美女の大食い
このようにして慌ただしくも享楽的な時間は過ぎていった。
しかし、社交界も仕事も刺激的ではあったが疲れるものだ。そのような時、我々はイロナ・ヨトニを中心に集まることになっていた。
約束通りイロナは我々を友人として遇してくれた。彼女の趣味は美食であったので、必然、我々は街の様々な食堂を巡り、食べ歩くこととなった。それは金回りが良くなった今では心地よい趣味だった。リャンと私があっという間に体重を増やしたということこと以外は、だが。
リャンは当初、彼女のことを深く知りたいといろいろと質問をしていたが、彼女が学者であり、化学を専攻しており、王に呼ばれて研究のためにやってきたということしかわからなかった。もちろんリャンの聞きたかったことはプライベートなことだったのだろうが、「プライベートと言われても、言うべきことはとくにないなー。普通だし」とはイロナの弁である。もちろん言葉とは裏腹にイロナは様々な面で常軌を逸していた。それがリャンの彼女に対する興味を当初といった理由ともなる。
イロナの趣味は美食とはいったが、その健啖ぶりも驚異的で、特に大食い競技には目がなかった。ちなみにそれがいわば初デートとなるチーズ入りチキン・カツが名物の店でのことだ。リャンも大柄だが、それより身体が大きく筋肉質のヴァジンすらイロナの平らげた皿の枚数に及ばなかった。私はといえば、最初から参加していない。一〇人前を平らげたイロナが優勝し、店のタダ券を獲得。授賞式でそのタダ券を提示して「今使ってもいいかな?」と冗談を飛ばしていた。
「化学の力ですげぇ消化薬とか作ってません?」
胃もたれを起こしているリャンが苦しげに聞いた。
「人間が溶ける薬なら作れるかなぁ」
イロナは笑いながら言った。
「化学ってのは危険なもんなんだよ。人間の身体も化学物質でできていることを考えれば、それを殺すのだって簡単なんだからねぇ」
そんな恐ろしいことを言いながら笑う小柄な美女の不思議さと不気味さにリャンはそれ以降、段々と尻込みしてしまうことになる。それは、その後、科学について私とイロナがよく会話するようになっても嫉妬心を抱いた様子がなかったことからも明らかだった。私は彼女の異様さにむしろ興味を持ち、彼女も私を珍しく話の通じる奴と考えているようだった。やがて私たちの会話はリャンやヴァジンそっちのけで多岐にわたるものとなったが、なかでも互いの興味範囲の重なる位置が「竜の生命」についてであるとわかってから会話はより深くなり、二人だけが理解できる暗号のごときものになっていった。
「竜の生命が永続するというのは錯誤であるはずなんだ」
「しかし動力機械は動き続ける。脈動だけが生命でないなら、精神は死んだことになる。そういうこと?」
「いや、脈動が精神を燃料にしていると考えれば動力機械となっても生命なんだ。ただ我々の知らぬ死の方法があるはずなんだ。神人が人間になったように……」
一部だけ抜き出して紹介するのは、後にそこがイロナの研究の核心であるとわかったからである。さらにいえば当初リャンが気にしていた「イロナのプライベート」がそこにこそあったということだ。
「竜の存在は生命が化学的なものなんだと教えてくれるんだ。そこがわたしの子供の時からの疑問に答えてくれる」
イロナは子供なら誰しもが持つ疑問――人はなぜ死ななくちゃならないのか――を思春期を過ぎてもずっと考え続けてきたのだと教えてくれた。
「ベッドに入っているとき、不意にお父さんもお母さんも何年も過ぎると死んでしまうんだって気づいて、ずっと震えているようなあの感覚……それがいつまでも残ってた。いつか折り合いをつけちゃうアレに、わたしはいつまでも襲われ続けてた」
たまたま二人だけでバルにいたある夜、イロナはそう私に告白したことがある。私は正直に「それが才能ということなのだろう」と返すことしかできなかったが、そこが彼女の内面において他人が触れることができるギリギリの線だと私にも理解できていた。後のことになるが、私は彼女が従事していた仕事を知ることになり、最初から彼女が私を共犯者に引き入れようとしていたのだとその際に気づくことになる。もっとも当時も今も恨む気持ちは微塵もない。彼女の研究は一人では抱えきれない巨大なものであったし、純粋な探究心から発したことが邪悪へと繋がっていく不安は孤独のうちに耐えられるものでなく、心情の吐露と秘密の共有を誰かに求めるというのは当然のことだった。それに誰かに心から信頼されることは悪いことではない。
私がイロナにしてやれることは秘密を守ることと、彼女の心情的な味方になることだけだったし、後も男女の関係になることはなかったが、それよりも深く親密な関係だったとは言い切れる。
さて、私が語るこの物語における重要人物は、何事にも貪欲で純粋な彼女を最後に、これで出揃った。これより物語の真の開幕となる。もちろんそれは吸血王たるナイビット・カイラスの語りによって行われなくてはならない。彼が動き出したことがすべてのはじまりだったのだから。そして、私にとってのはじまりは彼の復活によってなされたのだと言える。その日、イロナと街を歩いていたとき、新聞の号外が配られていた。そこには「ナイビット・カイラス王、バルコニーにお出まし。国民の祝賀を受ける予定」とあり、それが負傷からの復帰会見となることが記されていた。
「いよいよ竜討伐の命令が出されるというわけか」
私は興奮を隠せず、そうつぶやいていた。と、不意にイロナが深刻な顔になり、喜ぶ私に哀れみにも似た視線を投げかけて、こう言った。
「そう喜ばしいことじゃないかもよ。まず手始めに市民は驚くべきものを見ることになるだろうし」
※ コルドンブルーのことか。
※※ 照れから誤魔化しているのかどうかは不明




