葬儀における流儀
竜狩りはよく死ぬ。もちろん危険な環境で仕事をしているからである。
ところで葬儀は死者のためと称しながらも生者の自己満足のために行われるという側面があることは否めない。話がそれることを許していただけるならば少し書き綴っていこうと思うが、原始的な葬儀は生者のための実利として行わねばならぬ側面が強かった。葬儀に利益が生まれるわけでなく、重要なのは腐敗からくる悪印象と病気を避けるという意味である。遺体の放置が腐敗につながるのは言うまでもないので、この腐敗についてどのような態度を取るかが死において当面向き合わなければならぬ課題なのだった。大地に埋めるという措置が一般的だが、次いで焼く、海に流すというものも見られる。乾燥した地域に限定されてのことだが、鳥獣に食べさせるというものもある。いずれも日常から腐敗を遠ざけることに意義があるわけだ。
さてこのようなことを語ったのは、遺体なき葬儀は可能かという問題があるからだ。竜狩りの死において多くの場合遺体は存在しない。竜は襲撃者に容赦せず、その遺体を喰ってしまうか、バラバラにしてしまうか、いずこかに持ち去ってしまう。竜狩りたちは仲間の死に直面しても、即座に進むか戻るかの判断を迫られるわけだ。遺体にかけられる塩も石灰も彼らが準備したことはない。そして、生き残った竜狩りが街に帰り、さて仲間の葬儀だとなった際、そこに生者の精神的な自己満足しか残らないことに気づく。
故に死者の多い竜狩りではあるが、葬儀は極めて簡素で奇妙なものとなる。生者たちは車を連ねてロートゥアの外周を走り、死者の名を告げながら街へと帰還する。魂を街へと持ち帰るという意味合いの儀式だが、実態は生き残った仲間たちの団結を確かめる行為となる。その証拠に車でぐるりと街を周回する行為は容易に暴走となり、ホーンを思うさま鳴らしながら行われる派手なレースとなることも常態化している。もちろん一般市民から白い目で見られていることは間違いない。
ナイビット・カイラス王のもと壊滅した『巨匠団』の葬儀が行われていないのは、もちろん生き残った者たちが入院しているからなのだが、親衛隊らが王の失敗を隠蔽したいと願っているからだろう。
「しかし、葬儀をして悪いってことはないはずでしょうに」
私はリャンを説得しようとした。
「理屈は通るが、王の許可が……」
リャンは竜狩り会社の二代目らしい自主性のなさで提案を渋った。改めて評してみると、このリャン・ルート、筋肉質で図体はでかいが目には覇気がない。
「許可は歴代の葬儀にだってあったわけじゃないし、王の許可がとれるならそれでいいってんなら、許可をもらいにいけばいい」
「無茶言うなって。ともかく俺は知らんよ。結局のところそうしたいなら『巨匠団』に行けばいい。社長は猟に出ないから生き残ってるはずだ」
そういうことになった。私は自分でもおかしくなっていたとは思うが、すっかりこの兄妹を仕切っている気分で手はずを整える気分になっていた。リャンに「気が変わったら協力してくれ」と告げると、『白蜈蚣竜狩猟社』を出て、先刻に聞いていた下宿へと二人を連れて行くことにした。