プトキ・ルル
今更説明するまでもないというのは読者諸兄に失礼であるばかりか、私の専門家としての矜持が許さない。もちろん伝説の竜プトキ・ルルのことである。
かの竜は多くの伝承に登場し、昔話の悪役となり、様々な天変地異の原因とされてきた。それは誇張された過去の噂話とするとしても、プトキ・ルルは現代においてなお王者の代名詞である。最強の竜、あらゆる生物を従える王、死神の代行者、唯一の生きる神、そして名前である『永遠の恐怖』。ある意味では誰もがよく知っている存在だ。だが、そのことが奇妙な混乱を生むこととなってしまっている。プトキ・ルルを知っている者は多いが、実際に見たことがある者は少ない。そのため語られることのどれもが微妙に異なっているという結果になっているのだ。
神人と人間とが分かれはじめたのは五千年ほど前のことになると推測されており、その頃に神人の保護下から離れた人間の集落が誕生している。口承物語はその頃の産物であることがわかっている。そこでは竜は明確に人間に災いをもたらす悪の神として描かれている。「その村は天変地異を防ぐため美しい娘を竜に捧げていたが、やってきた旅の神人に退治されました。そして娘は神人と結婚したのです。めでたしめでたし」というのがよくあるタイプの話なのだが、この物語で語られる竜の特徴は多くの場合、プトキ・ルルの特徴と合致するのである。他の竜が大きくとも一〇サージェン前後であるのに、プトキ・ルルは二〇サージェン。伸び上がると高い城を越える、などと描写されることもある。身体は黄金の輝きに覆われており、それを見せつけるかのように飛行する姿が遠くから見える。残虐で人里を襲うことがあるが、これは人間のため込んだ財宝を狙ってのことだ、など。これらは現在でもプトキ・ルルを目撃した者が語る特徴となっている。もちろんそこで語られていることは実際とは大きく違う。竜は天候を操れないし、美しい乙女を好んだりはしない。人間との対話も現在のところ不可能だし、人間に退治されたこともない。これらの混乱は、人々があまりに竜のことを知らないからに尽きる。それも当然といえば当然で、五千年前からプトキ・ルルは存在していたはずだが、竜を狩る、あるいはそれによって生じる竜の生態を研究する、という行為はたった二百年前からはじまったに過ぎない。そこで、ここでは現在までに判明しているプトキ・ルルの実像を整理しておこうと思う。
大きさは伝承通り二〇サージェンほど。これは我が師カレワラ博士の師匠であるライコネン博士が竜狩りに同行した際の計測による。プトキ・ルルを遙か遠方に発見しただけで逃げようとする竜狩りたちを説得し、目盛りを刻んだ望遠鏡で正確な大きさがわかる程度まで接近したのだ。近年の竜研究は、その様子が記されている著作『過去すら書き換える永遠の恐怖』にはじまる。私もここからの引用によって本章を成り立たせている。もう少しライコネン博士に甘えるとしよう。鱗は黄金色で、これは上位の竜が持つそれと違いはない。最上位の金属素材であり、鉄以上の硬度を誇る。多くの竜と同様、プトキ・ルルも冬には東方の万年雪積もる山岳地帯に赴き、大量の鉱物を摂取する。これについては別項を設けるが、竜が永遠の命を持つのは、主として生物を食べるのでなく鉱物を食べることに原因があるのだろう。そして、竜はその体色というか、鱗の素材に適した鉱物を摂取する。赤なら赤銅、白ならば石英、黒ならば鉄、実際にはいくつか複数の鉱物を食べているようだ。夏には平原に降りてきて、浮遊植物を摂取する。これは何の目的でなされているかはわからない。植物内部のガスを吸って酩酊するためだともいわれている。博士は同書で浮遊植物を食べる竜を見たと記しているが、酩酊のような状態にあったとは思えないと感想を述べており、詳しいことはわかっていない。なお、プトキ・ルルがこれらにおいて他の竜を率いているという事実はないようだ。竜同士の協力行動は……いや、これ以上は別項としておこう。
いよいよプトキ・ルルの恐怖の話に移ることとする。竜と人間との接触も浮遊植物の生ずる夏場に主に起こる。多くの場合は何も起こらない。人間は雄大な竜の飛行を楽しむか、竜の歩行の地響きに感慨を持って耳を傾けることができる。が、まれに人間にとって無残な体験が用意されることがある。竜は襲いやすそうな人間を発見すると、きまぐれにこれを襲撃することがあるのだ。まるで猫が鼠で遊ぶようになぶり殺してから、バラバラにした人間を捕食するのである。しかし、竜が人間を好んで食べるわけではない。そうであれば世界の人口はずいぶん減っていただろう。それに竜が襲うのは単独でいる者がほとんどだ。人の集落を襲うことはそれほどないし、あっても数人を食べる程度で、わずかでも身の危険があると判断したならば逃げていく。それゆえ今では普通の街ならば竜が襲ってくることは決してないと言っていい。もちろん例外はプトキ・ルルだ。この絶対的な暴君は何があろうと恐れはしない。街を襲撃し、殺人を行ったという記録のうち、近年で真性と思われるとライコネン博士が考えているものだけで五件ある。
・一七五五年、竜の冬季活動場所であるコン=ロン山近くのウメイ村で山に入る直前のプトキ・ルルが老人だけを選別して捕食した。現地では竜が老人に死を恵んで下さるという信仰が存在すると登山家が記している。
・一七九九年、アトガンダ県フィンスク町。平原のオアシスに発生したこの町で、竜を信仰した町人が歩行するプトキ。ルルを発見。後を追い我が子を生け贄として差し出すも本人のみ捕食された。その子供は気が狂ったという。
・一八〇〇年、ナジバ平原。敗走するヘプタル軍中隊をプトキ・ルルが襲撃。武装していた中隊は抵抗したが、プトキ・ルルは戦闘を楽しむように中隊を殺害し、いちばん若い兵士一人を残し飛び去った。兵士は他の兵士が残した物資で平原を渡りきることに成功した。もし中隊が襲われていなければ平原を踏破するだけの物資はなかったと若い兵士は語った。
・一八二〇年、シガ県ソロンカ市。ロートゥアから南にあるこの都市で、現地のヤリャフ教徒が竜を邪悪なるものと認定し、近隣で知られていた竜、ガヌ・マスリを狩り、その頭部を教会にさらした。数日後、プトキ・ルルがソロンカ市を攻撃、軍が防衛する中、市民数百人を虐殺。無差別かと思われたこの虐殺だったが、遺体確認の結果、全員がヤリャフ教徒だったという。
・一八五一年、イリル県タジノ郡プスト村。この辺境の村に竜狩りたちが食料を買いに訪れた時、プトキ・ルルが襲ってきた。村とはいえ行政区分の都合であり、東方との唯一の物資中継点であるこの村の人工は九千を数える。プトキ・ルルはこのうち半数を殺害した。これにより帝国と東方との交易に致命的で永続する被害が出た。しかし、抵抗どころかプトキ・ルルを狩る好機と戦った竜狩りたちは自身たちの不注意を原因とする事故以外では死ぬことはなかったのである。村人たちは竜狩りを恨むようになり、これ以降、竜狩りたちの立ち寄りを認めていない。この事件の恐るべきところは、この頃はすでに近代竜狩りの基礎は完成していたということである。この事件によりプトキ・ルルの恐怖は伝説でなく現実のものになったといってよいだろう。
だが、これだけの証拠が揃ってもプトキ・ルルは凶暴なのだと断言することは難しい。五件の襲撃もここ百年ほどの話なのだから、頻繁にあることではないのだ。そして竜が積極的に人間を憎んでいるとは考えにくい。生き残った者の言葉を信じるならば、まるで殺すべき相手を選定しているかのようだからだ。それらの中核となる問題こそ「竜に知性はあるか?」なのだが、以前の章で述べた通りいまだ推測すら難しい状態にある。人間を選定している以上、人智を越えた知性の持ち主と主張する者もあれば、証言そのものが虚偽で信仰心による偏向があるという者もいる。ライコネン博士は証言を虚偽としている方だが、私は竜が高度な知能を持っていると確信している派閥に属する。ましてプトキ・ルルともなれば人知の及ぶところではなかろう……またも少々、話がそれた。
さて、いかなる理由があろうとプトキ・ルルが人間の街を襲うとなれば、過去これを狩ろうとした者は数多い。知られているところでは騎士エル・シルなどがある。おとぎ話なので実在したかどうか怪しいが、この騎士はプトキ・ルルと思われる邪竜に敗北して最期をとげる。おそらく記録されていない勇者たちの最期を代表するものとしてエル・シルが生み出されたのであろう。太古の人々は鉄の剣や槍を持ち、単騎でプトキ・ルルと対峙したのだろう。勇敢さには敬意を表するが、命を無駄にすること崖から傘を持って飛び降りるに等しい。彼ら無数の勇者はともかく、竜狩りが可能と判明してからもプトキ・ルルへの挑戦者は多数いる。有名なのは帝国に組み込まれる以前にロートゥア周辺を領地としていたカディロフ大公であろう。大公はモ・ジン・ガルの鱗より槍を鍛え、すでに複数の竜を狩ることに成功していた。彼は経歴の通り、竜狩りの産業化に努めた偉人であるのだが、さすがに相手が悪かったというべきか、まだ竜のことがわかっていない時代の必要な犠牲だったというべきか。この頃の狩りは、まだ文明が動力機構を生み出すには至っていなかったため、ロープのついた槍を投げることによっての狩りで、当然ながら犠牲はつきものであった。大型の竜を狩るのに三百人を動員し、百人が死ぬという割合であったようだ。それでもその成果として手に入る金属の質と量を考えれば成功であったろうし、その成功が慢心となったのであろう。大公は竜狩りをはじめてごく早い時期に、プトキ・ルルを退治すると宣言したのだ。動員は三千人。計算通りなら千人の犠牲をもって邪竜を討伐、大公は名君として語り継がれるはずであった。もちろん、この試みは失敗に終わり、兵士のほとんどを大公は失うことになる。そればかりか国も含めてすべてを……。
その後、カディロフ大公の失敗を教訓に、竜狩りそのものは発展を遂げていくことになるのだが、変わらずプトキ・ルルは無謀な者の一攫千金の種であり、知恵ある竜狩りたちのタブーであり続けた。ロートゥアが竜狩りの街として開発されはじめた時、壁を作る必要があったのはプトキ・ルルをはじめとした大型竜たちの襲撃があったからだとは以前記した通りである。
そんなプトキ・ルルをナイビット・カイラス王が狩ろうとしていたとは驚きである。その真意についてはこれから語られることになるだろうが、この時点では明かされておらず、誰もが戸惑いの声をあげている。私も例外ではない。だが、他の者と違ったのは、それに続いた文言、再びの竜狩りの旅に参加するものを募っていた点に心動かされていたことだ。ナイビット・カイラス王の心証めでたければ、私もそれに参加がかなうかもしれない。歴史の偉大な一ページを目撃することができるかもしれない。不遜にも思えるその考えは、しかし、私を捉えて放さなかった。『巨匠団』の失敗がいかほどのものか。彼らには運がなかっただけなのだ、と内なる声が私を駆り立てていたのであった。
※ 『永遠の恐怖』を帝国公用語で記述し、省略したものが『プトキ・ルル』となる。




