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ナイビット・カイラスの姿

 今でもその姿については見た者の意見が分かれている。「神々しい。あれぞ人の目指すべき姿」とまで絶賛する者もあれば、「真におぞましき、唾棄すべき姿。悪魔の似姿でさえある」と断言する者までいる。少なくとも見る者に衝撃を与えずにはいられなかったことは間違いなく、その日、ロートゥア城の前庭には失神者があふれた。


 イロナが拒否したので、私はいつもの三人で城に出かけていた。ナイビット・カイラス王の帰還を祝う人々で城門はごったがえしていた。城は戦闘時に市民を避難させるだけの空間を持っているうえ、整理の親衛隊も出ていたのだが、いかんせん現代は籠城戦の想定された時代より人口が増えているばかりか、人々はいつもより興奮しており、素直に言うことを聞くはずがなかった。この日、プトキ・ルル討伐命令が出されるであろうと予測されており、その歴史的な言葉をバルコニー前の良い場所で聞こうと若者たちが殺気だっていたのだ。


「ゆっくりでもいいとは思っていたけど、見られるかねぇ?」


 長身であるリャンも背伸びをしないと遠くを見渡せない人波だ。我々は「どうせいずれは王に謁見できる立場なのだから」と混雑を避けるつもりだったのだが、このままでは城門をくぐれるかどうかも怪しい。


「とはいえ、見てはおきたいんだよなぁ」


 私は言った。先だってのイロナの言葉が気になっていたのだ。


「まぁお前は背が低いからどうやっても無理だな」


 リャンが言った。リャンやヴァジンといつもいるから小さく見えるだけだ。


「私だって普通の身長はあるぞ」


「声を聞かなくていいなら、方法があるぞ。そっちにするか」


 リャンが抗議する私を無視して、別の方法を提案してきた。それは竜狩りたちの壁に戻り、その上まで登って双眼鏡を使うというものである。


「それなら城壁よりも上だから、バルコニーは見える」


「そりゃいい。双眼鏡は持ってきてるし、急ごうじゃないか」


 私は言った。リャンと私は竜を探すための高性能双眼鏡を持ってきていた。ヴァジンは「あの程度の距離ならはっきり見える」とのことで必要ないらしい。これは、さもありなんというところ。


 壁に戻ってみると、リャンと同様のことに気づいた人々が壁に集まっていた。それでも混雑はさほどではない。竜狩りか、コネのある一般人しか壁に入れないためだろう。人の流れに乗って狭い扉から暗く鉄臭い階段を登っていく。かなり肉体的につらい距離を上がりきり、表に出て息を整える。私より体重を増やしていたリャンはさらにきつそうにしていた。荒い息を吐きながら「誰だ壁に登ろうと言った奴は」などとぼやいている。


 数週前にもここに上がったことはあったが、今日は以前にも増して絶景であった。城の前庭に集まった群衆を見下ろすと、無数の人のそれぞれの営みがいちどきに見えたように思えて、人間における生命のあり方について考えるきっかけをつかめるような気がしてくる。人が虫か他の動物の群れのように見えるとしたら、それは生命全般についての知識が足りていないだけということだ。生物は群体としては似ている振る舞いをするが、個々の意志は十分に複雑なのである。


 壁に空いている銃眼のひとつに腰を据えて双眼鏡を取り出してのぞき込む。結構な精度で拡大されたバルコニーが見える。ちょうど警備をしている親衛隊がいたので、彼を使ってピントを調節する。それはなんとボルテル・サーリだった。隊長自らが側近として警備するつもりなのだ。ピントが合った瞬間、ボルテルがこちらに目をやっていたのがわかった。私はさすがにこちらに気づくなどあり得ない、と思ったが、どうやら気のせいなどではなく、ボルテルはバルコニーに向けられる望遠鏡、双眼鏡の類いをすべて認知しているようだった。


「やはりあの親衛隊長は殺気まで感知していそうだ」


 ヴァジンが裸眼でバルコニーの方を見ながら言った。超人的なことは超人同士でやっていて欲しいものだ。


 親衛隊長ボルテルは、さすがの容姿であり、人々を惹きつける。どうやら市民にもかなり知られているらしく、立っているだけで声援が向けられている。一部では神人に最も近い人類と呼ばれているとは後に知ったことだ。もっとも、本日は神人そのものが姿を現すわけで、その完璧な理想像を前にしてはボルテルの美貌といえどかすんでしまうに違いなかった。


 やがて鳴り響くファンファーレ。楽隊が控えており、王、ナイビット・カイラスのお出ましを告げたのだ。集った人々の期待がふくれあがり歓声となって渦巻いた。ファンファーレが終わっても歓声は静まらず、それはナイビット・カイラスが姿を現すまで続いた。


 まずは足音であった。歓声が戸惑いに変わったのはその瞬間だ。カツン! と甲高い足音は異様であった。それが聞こえた者は前列の一部だけであっただろうが、戸惑いが熱狂を消して伝播していくのにはさらに足音が幾度か響くだけで十分であった。金属が石に当たって擦れ、不快に響く靴音とも言いがたい音はひどい違和感を持って人々の心を冷ましていく。


 その背中を粟立たせるような足音とともに、バルコニーに現れたのは金色の甲冑であった。いや、半身だけを甲冑に包んだ美丈夫である。人々はナイビット・カイラス王が甲冑を不格好に着込んで現れたのだと信じたのだが、そのことが真実が知れたときの衝撃を強める結果になってしまった。


 私も人々と同様のタイミングで真実に気づいた。


「身体の一部が金属に置き換わっている!」


 思わず声をあげていた。


 ああ! それはまさに機械と肉体の融合なのだった。顔の左半分を隠す仮面を被っているかのようだが、金属板が被せてあるのではなく、明らかにその端部は肉にめり込んでいた。左眼にあたる部分も透明なガラス板に覆われているのではない。眼球そのものがレンズに置き換わっている。身体もゆったりとした衣服で完全には見えないが、左半身は完全に機械化されているようだ。露出している肩は甲冑のそれと違い、小型の動力シリンダーが関節部に設置されており、人工の筋肉となっているようだ。


 それを見た瞬間の生理的嫌悪感はいかんともしがたかった。総毛立ち、めまいがする。大方の人々も衝撃を受けたのは確実だった。城の前庭には失神者が続出し、怒号にも聞こえる悲鳴が、呪いの言葉が城を取り巻きはじめた。人体に対する大規模な損壊は当然ながらおぞましいものだが、傷つけられ、置き換わっているのは神人の肉体なのだ! 完璧さをもってして人体のひな形といえるそれがこともあろうに甲冑様の金属に置き換わっていようとは。


 しかし、混乱はいつまでも続くことはなかった。ナイビット・カイラス王が口を開いたからである。それは実に自然に支配者として振る舞うことのできる者だけが獲得できる語調であり、観衆を納得させるに十分な響きを持っていた。響きだけで内容は誰も聞き取れなかっただろうが、それでも王の内面が変質してはいないことが理解できた。そして、それこそが重要だったのだ。人々の間に安心感が生まれ、ようやく神人の持つ美的側面に注目することができるようになったと言えるだろう。


 実際、王の精神は金属化していないように思えた。左半身が変わり果てていようと、その立ち姿は際だって美しいものだったし、聴衆に語りかけるときに空を撫でる手つきもなめらかで歌うかのようだった。人々に向けて左手さえ掲げており、甲冑の下の機能は完全に王の動きを表現できるのだと高らかに宣言しているかのようだった。そして、見よ。やはり王の右半身は美の具現化ではないか! 肌はあくまで白く輝き、銀色の髪は光芒を放ち燃えるようだ。赤い瞳は情熱の波動を聴衆に伝え続けている。


 やはり王は、神人は美しく、気高く、そして完璧だった。その観点からすると、左半身も神人が科学の力で欠損より力強く復活したのだといえる。さらに王が語るには、なんとその左半身はプトキ・ルルの身体より取り出した金属なのだ! 戦いの結果としてかの邪竜の左前足を切断することに成功し、これを持ち帰り、精錬したのだ。それを聞いてより、聴衆の態度は明らかに変わった。人々は興奮し、足を踏みならし、口々に王の名を叫びはじめた。そちらの意味でも失神者は幾人も出た。


 そして、かなりの混乱をもたらした会見はするりと突然に終了した。王は質問を受け付けるものではない。放り出された格好になった人々は何割かは親衛隊に従って解散し、何割かは整理できない気持ちを抱えてぐずぐずと立ち止まり、残りのそれほど多くない者たちは暴れ出して、私も入ったあの監房に一晩宿泊することになった。


 しばらくしてからロートゥアの誰もが「あの日のナイビット・カイラス王は何者だったのか?」と考え続けたのだが、一致した見解が出たどころか、各人の中でも答えは日によって変動した。王は少なくとも以前の王ではなくなっていたが、それは狂ったのか、正気に戻ったのか。使命に目覚めたのか妄執に駆られたのか。新たなる半身を手に入れて自由になったのか魂を縛り付けられたのか。王のすべてが両義的であり、彼の姿を想像するだけで人々は困惑する羽目になった。そして、恐ろしいことに私にとっても今も謎のままなのである。読者諸兄よ、願わくば私と同じ不安を抱かれんことを。偉大で、しかも不動の存在がまるで自分に理解できぬということを。彼の視線が遙か遠くにあり、自分には見通せぬことを。そして、そのすべてが自分への災厄となることだけが漠然と予想できる、その瞬間の不安を。


 次項にナイビット・カイラスの言葉を書き記しておくが、そこにおけるどの文面も真意はわかりかねる。そこは皆の賢明なる判断を仰ぎたいところである。

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