黄金の銛亭
市場の裏手はそこで働く人々に向けての食堂が居並び雑然としていた。どこも一人でも多く客を入れるべく店の軒を出来る限り遠くに伸ばそうとしており、大小の木箱を椅子やテーブルにするのは当たり前、太めの薪を立てたものの前に布をかけた樽を置いて食卓としたものまで路上にあふれていた。おかげでどのテーブルがどの店のものかはほぼわからない始末だ。
悪いことに夕食時だったので、私は大荷物を抱えたまま、ごった返す通りを歩く羽目になってしまった。『黄金の銛亭』はこの道のいちばん奥にある。ひょこひょこと歩く私に周囲から不慣れな旅行者に向ける視線が浴びせかけられたが、こちらとて彼らが想像しているような田舎者ではないので堂々としておくことにする。そもそも帝都ではこれ以上の雑踏があるのだし、よく見てみれば居並ぶ店の提供しているものに珍しいものはないのだから、周囲をきょろきょろとする意義もあまりないではないか……。と思った瞬間、私は自分から視線が離れていくのを感じた。彼らが私に面白みを見いだせなくなったと思いきや、その視線を追っていくと、さすがに誰もが驚く光景がそこにあった。
麺料理専門との看板を掲げた店の領域であろうテーブルにぞろりといくつもの料理と飲料が並んでいたのだ。平皿から深皿、バスケットに複数のジョッキがこぼれんばかりであり、前に座っているのは一人だけ。しかも、それが一人の小柄な少女だったから視線は集まるに決まっている。
淡い栗毛が綺麗に整えられ丸く顔を包み込んでいた。やや青みがかった黒い瞳はあくまで大きくて丸く、いつでも楽しそうに目を見開いているかのようだった。顔立ちは整っており、小ぶりな鼻と大きめの口が表情の豊かを作りだし、ややもすると人間味を失いがちな美貌に暖かさを加えていた。背は標準よりもかなり低い部類だろう。背もたれのない簡易な椅子の端に尻を引っかけるような座り方をしているが足が地面についていない。身を包んでいるのはサイズのだぶついた軍用のコートだ。新品のようなので入隊間もない者なのか。
その美少女が今は凄まじい速度で麺類をその口に流し込んでいる。しかし、マナーはあくまで完璧な神人式。その矛盾を実現する人類からは失われた食事法があるとでも信じたくなる奇跡だ。それでも彼女は人間であり、どうやら麺を素早く球状にフォークでまとめる技術を持っているのだと見て取れるようになってきた。私もどうやら周囲の人々と同様、かなりの時間、彼女の奇怪な食事に見入っていたらしい。このままでは最後まで食事を見ている羽目になってしまう。
冷静に考えれば、かなり小柄な美少女がもの凄い勢いで大量に麺類を流し込んでいるというだけだ。いや、だけというには選ばれた麺料理の種類と消費順が完璧であることが気になる。汁に漬けてあるものは順次注文して伸びないようにし、合間に酢漬け料理をつまんで大量に食べられるような配分に気を遣っている……。
やはり見入っていたようだ。意を決して歩を進めると、近いテーブルの工員風二人連れがやはり彼女を見ながらの噂話が耳に入ってきた。
「王様が妙なのを集めているって聞くからそれかねぇ?」「事件以来、言いたかぁないが、ちょっとおかしくなってるって聞くからな。あの子だって軍人扱いのようだが、軍人には見えねぇ」「何があるってんだろうな、まったく……」
先へと進むが混雑は変わらず、看板からそれとしれた『黄金の銛亭』も混雑のただ中にあった。この通りでは老舗なのか他店より倍ほどは入り口が広いが、やはり軒先にテーブルを並べていた。余所よりも広いのに混雑しているのは、出回りはじめたばかりの放電灯を店の左右に誇らしげにともしていたからと知れた。これなら深夜まで居座れる。道に並ぶテーブルの上方にある看板は、もちろん巨大な黄金の銛。もっとも本物ではなく木製で金色の塗料を塗られたもの。さらに、かえしがふたつの伝統的な形状でなく、最近の効率的なひとつがえしだから、伝説の銛ではない。そのあたり看板に偽りありということだろう。
テーブルに荷物をぶつけぬようにしながら店に入ると、看板娘らしいウェイトレスが元気に声をかけてきた。胸元が扇情的にひらいた丸袖ブラウスに広がった短いスカート。そして露出された胸元と太ももを絶妙に隠すように長いエプロンが覆っている。帝都式の衣装だ。スカーフで巻き毛を覆った可愛らしい彼女は、私の大荷物を見て取ると、広めの店内に十ほどあるテーブルのうち、いましがた空いた一席を指し示した。
「宿泊の方ですね。混雑時が終わったら受け付けますので、お食事をしてお待ちいただけますか?」
まことに断りにくい要求だった。定期乗り合い車の到着時間を考えると、数多くの旅人が同じ道を歩んできたのだろう。一泊でもそれなりの額がかかるだろうが、帝都ホテルほどではあるまいと腹を決める。席に案内されメニューを確認した際に宿泊費も確認したところ、朝食付きで食事の六倍ほどの値段だった。予想よりは安い。安心して、たっぷりと食事を注文する。
眼前のテーブルは長い時間を経て皿の底とウェイトレスの雑巾で磨かれ続けたのか黒く輝いている。床はおがくずが撒かれており、まずは清潔感にも配慮があるということだ。客層は工員でも上級層ということになるのだろうか? 服装にも仕草にも荒々しさはなく、静かに談笑などしている。表の通りよりは軍人も多く、先ほど見た大食いの彼女と違って着古したコートがいくつか背後の壁にかかっていた。店の名前に反して竜狩りとおぼしき者たちの姿は見えない。もしかしたら私と同様に正体不明の服装――旅支度の上着がそれしかなかったからだが私は魚釣り用の蝋引きジャケットを着ていたのだ――をした若者たちがそうなのかもしれないが、だとしたら彼らはいまだ竜狩り志望者にすぎないのだろう。竜狩りの者たちは裾の巻き込み事故を避けるため丈が短い革ジャケットを常用しているものだからだ。
ここはどうやら竜狩りたちのための宿というわけではないらしい、と思いながら店の壁に目を移すと、それでも意匠としての竜狩りにはこだわりたいのか、人の身長の二倍ほどもある絵画が額装されて掲げられていた。有名なモチーフである『最初の竜狩り』である。神人プラトーと金竜ジン・ガルの対決の図である。
※ アーク灯。竜の筋膜と脂を利用した動力と発電については後に一章が割かれる。