政治的誘いと神人の遺伝について
夜会より数日もせぬうち私に呼び出しがかかったのだが、これはボルテル・サーリからのものであった。夜会の翌日にはもうプトキ・ルル討伐行の具体的な立案に入っていたから、これは意外なことで、さらに驚いたことには、周囲の皆に確認したところ呼び出されたのは私だけだったのである。討伐行は予算を含め親衛隊とは密接な関係があったから、通常の業務内のことであれば現場の親衛隊員をよこせば済む話であり、これは何か異常なことが進行していると疑念を抱く他なかった。
果たして会合こそ秘密裏でなかったが、そこで語られた内容は部外秘であるのみならず、私には荷が重すぎる謀議に関することであった。この卒業制作にやってきた旅行学生の身にしてなんとも過ぎたことばかり起こるものだ!
一度来ただけだが、もはや勝手知ったるとでも言うべき親衛隊詰め所の面会室に私は向かった。そこには以前のようにボルテルとヤッキマがいた。ボルテルは相変わらず人間離れした美貌であり、ヤッキマは四角四面な仏頂面であったが、どこか私にとって馴染みの顔になっているのも確かだった。今では私も立派な討伐行の協力者ということなのである。
ところで、ボルテルが穏やかに切り出したことは政治の話であった。
「以前に君が提供してくれた情報により、人間主義者たちの活動の全貌が明らかになった。これには礼を言わねばね。もちろんイロナ・ヨトニ君救出についても。もっとも金銭的な形ではすでに手に渡っていると思うから、少しでも希望があれば親衛隊の誰にでもいいから言ってもらえれば私がなんとかしよう。さて、とはいえ報酬を交換条件にするつもりもないが、まだ少し我々に甘えさせてはもらえないだろうか?」
「重大事で無ければ大丈夫とは思いますが……報酬については現状でも十分にいただいていますし」
私は遠慮しがちに答えた。謙虚さというよりあまり貸し借りをしたくなかったというところが大きい。だがボルテルはそんな私の様子に気づいていないのか、気づいていて無視しているのか、ずばりと要望を提示してきた。
「それは喜ばしい。さて、我々は人間主義者に苦慮していると同時に科学についても困ったことになっている。我々の協力者はそちらにはまったく疎くてね! 残念なことに王の半身についても、イロナ・ヨトニ君の研究についてもまったくわかっていないのだ」
意外なのは親衛隊がそれを知らなかったこともそうだが、何より親衛隊の恥となるようなことをさらしたことだった。これは私が信頼されているというより、この頃にはすでに親衛隊もなりふり構ってはいられなくなったということだろう。
「王は半身の開発とイロナ君の研究についてはまったくの独自で進めておいでなのだ。必ずや深遠なお考えがあるとは思うが、我らにはまだ理解できるだけの情報が与えられていないというわけだ。我々は少しでもこの研究の内容について理解したい。何しろ人間主義者たちの方が理解度が深いとあっては腹立たしいからね」
そういえばイロナの研究を奪おうとしたのは人間主義者たちであった。それは研究内容の重要さを知っていたということになる。
「軍事研究に繋がるとお考えですか?」
そう聞くとボルテルはうなずいた。
「有り体に言ってしまえばそうなるだろう。王は神人の技術を解放しようと考えておいでだ。そしてそのことは間違いなく人類の未来に繋がるだろうが、我らのなすべきことはそれが王の敵対者の手に渡らぬようにすることだからね」
「なるほど。しかし、前回のことも偶然性があってのことですので、より良き協力ができるかどうかはその時になってみないと」
私はこの件について断言したくはなかった。イロナとの個人的な繋がりに背くようなことはしたくなかったのである。だが、私と彼女の間に交流がある程度のことは親衛隊も当然把握している。そこで私を脅すようなことをしてこなかったのは、ボルテルの高潔さというところだろう。その精神性の高さには尊敬すべきところがある。
「ご協力を感謝する。ところで、話はまったく変わるのだが、君は王に気に入られているようだが」
ボルテルがいきなりこう切り出してきた。私は驚き、身を固くした。
「恐縮です」
何か裏があるのかと思いきや、ボルテルは相好を崩した。
「いや、事実だからそれでよいのだ。調整しようとしてきたが、私はどうもプトキ・ルル討伐行に加われそうにないのだ、街での仕事が多すぎるのだよ。そこで、討伐行の際、ヤッキマとともに王のお側にいてはもらえないだろうか?」
「もったいないお言葉です。微力ながら尽くそうと思います」
私は安心してそう答えた。ボルテルも目を細めたが、その後、不意に考え事をするように手を空に泳がせた。
「最近、そう、ごく最近から……。王は、お笑いになるようになった」
その言葉は私の想定にはまったくないものだった。
「それがお珍しいと?」
「そうなんだ。私は詳しくはないが、王のお体が少し心配になることもある。私の生涯よりも王の治政は長いのだからすべて知っているとは言えないものの、おそらくはあの夜のような仕草は過去の記録にもないだろう」
ボルテルは彼の容姿に似合わぬ悩み顔で目頭を押さえた。
「ご心配なのですね」
「そうだとも。私のすべては王のためにある。これまでも王のことがわからぬことはあったが、それは私の浅慮のためだった。いかなる時も王は正しかった。しかし、心配をするくらいは私の娯楽であると私の中で納得しているし、親衛隊の者にはそう承知させているのだけれどね」
そしてボルテルは意を決したように私に質問をぶつけてきた。
「君は生物学につては少々詳しいと聞いている。私には神人から人間が産まれたというのがどうにも信じられないんだ」
「と、おっしゃいますと?」
「小耳に挟んだのだが、王の身体に竜の一部を取り込んでも問題がなかったということは、神人と竜の同一性を示していると医師たちが言っていたのだ。もちろんあり得ない。それほどまでに外見は違う。だが、それを否定したなら、神人と人間との関係も否定することになりかねない。お側にいる者として言うが、神人と人間とは、やはりそこまで違うものなのだ。その精神において」
ボルテルがいかなるつもりでそれを言っているのか私には見当がつきかねたが、それでも彼の真剣さは疑いようも無かった。王への忠誠と神人への尊敬を抱いているからこその戸惑いだった。そうなると私も真剣に対応を考えざるを得ない。
「遺伝という概念があります。それは親と子が似ているという単純な話を考えていただければわかるのですが、生物は子供が産まれるときに記録を焼き増しして渡しているのだという概念です。今ではどんな物質がそれを伝えるかほぼわかっていますが、重要なのは、この情報の中身です。それがどこまでいっても生物が代替わりをする限り、焼き増しであるということなのです」
「そうなのか」
ボルテルが感心したようにうなずいたが、私は彼の機嫌を損ねていないか不安に駆られていた。それでも学んだ事実には学徒として逆らえない。
「焼き増しですので、どこかで不十分な写しが出てきます。生物は歴史が経てば経つほど不完全になっていくのかも知れません」
「では竜が完全で神人は不完全だと?」
ボルテルは冷静に言葉を紡いでいたが、私は慌てて言葉を重ねた。
「いいえ。私が言いたいのは、それは神人と人間の話です。竜はその意味では生物ではありません。焼き増しをする生物には寿命がありますから」
「そうか。つまり医師の言葉が間違いだと」
「私の学んだ範囲では」
私はほっとして椅子に座り直した。しかし、学問としては事実でも、それと異なる自らの信念を貫けなかったことは心に引っかかっていた。何度も訴えているが、私は竜と神人を同根だと考える者の一人である。そしてそれは王が竜の血を呑む姿を見て確信に変わったのだが、同時にそれが禍々しいことにも思えてきていた。だからこそこのときにはっきりと考えを述べることをためらったのだ。私もボルテルと同様、信じたくなかったのかもしれない。
その後、ボルテルとの会話は穏やかなものになった。しかし、このときの会話は私の心にいつまでも引っかかり続けた。今思えばボルテルとて人間だったということなのだろう。私から見れば完璧な彼とて受け止められぬ世界の重さというものは確かに存在したのだ。




