上流階級
ナイビット・カイラス王がプトキ・ルルを討伐すると公に発表してから、街は演劇が次幕に移ったかのように変容していた。夜が緞帳なら、私たちが爆発ウサギを狩りイロナを救った騒ぎは幕間劇といったところで、一夜明ければ一変した舞台装置が用意されていたというわけだ。
華やかな表通りの人々さえ顔を合わせると互いの近況を報告するより前に王と竜の話をはじめたし、その議論の多岐に渡り終わりないことは保証済みだったが故に、そこかしこで立ち話が繰り広げられることになった。カフェは平日であろうが満員で、茶菓子のクッキーが尽きても話は尽きず何倍も紅茶をねだる客が居座り続けた。三人連れが四人掛けテーブルを占拠していた場合、後から来た見知らぬ者が議論に加わらんがために相席することまであった。
竜狩りたちは街の荒くれ者から一転して意見を求められる存在となった。とりわけリャンは我々と行動を共にしていたおかげで上流階級との交流が一層深くなった。イロナ救出の件は公にされ、私たちは王よりの手当を月ごとに受けることとなっていた。これは次にプトキ・ルル狩りの遠征に同行をする前借り金と暗に示されたが、私たちには願ってもないことだったのでありがたく頂戴することにした。そんなわけで、リャンは竜狩り経験者であり、プトキ・ルル討伐へと向かう勇敢なる者という称号を得たのだ。必然、リャンの地位は上昇し、我々は金銭に余裕のある有閑者として社交界デビューと相成ったのである。我々が有頂天になったとして、何が悪いことがあろうか。
私とリャンはヴァジンの見立てでスーツを作り、ピンク、ライムグリーン、バイオレットのど派手な三人衆が誕生した。帽子、サングラス、パイプ、ブレスレットその他のアクセサリー、それらを武器に、高級カフェとバル、あるいは神人二親等以上直系の貴族の邸宅を渡り歩いたのだが、行く先々のどこででも我々は目を引いた。嘲笑も当然ながらあったが、大方の声が賞賛であった以上、ものの数ではなかった。我々は始終酔っ払い、竜狩りの話をし、踊り、美食に浸った。ランタッタ兄妹も人間主義者たちから取り戻し、音楽会に紹介することに成功していた。ロートゥア限定ではあるが、かの兄妹も復帰が叶ったというわけである。ヴァジンが踊りと愛想、リャンが竜狩りの体験談、私がスノッブな会話と役割分担も完璧で、一週間もすると我々はロートゥア社交界になくてはならない存在になっていた。街を歩けば声をかけられ、パーティのお呼びはひっきりなし、ヴァジンはファッションリーダーとなり、テーラーが新作を身につけてくれとせがむ始末。私は調子に乗ってまた作詞をし、オルヴォに曲を作らせていた。これは後にプトキ・ルル討伐隊においても歌われることになるのだが、それは別の章の出来事である。
もちろん重責を伴う仕事もあった。やがて本格的にプトキ・ルル討伐行参加者募集がはじまり、その選定をリャンが引き受けることになったのだ。もはや我々は親衛隊の一部署として扱われていた。実際に指揮をするわけではないが、プトキ・ルル狩りを組織する役所としての役割を担ったわけである。
思わぬ重要な役回りにリャンは浮かれていたが、それでも大役をしくじることはなかったといってよい。私も失礼ながら驚いたのだが、リャンは竜狩りを見る目には長けていたのである。事務局が立ち上がるや、大量の志望者が押し寄せてきたのだが、リャンは書面提出時にその人物を観察しており「書類そのものよりも顔を見た方が竜狩りに適しているかどうかわかる」と豪語していた。「真面目なヤツはダメだ。長丁場で気疲れする。不真面目なヤツもダメだ。勤勉でないと足手まといだ」と適正を説明していたが、論理的に成り立たない特徴なので、まぁリャンの感覚がすべてということなのだろう。不安だったのは現役の竜狩りたちがあまり来なかったことだ。「もちろんプトキ・ルルを狩ろうなんてヤツはいないわけだけど、腕の良い奴ほど来ないのが不安になる」とリャンは言っていた。「じゃあなぜ自分は参加するのか?」と聞いたところ「人事権を握っていれば自分は後方だからな。そこにいれば死なない」と自信満々の答えが返ってきた。
ともあれリャンはそつなく任務をこなした。未経験者のうちものになりそうなものを鍛えることにし、経験者を金で雇い入れる交渉を親衛隊と行った。出立までにはなんとかなりそうな具合である。私とヴァジンも登録を済ませた。ヴァジンは銛打ちとして抜群の適正を示したのは当然のこととして、私には竜狩りとしての才能が一切無いことが問題となった。これは私にとってもリャンにとっても由々しきことだった。私はプライドの、リャンは人事の重大事なのだ。
「学者がここまで何もできないとは思わなかったぞ」
「うるさい。どうにかして登録するのがお前の仕事だ」
困り顔のリャンに私も譲らない。そこに助け船を出したのはたまたま居合わせたオルヴォだった。
「あの……それならば、楽器を練習したらいかがでしょう?」
なるほど、と我々は手をたたき合った。王が竜狩りに楽団を連れて行くことも内々に打診されていた。私が簡単な打楽器を担当すれば楽団の一員になれるというわけだ。問題はそれで終わった。ところが、実はなおもそれが根深かったことは後に明らかになる。チン、と鳴らせばいいだけのトライアングルならば簡単だろうと選んだのだが、これも私にはまるで適正がなかったのだ。トライアングルが実は難しい楽器だと知ったのはずっと後のことになる。
そんなことよりも興味深かったのは、上流階級の人々の様相である。意外と言えば意外だったのが、彼らが実は付き合いやすい人々だったということだ。基本的に教養があることも手伝って話がわからないということはなかったし、金銭的な余裕があるというのが大きいのだろう、我々にも差別的に接することはほとんどなかった(内心はどうかは知らない)。人間主義者たちの上流階級観は誤りであったことがわかる。もうひとつ意外だったのは、王への尊敬が我々が考えているそれとは違うことだった。
「しかし、皆様の職業を貶める意図はないのですが、王の竜狩りともなると困ったものですな! 王が決定するのは世の空気であって、そこには節度が求められます」
声を潜めて言ったのは貴族でも神人直系に近い紳士だった。親衛隊のヤッキマが我々の方に注意を払っていない隙に声をかけてきたのだ。
「放蕩だし無謀というのはわかります」
私は言った。
「そうです。そして蕩尽そのものよりも世にそれが無駄だと知れてしまうことの方が危険なのです。あなた方の職業を毀損しているわけではなく、例えば通常の竜狩りが推奨されるならこれは産業です。しかし、プトキ・ルルだけは、産業ではない」
貴族は熱っぽく言った。彼はロートゥアの動力機械産業の株をかなり保有しているとのことだったので、その熱心さは当然ともいえたが、それ以上に論自体の正しさを信じてもいた。確かにその論は私にも納得できたのである。
「王が政をおろそかにしているとのことにもなるでしょうね」
「その通り。王が実際になさっているかどうかとは別です。人間主義者たちにつけいる隙を与えてはならないのです」
貴族がそこまで言った時、話に割り込んできた者があった。ヤッキマである。
「お話、興味深く拝聴いたしましたが、一言だけは申し上げたい。王は間違いを犯すはずがありません。国民がそう信じているならプトキ・ルル討伐も神人と人間とが共同作業により竜を、つまり自然を科学と人種を越えた団結の美学によって克服したのだと見えるはずです。それも王を信ずればこそ! まず貴族よりわずかな疑念も払拭せねば!」
ヤッキマは宗教的熱狂を内に秘めた熱い語調で言い切った。軍人らしい顔には表情はなかったが、陶酔の色は瞳にうかがえた。
「それは私の考えが及びませんでした! 私もそのような信心を身につけるよう努力いたします。血筋に慢心して心を忘れておりました!」
貴族はほとんど嫌味のように言ったのだが、ヤッキマはそれを受け流したのか、気づかなかったのか、そのまま表情を変えずにその場を去った。
社交界に顔を出しているヤッキマも相変わらずの四角四面ぶりだったが、それでも彼の様々な側面について知る機会が多くなっていた。彼も機械ではなく、上流階級と下層階級の板挟みにあって倫理的判断に苦しんでいるということ、それでいて上司であるボルテルの掲げた親衛隊の思想には盲目的に、しかし心から従っている様子であることなどは興味深かった。そして、今、狂信的仕草に紛れてではあったが、教養と親衛隊員としての誇りはそれなり以上に有していることも示してくれたわけだ。
「いやはや! 科学による自然の克服なら、神人信仰もそれなりに緩和されるべきかと。その点で人間主義者も神人の過大評価には違いないのだから!」
貴族は私に小声でささやき、イタズラ坊主のように微笑んだ。私もそれに応えてクスクスと笑ってみせた。このとき、私は上流階級の一員になったという誤解をしていたわけだ。
この上流階級の危機を認識しておきながら放置する傲慢という悪癖、親衛隊思想が王の実態を正視してはいないこと、人間主義者の母体となっている下層階級の人々が上流階級の実像を知らないこと、などが原因となって、この後の事態は悲劇へと突き進んでいくことになるのである。




