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兄妹の歌

※ バイオリンに似た楽器。ネックがなくボディの一部に穴があり背後から弦をおさえる。


※※ この曲のモデルは不明。楽譜は存在している。


※※※ 当時のロシアにおける音楽院の内情を示しているかはわからない。

 私と同用件でやってきた彼らは、私以上にこの場にふさわしくない風体をしていた。かなり年若い男女の二人組で、男の方は都会風というにも気取りすぎた背広姿。女の方は腰を締め付けない流行のドレスに上着を羽織っている。おまけに二人ともきっちり帽子をかぶっていて、これから観劇にでも出かけようかという風情。神人に血縁が近しい金持ちとしか思えない。


 しかし、彼らの態度は一貫して低姿勢で、率直に言えば落ちぶれた雰囲気が感じられた。


「竜狩りに雇ってはいただけませんでしょうか?」


 と、入るなり以前から用意していたと思われる台詞を言ったわけで、そこからもずいぶんとかしこまっていたことがわかる。


 私とリャンは顔を見合わせた。どうしたものか私は身内気取りになっていて、「こいつは困ったな」と目でやりとりをしていたという次第だ。それでもリャンが何か言わなければ話は進まない。


「竜狩りは、今、禁猟の命令が出ているんですよ、旦那……」


 リャンはやはりかなり戸惑っていて、中途半端な敬語を使った。


「……しかし、その、言いにくいのですが、私たち兄妹には帰る場所がなくて」


 二人は芝居という風でもなく頭を垂れた。荒野をさまよっていたら小さい家を見つけ、そこに泊まろうと懇願しているときなら、このような顔ができるかもしれない。彼らは兄妹だと言っていたが、確かに顔立ちは似ていた。線の細い美形で、高い鼻と尖った顎からするに、やはり高貴な出のように見える。


 さて、兄妹にはそれ以上に語るべき言葉が見つけられないようだった。それなりに長い沈黙があり、たまりかねたリャンが私に目を向けてきた。「お前の方がこういうことに馴れているだろう」と表情が語っていた。そして、比較的という意味でいえば、それは事実だった。


「私もここに同じ用件で来たばかりなのですが、断られている最中でして。その私だから言うのだと思って欲しいのですが、ご両人とも竜狩りをする人には見えませんし、その……私のように下働きからならなんとか、という人でもありますまい。どうして竜狩りの会社にいらっしゃったんです?」


 私もかしこまって言った。


 その問いに対する兄妹の反応は言葉ではなかった。ゆっくりとはしていたが、そうすることは最初から決めていた、とでもいうような確かな動作で返答が行われた。妹はただ黙って兄を頼るように見、それに促されるように兄は背後に置いていたトランクを持ち出してきた。トランクは大小ふたつあり、そのうち小さい方を丁寧に床に置くと、まるで美術品の取引でもしているかのように静かに開いた。そして、うやうやしく取り出したのは、楽器だった。木目からするに高級な木を使ったヨウヒッコ()だ。同じトランクから弓を取り出すと、彼は先ほどまでの怯えが嘘のように堂々とした態度で椅子をねだり、リャンがうなずくとソファの空きに座って膝上に楽器を構え、自らの独演会であるかのうように気負わぬ様子で、弓をひきはじめた。ひゅるり、と風のごとき音が響いた。それがリズムを伴い曲になった。穏やかに響くのは伝統的な曲『迷い鳥(※※)』だと知れた。


 と、ヨウヒッコから流れ出るその音に、不意に清廉な青い響きが宿ったかと見えた次の瞬間、いきなり空気が波となってうねり、私たちに一気に押し寄せてきた。それは演奏のさらに背後から来ていた。それまで無言だった妹が両手を組み合わせ、縦に長く口を開いていた。それが歌なのだと気づいたのは、すでに心が波に同調して震えていた後だった。波は激しく首筋に冷たいその手を触れたかと思うと、次の瞬間には柔らかい霧となって耳の裏をくすぐった。震動が腹の底に熱いものを吹き込んだかと思えば、足からつま先に向かって冷たい痙攣を素早くもたらしてくる。


 彼女の声は、伸びやかで自由でありながら乱れがなく、張りのある鮮烈な若さの中に熟練の深みが宿っていた。幾重にも言葉が重なったような濃密さがありながらひたすらに爽やかだった。『迷い鳥』はただの童謡で誰もが知るものだったが、その歌詞に特有の哀切と残酷さが宿っていることが今更のように心に刺さってきた。


 歌が終わり、弦の終奏もすぐに消えると、静寂があった。私は脳を超自然的な力で抜き取られたかのようにぼんやりとしており、リャンはそれにくわえて岩からしみ出る清水のように涙を垂れ流していた。


 この兄妹の音楽能力が一流なのは明らかだった。私もリャンも衝撃に打ち据えられたようになっていて、言葉を発するのは難しい状態にあったが、当の兄妹ときたら、私たちがどういう感覚でいるのかをまったく理解していない様子で、相変わらず申し訳なさそうに首をすくめ、こちらの顔色をうかがっているのだった。


「どこかで演奏をしていたことは? 正規の声楽を学んで?」


 私は気の利かぬことを質問していた。


「演奏は勉強中で……。帝都音楽院です。私も妹も中途で辞めざるを得ませんでしたので」


 兄はぼそぼそと言った。


 帝都音楽院(※※※)は音楽教育の世界最高峰だ。名門の出であるというだけでは入学は許されず、相応の才能が必須で、入学試験の難度は伝説的ですらある。そのため学生は卒業後の音楽業界への就職が約束されているばかりか、ただ入学したというだけでその世界では誇れる経歴となる。金銭、才能その他の理由で中途退学した者でも地方楽団からは声がかかるほどだ。だが、音楽院の絶大な権力が裏目に出ることもある。何か学内でもめ事を起こして辞めてしまった場合、音楽で身を立てる道は完全に閉ざされてしまうのだと言っていい。つまり、この兄妹もそのような憂き目に遭ったということであろう。もちろん地方劇団やそこらの酒場での演奏などであれば食えてはいけるだろうが、正規の音楽会での活躍はあり得ない。


 そうなるとこの兄妹に何があったか詳細を聞くことははばかられる。


「とはいえ、竜狩りで歌を?」


 私はつぶやいていた。確かに竜狩りは彼らの階級はおろか一般とも隔絶した別業界であり、音楽院の者たちも影響力を持てない。だが、それは竜狩りが一般人以上に音楽を必要とはしてこなかったという意味でもある。


「他人より出来ることといえば、これしかないんです。それに妹の才能からすれば、そこらの酒場で音楽をやるなんて……いや、失礼……その、そういう意味ではなく……」


 兄は困惑し、恐縮している一方、音楽的才能については自負をにじませていた。なるほど、気弱な外見の裏で音楽業界を見返してやりたいという情熱が、静かに、強く燃えているというわけだ。


「この街にも劇場くらいはあるぜ。だから……」


 リャンが口を開いた。彼が帝都の、しかも学問の世界の事情に明るいはずもない。私は彼には後で説明することにして割って入る。


「音楽業界ってのはそういうわけにいかないんですよ」


「だが、竜狩りだって音楽は劇場で聴くし、竜狩りの歌劇だって劇場でやるんだ」


「そういうことじゃなくて、たとえば竜狩りの車団に音楽を演奏する車を入れるとかそういうことでしょうよ」


 私の口から不意に出た思いつきだったが、それを聞いた兄妹の顔は「それだ!」と言わんばかりに一瞬輝いた。なるほど、我ながら冴えている。が、リャンは驚いた顔をして反射的に否定した。


「なんだ、その考えは? 聞いたこともない。車の音はやかましいし、無線シグナル以外の指示は声でしなくちゃならないが、それもほとんど聞こえねぇんだから」


 それでも私は自らの案に強い魅力を感じはじめていた。そうなると止まらないのは私の悪い癖で、なんとかしてこの兄妹の歌を竜狩りと結びつけたいと脳を回転させる。


「それでも車で演奏するってのは、もうどこかの地方劇団だってやってるのだから、できないわけじゃないでしょう?」


「知ってるが、専用の車を仕立てるなんてな……」


「これまで竜狩りの宣伝で車を出したりはしていない?」


「するわけねぇ。黙ってても人手はある程度来るし、狩る方は宣伝したって狩りやすくなるなんてこともないから利益は増えねぇ。そもそも言いたかないが、竜狩りと世間との距離感ってものがあるわな」


 リャンが文句を言うように首を横に振った。確かに必需品を提供しているとはいえ、竜狩りは荒っぽいし、神聖な生物を殺す賎業である。だからこそこの兄妹もやってきたわけだが……。


 その時、さらなる考えが私の脳内で音を立てて誕生した。一瞬にして策が組み上がり、一人快哉を叫んだ。思わず立ち上がり、リャンに聞く。


「竜狩り伝統の葬送は『巨匠団』の事故では行われてないんでしょう?」


 その質問にリャンは「この場で何を言ってるんだ?」との顔を浮かべたが、すぐに私の意図に気づいた。


「おいおい、葬送で歌をやるつもりか? そりゃ親衛隊ににらまれるんじゃねぇのか?」

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