イロナの出立
ボルテルの依頼を消極的にだが引き受けてしまった私のイロナに対しての気まずさは想像していただきたいところで、それからしばらく忙しさにかまけて彼女にこちらから声をかけることをしなかったとて責められることもあるまい。そして、久々に会おうと人伝に聞かされたときのばつの悪さも、いつもの食堂で待ち合わせに現れた私の表情がイロナに不審がられたのも、恥ずかしながら言い訳しておきたいところである。
「なんか捕まりに来た犯罪者の顔だね?」
イロナが私を見るなり言った。私と親衛隊との約束は彼女に知られているものと覚悟していたので、私は「すまない」と出し抜けに謝った……のだが。
「え? 何その反応? ホントに隠し事してたってヤツ?」
イロナは驚いた顔になり、私をなじりはじめた。こうなるとすべて正直に言わないといけない。私は小声で親衛隊が私にしたお願いを告白する羽目になった。だが、それを聞いてもイロナは驚いた風でもなかった。
「なんだ。まぁそっちはバレバレではあったし。私も君にはそっちのことも含めて大事な話があったから呼んだんだし」
イロナはそう言うと、珍しく真剣な目を私に向けてきた。小柄で威圧感はないとは言え、美女にそう含みのある目で見つめられると、私の中にも以前とは違う緊張感が生まれる。もっとも、彼女は毎度の軍用コートに首をうずめていたし、ここは東方遊牧民風の饅頭を出す大衆店である。色気のないことこの上なかった。
「大事な話をするような場所かね?」
「そりゃあ、君のことは好きだけどそういう感じでもないでしょ?」
何気なくイロナが言ったので、私は「その通り」とうなずいたのだが、その直後に彼女が何を言っていたのか気づいてぎょっとした。
「それで? 大事なことって?」
私はイロナの目を見返したが、彼女の態度は以前のままだった。すぐに軽口を叩きそうな顔をしているだけだ。
「研究内容の話だよ。君には教えようと思っていたんだ。実のところ親衛隊の疑念も正解でさ、私と帝国と王の間に密約があるわけ」
イロナはこともなげに言った。しかし、私は水を飲んでいた手を止めざるを得なかった。
「密約だって?」
私は声を潜めた。
「うん。そりゃあ、私だって帝国の科学将校だからね。しかも王に招かれた身分だよ。今更そこで驚くものじゃないよ」
「そりゃあそうだけど」
私は口ごもった。イロナが何を言おうとしているのかこの時点ではわからずに混乱しはじめていた。
「うん。まぁ秘密にしておかなきゃいけないことだったのはわかってる。でも、君だから言うんだ。それに、これが最後になるかもしれないから」
「最後ってなんでよ。やめてくれよ」
私は嫌な予感に首を振った。イロナの語調には確かに憂いがあった。
「明日、東の方の現場に出発するんだ」
「え?」
「ホントは言っちゃだめなんだけどさ。ずるい女と思っていいよ。君を巻き込みたいんだ。王の密命で帝国の車で東の山の中に研究チームを率いて行くんだ」
私は言葉を返すことができなかった。
「ご想像の通り、私が研究しているものは兵器にも使える。実際、兵器としての期待は帝国の軍人もしてる。でもね、王は違うことを考えているんだ。その研究を竜を殺すためのものだと考えている」
イロナはかんで含めるように言った。
「君が以前に言っていた、死についての研究?」
「そういうこと。大量死に繋がりかねない、死のガスとか、大規模な爆発とか、そういうものに近い何かを研究しているんだ。命について考えていたら、そんなところにまで到達しちゃった。ある意味では必然かもしれないけどね」
イロナはそう言って微笑んだ。
私の身体に寒気とも感動ともつかぬ奇妙な震えが襲ってきた。
「……こちらがそれを聞いてどうするかは勝手にすればいいってこと?」
「そうだよ。さすがに中々鋭いね、君」
イロナは意地悪な顔になった。
「試すようなことをしないでくれよ」
私は呼吸を整えてイロナを見据えた。彼女はニヤリとして歯を見せた。
「科学者が悪女っぽいことをするにはこれしかないのだよ」
「悪女になりたかったの?」
「まぁ、そこそこには」
イロナは軽口を叩く。私は首を振った。
「そういうことなら、こちらもずるく振る舞うことにするよ。どうやら今生の別れってわけじゃないらしいし。どうするかは君の見えないところでやる。でも、聞いておきたいことはひとつあるし、我々らしい会話をしようじゃないか。しばらく会えないことになるんだろうし」
「何を聞きたいの?」
「もちろん竜の命を終わらせる方法」
そう聞くと、イロナは顔をほころばせた。
「いいねぇ。そういう直接的なの大好き。でも、ちょっと抽象的な話にはなるかも。いいかな? 竜の生活サイクルは永遠に見えて永遠じゃあない。竜の営みはずっと大地に記憶され続けているんだ。竜の生命はもっと大きなサイクルのひとつで、竜はその通り道に過ぎない。それは修復され続け、運動しつづける。もちろん我々が動力機械に変化させてもね。だけど、そのエネルギー供給源も排出先も実際に存在しているんだ。私は記憶子と呼んでいる」
「記憶子」
「そう。遺伝子みたいなもの。それが核心なんだよ。その物質としての性質も理解できつつある。気体から竜の身体を通過して別の気体へと変質し、鉱石として地中に蓄積されるようなんだ。そして、その記憶子ってのは、例えば忘れるとき、大きなエネルギーを出すんだよ。それが、いわば竜を殺す爆弾ってわけ」
イロナの言葉で、私は何も理解していなかったことに気づかされた。いや、世界の大半の人々が何も知らされていなかったというわけだ。王はすべてを隠していたのである。それに気づいた私はつい笑い出してしまった。
これを知ったということは、まさに戻れない道に踏み込んでしまったことを意味する。王の為そうとしていることを理解してしまったのだから。だが、真実を分け合うことがイロナの望みだったのだし、私がイロナに返せる精一杯の好意でもあることを、私も承知していた。その証拠に我々はその後は言葉も無く遊牧民風の饅頭を食い続け、酒を飲み、遊牧民風に別れを惜しんだのだった。
翌日、イロナの極秘裏の出立を私は壁の上から見送った。遠ざかる帝国軍の車列の窓からイロナがこちらを見たかどうかが少し気がかりだった。私はまだイロナの意地悪さを許しきれてはいなかったのだとその時にわかった。




