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竜涎香

 竜の脳と腸とに関係があるとはどういうことか? それは第一に生物の進化について説明する必要がある。多くの生物のもととなった原始的な形態は、おそらくは脳を持たなかったと考えられる。現在の分類では輪形動物という扱いになっているようなものを想像してもらうとよい。いや、そもそも輪形動物をご存じないかもしれない。要は水中の微細な虫、しかも口と肛門と毛しか備えていないような生物である。口と肛門と書いたことでおわかりになっただろうが、このような生物は消化器官以外が存在しないと考えてよい。生殖も雌雄がなく分裂して増えていくので、生殖器官もないのだ。分類して言うなら、腸だけが生きている生物とでも言おうか。


 一般常識で考えてしまうと不思議だが、どうも生物とは脳がない状態でも生きていけるものらしい。そして分類学者として言えることは、現在の複雑な生物の内臓においても腸はかつてのように独立した生物と考えることも可能だということだ。冗談や詭弁で言っているのではなく、最近の研究では腸内から脳内で見つかる物質が分泌されているとわかってきている。空腹は脳が告げているのではなく、腸が告げているようなのだ。いわば腸は考える能力を持っているということになる。


 このことと竜とどのような関係があるのかというと、それこそが本題となる竜涎香だ。これは竜の腸内のみから採取される石だ。どうやら腸内の分泌物が固まってできたもので、形状は直径半フートほどのいびつな球。色は白から茶褐色。ちなみにこの竜涎香、完全なものまるまるひとつなら一万マルッカほどにもなる。これほどの高値になる理由はひとつしかない。竜涎香は人間に対する強烈な麻薬作用を持っているのだ。


 現代では麻薬は忌み嫌われるものだが、基本的に人類は麻薬と上品に付き合ってきたといえるだろう。ときに麻薬は人間に宗教的啓示を与えるものとされてきた。宗教的密儀とされるものが麻薬の摂取を根本としていたことなど枚挙にいとまが無いほどだ――とはいえ本当は信者以外が知っているはずがないので列挙できないという性質のものだ!――。しかしながらこの竜涎香は残念ながら密儀とも深遠な哲学とも無縁である。歴史が浅いためである。竜狩りたちが竜涎香を発見してから、それは純粋に快楽のためだけに使用されてきた。その効果については竜の研究に重要であるばかりでなく、私の運命にも深く関わるものであるので後に詳しく説明することになるが、ここでは些末な点についてのみ触れておくことで本項を閉じることとしよう。竜涎香が竜の排泄とどう関係しているかということだ。


 実際、竜の消化器系については詳しくわかっているものの不可思議な点が多い。竜はその身体の色に類似の鉱物類を摂取する他、浮遊植物『浮遊する哲学の球体』を捕食するのみだ。生物を補食することは例外的な事態なのである。そのほ乳類に類似の立派な消化器はほとんど使用された形跡が無い。そして竜涎香が肛門より排泄された記録はない。竜の排泄物は砂か石に近く、ほとんどの生物の糞に含まれる雑菌類はない。そして竜涎香は腸内に留まり続けるのである。

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