき込んでいた。一見食事に集中しているようにも見えたが、その表情は少しだけ辛そうで。

 だからそれは、やけ食いのようだった。

 ――大事な人を失ったことに対する。



 私がようやくシフォンケーキを平らげたときには、窓の外はうっすらと暗くなってきていた。

 水のなくなったコップの中、氷をからからと鳴らし、

「……そろそろ帰るか」

 礼さんがぽつりと言った。

「どこにだ?」

 ルナさんが訊いた。

 が、そんなことは聞かなくてもわかっている、はずだ。

「どこって、家だよ」

「亜由美さんを連れてか」

「そ――」

 そんなことは当たり前だ、とでも言おうとしたのかもしれない。けれど言いかけて、彼も気づいた。

 私はそこに帰れない。

「……お前の家に匿うとでも言い出すかしれないが、そんなことはまず無理じゃないか? お前の両親も亜由美さんのことは知っているだろうし、そもそもお前たちの生まれ育った自宅近くに連れ帰るのは、危険性が高すぎると思わないか。

 知り合いに目撃されたらどう言い訳するつもりだ」

 初対面のときから薄々気づいていたが、ルナさんはとても頭の回転が早い。だからこういった非常識な常態においても、行っても問題のない行為と行うに問題のある行為の選別をし、更に、そのときになすべきことを正確にできる人だった。

 けれど、

「……だったらどうしろって言うんだよ。亜由美をどこに置けって言うんだ」

 私も思っていたその不安を、礼さんは代わりに言ってくれた。私たちは学生だ、泊まる場所を用意する金もなかなかないだろう。

 と、彼女は感情の見えにくい真っ直ぐな瞳で、それに対する答えを告げた。

「私が預かる」

 言ってルナさんは、ゆっくりと腕組みをした。

 それ以外の対処法があるかとばかりに。

「――お前が?」

「両親はもとよりいつ帰ってくるのかわからない人たちだし、兄は今研究で忙しいらしく数日は帰ってこない。帰ってきたところで、私の友人だと言っておけば何の問題はないだろう」

「だったら俺も、お前の家に」

「阿呆」

 私が心配だったのかもしれない礼さんの言葉に、けれど彼女は冷ややかな目でそう言った。

「忘れているかも知れんがな、私は生物学上は女だ。そしてお前は今、幼馴染みで恋人だった女の子を亡くした男子学生その一だぞ。

 そんな人間が他の女の家に泊まりに行くなんてことがあるか」

「でも――」

「私だって携帯くらいは持っている。どうしても動向が気になるなら、連絡を寄こせばいいだろう」

 と言って、ルナさんは胸ポケットから青の携帯電話を出して見せた。蜻蛉玉のストラップがひとつついている。それをテーブルの上に置いて、人さし指の先でこつこつと二度ほど叩いてから、彼女は。

「ただでさえ面倒な現状なんだ。下手に怪しまれるようなことをするな」

「……わかったよ」

 不機嫌そうな表情で、それでも礼さんはなんとか納得したようだった。

 それから礼さんは私を見た。

「亜由美はそれでいいか?」

「え? あ……」

 私は二人の顔を交互に眺め。

 二人の視線が私を向いていることを知ると、

「……ルナさんさえいいなら、よろしくお願いします」

 そう言って、頭を下げた。

 と、彼女は笑った。それは苦笑じみた笑顔だったけれど、その中には嫌悪の感情は込められていなかった。

「乗りかかった船だ。私にできることはしよう」




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