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巨匠の嘆き

 『巨匠団』の社長は昼間から酒場で飲んでいた。アルコール中毒者に特有の、常に酔っているために酒を飲むという飲み方だったが、事前に集めた噂からするに、かつてはそのようなことをする人物ではなかったようで、このときはいわば中毒者志望という精神状態にあったのだろう。


 酒場は壁の中にある店では最王手を誇る『酔漢の誇り』で、必然的に横長になりがちな建物の構造を活かした長いカウンターと、女給仕が一人もいないことを特徴としている。もとより壁の中にある施設はあらゆる意味で不調法なのだが、この店は飛び抜けて殺風景で、コンクリートの壁を彩色してすらいない。要するに男臭いのが売りなのだ。『巨匠団』社長、サヴァ・ネラソフは中年でありながら、その雰囲気にも酔っていたと言えるだろう。敗残者としての自分を慰めるには男の孤独という感傷がもってこいなのだから。


 サヴァは身長こそそれほどではないが堂々たる体躯。おまけに髪とヒゲを豪快に伸ばしており、いかにも強面だ。だが、まぶたが腫れぼったく、その下の瞳にはどこか他人の様子をうかがう気弱さがうかがえた。その卑屈とも言える色が、今の境遇にうちひしがれているからでなく、本来の性質だということは、会話が進んでいくにつれてすぐにわかった。


「結局、自分に危険を見極める感覚が鈍っていたってことなんだよ。それでこんなことになってしまったんだよね。生活が便利になってくると、人間よくないんだよ。根本的なものが失われていたんだね、俺も。失われたものが何かわかるかい? 野生だよ。若い頃は何もない荒野にナイフと毛布だけ持って出かけて行くのが好きだったんだけど、今思うとそれは野生を磨いていたんだね。水も食料も持って行かない。そうなると危機感で知恵と勘が冴えてくるんだ。周囲の虫や動物と同化するんだよね。そうしたら、命ってすごいな、って素直に感じられるようになる。でもさ、ダメだったね。車、電気、そういう便利なものに頼って魂を忘れてしまっていたんだ。裸になって生命について感じなくちゃいけなかたんだ。それができていたら、あいつらを送り出したりはせず、止めていただろうにさ……。俺が殺してしまったようなものだよ……」


 私が本題を切り出さずに世間話から入ると、彼はそのような愚痴を長々と述べるのだった。男らしさ、勇壮さ、大自然……そんなものにあこがれるところは私にもあったが、彼の場合はあまりに極端であり、さらにそれを唯一絶対のものと断言してさえいた。文明批判と根性論が合体し、なんであれ苦しんだり我慢したりすることの方がより正しいという考えに凝り固まっていた。世間には少なくないタイプではあるが、私と相性が良いとはいえなかった。


「俺は人の幸福は周囲にどれだけ人が集まってきたかだと思う。そのためには自分に軸を持つことが必要なんだ。一人でも生きていける、そんな覚悟がないと自分を頼るだけの弱い人々が集まってきてしまう。自分の弱さを許す生き方は他人も弱くしてしまう……。俺の周囲にはいつのまにか弱い人間が増えていたんだろうね」


 酒を飲みながら数時間も彼と話すうち、このような迂遠な自己弁護を何度となく聞く羽目になった。私にはネヴァが一匹の甘えた子犬になってこちらを期待の目で見上げながら延々とその場で回転しているような幻視すら見えてきた。そのせいで私は軽率な間違いをおかしてしまうことになるのだが、誰であれこの状況には耐えられないだろうと今度は私の方が自己弁護をしておく。


「自責の念もわかりますけど、それなら生きて帰ってきて入院している社員たちに面会もしていないってどういうことなんです? 何があったか確認しないとあなたのせいだとは言えないでしょうに。王が何を命じていたのか知らないことには」


 私はいらだって挑発的な口調になっていた。


「王のしたことを疑う?」


 サヴァはこの時点で気分を害したようだったが、私はすっかりあてられてしまっており、さらに興奮して言葉を重ねてしまう。


「王に疑いはないですよ。しかし、それほどのことがあったのなら、関係筋への面会は申し入れるべきでしょう。聞くところ向こうからの反応は何もないそうですが? そこまでされて、こちらから働きかけないというのは、単純に勇気がないだけでしょう」


 私は彼の勇気を試すような言葉を口にしていた。サヴァは生来勇気に乏しく、それ故に男らしい勇猛さや鷹揚さに憧れており、本当の自分を常に隠しておきたい人物だろう。私は愚かしいことに当初の目的を忘れ、彼をやり込めてみたくなっていたのだ。


「だったらどうだって言うんだよ! あんたがなんか出来るってのか! どうにもできないだろうが! どうにも!」


 サヴァはカウンターに拳を打ち付けて怒鳴った。それまで様子をうかがうようにしていた周囲も驚きの目を向けてきた。こうなると私もさらに声が大きくなってくる。


「葬送をやってやろうって気持ちはないんですか? 死んだ仲間のために。そうすれば注目だって集められる。誰だって追悼なら禁止できないでしょうが!」


 私の言葉に野次馬の酔漢たちがざわついた。「ああ、その方法があったか」と感心する声と「そうだな、葬送すらできないのは恥ずかしい」と私を後押しする声があり、「どこの誰だ、あのひょろひょろ。勝手なことを言いやがって」といぶかしむ声もある。それでもサヴァが精神的な圧力をかけられたのは間違いない。それによってサヴァの爆発しそうになった気持ちは、当然ながら私に対して向かってくることになる。


「よそ者なのに勝手なこと言いやがって! あんたはこっちのやってることを知らないだろうが! 俺がどんなに苦労したかしってるか? 下げたくもねぇ頭下げて、それでも仲間を守るためにやってるんだろうが! そっちがなんだか知らないが、だったらあんたが上に言えばいいだろうが! それが男気ってもんじゃねぇのか!」


 話がすり替わっているが、言葉の内容とは無関係に怒声というだけで周囲は盛り上がる。ヤジにも「社長! おめぇが仲間を守ったことなんぞねぇだろ!」のような危険なものが混じりはじめる。それに呼応してサヴァの顔が酒焼けの朱から怒りのどす黒い色に変わってきた。がたりと立ち上がったサヴァはすっかり臨戦態勢で、太い指を拳の形に握りしめていた。もう竜狩りで鍛えた筋肉は失われているだろうが、それを覆う脂肪は並の男には纏うことすら許されない量があり、まだ人間程度が相手ならくびり殺せるだけの体力を感じさせた。そろそろ私の頭にも冷静なものが宿ってきて、身の危険を警報しはじめた。走って逃げたところで相手にたやすく追いつかれる程度のスタミナしか私にはない。


「わかりましたよ。王に何か言えってんなら言ってやりますとも。こっちはなんにも知らないけれど、その程度のことはできますよ。そりゃあ、こっちだって平和的に葬送が行われればそれに越したことはないんだし……」


 明確に勢いが下がった私を周囲が許すはずがなかった。「失敗したらどうするんだよ」「そうなったら迷惑は竜狩り全体にかかるんだよ!」との声が。


 サヴァも理屈はともかく私を殴って追い出して早く気分を直すことしか考えていないようで、そろそろ私の首根っこにその手を伸ばしてくる気配。死の危険とまでは言わないが、私の冒険もここまでなのは確かなようだった。入院まで至らずとも痛いのは確実で、なにより竜狩りの協力が得られなければ私の目的は何も果たせないことになる。私は自分の性格を悔やんだが、それでもどうにかなるわけではない。


 サヴァの無駄にでかく力の入った手が私の肩を包むようにつかんで、私を立ち上がらせた。いよいよかと覚悟したとき、救いの手が突然に現れた。酒場に入ってきた陽気な声が全員の注目を集めたのである。


「旦那! サヴァ・ネラソフの旦那! いい話がまとまりそうですよ!」


 その声には私も聞き覚えがあった。この街で会話した相手はそう多いわけではない。つまり入ってきたのはリャン・ルート。いかに気の利かない二世社長とはいえ、この酒場ではちょっとした顔であるらしい。一気に酒場の空気が変わった。


「白蜈蚣の二代目じゃねぇか。巨匠の大暴れを見に来たのか?」


 周囲から声がかかるが、リャンはそれを受け流す。


「そうじゃない。だが事情は聞いてるぜ。それでいい話を持ってきたってわけさ」


 リャンは扉から一人の男を呼び込んだ。


 またも酒場の空気が一変したと感じたのは私だけのようだった。他の者たちは彼のことをこの酒場にそぐわぬ人物であると思っただけだろう。高価そうなスポーツジャケットを嫌味なく着こなし、革製の球技用靴をはいた痩せぎすの男だ。豊かで見事な白髪の持ち主で、頬はこけ気味だがそれが鋭く知的な印象を与えている。男は、一見すると、ただ気むずかしいところのある上流階級の人間としか見えないが、この手の人物を見慣れた私は、金属縁の眼鏡の奥に鈍く光っている彼の目が異様であることに気づけた。理想への情熱と世界への侮蔑が同居した瞳だ。一般的には強い意思としか受け取られまいが、世界改変への強い執着のある者だけが持っている狂気の目。普通ならば扇動者か組織犯罪者にしかなれないが、自分を優れた思想に殉じる者と信じ、結果、強力な力を欲している者だけが持っている、革命家の目。


 昨今、帝都の大学にはそのような目をした思想家を名乗る者たちが幾人も出入りしていた。帝都で生まれ、西方で育った近代思想が里帰りをしたというわけだった。そして、それが今、ロートゥアまでやってきたというわけなのだろう。


 その男は私の視線に気づいたか、そうでなかったか。彼は演説にでもやってきたかのように周囲を見回し「竜狩りの皆さん」とはじめた。


参事会()議員、アバイ・カステルです」


 参事会は自治都市にあっては行政機関だ。竜狩りにとっては直接的には「お役人様」程度の意味になる。

「親父に例の件を話したんだ。そうしたら、渡りをつけてくれることになってな。新任のカステルさんが乗り気になってくれたってわけだ」


 リャンが私に寄ってきて肩に手を置いた。続いてカステルさんとやらもやってくる。


「巨匠団の件、漏れ聞いておりますよ。そして思うのは、王の責任ですね。それについて王はだんまりを決め込んでおられる。私はそちらにおられるネラソフ社長の心中をお察しいたします。そして、この青年の一見無謀とも思えるアイデアを、無謀でなくすることによって、社長の嘆きを市民の声として王に届けるのは変革をもたらすことと思います」


 アバイが私の前に立った。


「抗議として葬送を行う。素晴らしいアイデアじゃないでしょうか。そして、聞いたところ、彼には秘策もある」


 私を皆に紹介するようなポーズでアバイは手を広げた。これで私は発言しないわけにはいかなくなった。


「……歌手を。それも聞いた者が二度と忘れないような歌手を用意しています」


 その言葉に好意的ななざわめきが帰ってきたのは、アバイがこの場の皆に権威を感じさせたからだろう。サヴァも怒りを収めないわけにはいかなくなり、リャンに話を振る。


「おい白蜈蚣の。なんだかわからないが説明はあるんだろうな?」


「そりゃあ大丈夫。葬送はいつもの通りだ。それに街に入ってのちょいとしたパレードがあるだけ。歌手については明日には歌わせる……で、大丈夫だよな?」


 リャンが調子よく言って、私に確認をとる。私は「ああ」とうなずいた。


 どうやら私はぶん殴られずに済み、取材は継続、おまけに葬送の実施と兄妹のお披露目まで計画通りと一瞬にして望み通りになったわけだ。が、アバイ・ネラソフに感謝する気にはなれなかった。彼を見やると、目が合った。アバイは親愛のほほえみを浮かべた。こういう人物の常で目は笑っていない。私は黙礼を返した。この瞬間、軽率さから何かとんでもない計画に足を踏み込んでしまったのだと私は気づきはじめていた。


 そして当然ながら、その後、私は自らの愚かさの報いを受けることになる。

※ 帝国の行政は州と県に分類されている。自治都市は県と同じ程度の権力機構を持つ。立法と行政は分離されておらず、警察権も参事会にある。

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