亡霊を見た
我々の計画はここで極秘のものに移ることになった。いや、ソイレが街中に入って歌うということは先のレース前にリャンも宣言していたことである。それでもなお秘密扱いされているのは、後に記す歌詞が王への誓願となっていることであった。歌詞そのものはもちろん、内容を匂わすようなことも漏れぬよう慎重に秘匿され、ソイレの歌唱練習も壁の中の未使用地区で行っていた。余談だが、それは歌声の美麗さと相まって、それはまさにウル秘密教団の地下礼拝のごとくであった、とは貴重な体験をした一人である私の感想として記しておこう。
とはいえそれは自画自賛になりかねない。他に適任もおらず、秘密を知るものは少なければ少ないほど良いというので、その歌詞は私が書いたのだから。
「さあ、取りかかろうぜ」
リャンが促した。レースの最後尾である我らの『白蜈蚣号』は正門前で一時停車していた。私とリャンは運転席を降り、後部に接続した箱形のコンテナの横扉を開けにかかった。先に書いた通りこのコンテナはステージになっており、中に演奏者たちを入れることができる。コンサートホールでの演奏経験があるオルヴォの指導で、コンテナ・ステージの背部には竜の肋骨で作られたアーチ型の骨組みが設置されている。こうすることでコンテナ自体が弦楽器の胴のように反響し、遠くまで歌と曲を届けられるのだ。試しに楽器を鳴らしてみたが、確かにコンテナの扉が開いている方向、数ヴェールスタ先まではっきりと音が聞き取れることがわかった。これなら街のどこでも歌を聴き取れるだろう。竜の中空でありながら堅い骨がコンテナ壁面に設置されることで実に良く振動し、扉の開いている方向に幾重にも増幅された振動波を送っているというわけだった。
待機していた急造の楽隊を呼び入れる。コンテナから申し訳程度に出ている小さなハシゴに足をかけ、弦と木管、金管を抱えた十数人が一人ずつ配置についていく。最後にオルヴォがソイレに手を貸して上に引き上げた。彼らの服装はバラバラだった。竜狩りの革ジャケットそのままの者もいれば、申し訳程度にジャケットを羽織った者もいる。タキシードなのはオルヴォともう一名のみだ。彼らはまったく楽隊には見えなかったが、伝統的な魔女を思わせる裾の長い黒いドレスを纏ったソイレが中心に立つと、背後の者たちも彼女の奴隷と考えれば納得の統一感が出てくるのだった。魔女の見守る中、各自でチューニングを済ませ、かくして演奏の準備は整った。
「街に入ってから演奏の開始だけど、細かいタイミングはそっちに任せるから」
と手はずを再確認する。オルヴォは生来の無口のせいか緊張しているのか、何も言わずにうなずいた。もちろん私も緊張していた。自らの詩が人々の前に公開されるのだ。それが、どのような効果をもたらすものか、あるいはもたらさないのか。もちろんもたらすに越したことはないが、それが悪評であれば、反応などないほうがよかったと後悔することになるのだろう……。などと考えていたが、ともに運転席に戻ったリャンが「いやぁ楽しみだなぁ」と気楽な笑顔を見せてきたことで、私の内省的思考が馬鹿らしいと自覚できた。とはいえ、リャンに感謝する気には一切ならなかったのだが。
街に乗り込む車列は『巨匠団』の小型車三台と『白蜈蚣号』のみ。先頭の黒塗りヘボネンにサヴァが乗り込み、ゆっくりと走り出した。続いて我々も。そして、さらに後ろにトラブル対処のための二台が続く。いずれも半旗で弔意を示しているが、それが翻りもしない低速。時速で言えば一〇ヴェールスタほどか。
門をくぐって大通りへ入る。門近くでレースを見守っていた人々が興味深げな目を向けてきたが、元より竜狩りたちに興味があった一団である以上、暴力的な若者というか、血の気が多い野次馬の類だ。本当に聴衆として問題になるのは、これから大通りに入ると見えてくるであろう通行人たちだ。
休日の大通り。色の少ないロートゥアの街だが、今の季節は春。薄手のコートの男女が仲むつまじく歩いている。女性は薄桃色の帽子。黒い服を着たご婦人が従者を連れて路上にとめた高級車から降りてきた。向かうのは洋服屋か。親子連れもいる。母の日傘は白い。娘は大人のそれそのままにたけを詰めたような空色のドレス。花の飾りのあるつば広の帽子でちょこちょこと大人の歩幅について行く。分類上で言えば市民となるだろう彼ら。だが、彼らこそ今のロートゥアの主流である。私は彼らにこそ竜狩りたちの気持ちを訴える必要があるのだ。
通行人たちが速度を落としている我らに気づき、歩の速度を変えながら目を向けてきた。私が「今だ」と思った瞬間と、音楽が流れてきた瞬間はほとんど同時だった。
オルヴォのカンテレが水音のように響いた。まさに優しい雨のような音の出る楽器ではあるが、彼が奏でるとまさに空が泣いているかのようだった。続いて木管、金管が刺激を加えてくる。練達はオルヴォだけなので、彼が引き立てば良いという曲に仕立ててある。管楽器はコードだけリズムに乗せて鳴らしていればいい構成だ。が、曲だけでも市民の反応はあった。歩を緩めていた人も足を止め、店内から出てくる、あるいは顔を覗かせるなど、何らかの反応を示していた。
そこに満を持してソイレの声が響いた。よく「空気が変わる」と言うが、その瞬間、まさに世界が一変した。歌を聴いた多くの人が自分が夢の中にいるかのように感じただろうし、そこまでの感受性のない人でも自分以外の人々の時が止まったということはわかっただろう。
歌詞が伝わっているか? という私の心配は無用なものだった。というのも歌が圧倒的すぎて、聞こえる範囲の人々はすべて放心してしまっていたからだ! 街からは我々だ立てる以外、すべての音が消えてしまったと言っていい。そんな状態にあって、歌詞への評価がなされることなどあり得ない。
私も運転しているリャンも深い満足心によってうっとりとしていた。運転席で聞くと響きが不完全ではあるが、それでも音は心地よく、それを街の人々と共有するのは喜びである。そして、それを届けているのはまさに自分たちなのだから。
スカズ平原会戦後のアダモ将軍凱旋もかくやとの気分で『白蜈蚣号』はゆるゆると進む。正面にナイビット・カイラスの居城が近づいてくる。幅広の大通りは無骨な石造りの巨人に見守られているかのようで、そこに近づいていくことにすら奇妙な安心感がある。城を一周して大通りを今度は逆に進めば街に満遍なく音を届けることができるだろう。
城のカイラス王はこの声を聞いてるだろうか? 親に学校での試験結果を自慢したく思っている子供のような心持ちで、私は近づいてくる城を見上げた。城の塔は以前に書いたとおり竜との戦闘用に無骨な造りになっており、その上端には弓や銃を構えるための凹みがしつらえてある。
そこにどこか不自然に感じられる人影を見た。
いや、よく見ると、それが人間とはとても思えなかった。亡霊であろうか? 白い巨大な眼球がふたつ、ぎろりとこちらを見下ろしていたのだ。およそまぶたというようなものはなく表情はわからない。顔は赤黒い穴のようで白い陽炎のような蓬髪がそれを取り囲んでいた。ゆがんだ裂け目がその下部にあり、白い歯がトウモロコシの実のように並んでいることでようやくそこが口だと知れた。
背筋に冷たい金属棒を打ち込まれたようになり、喉が甲高く息を吸い込み続ける。恐怖のあまり、私の耳から一瞬にしてあの歌が奪われてしまった。
今思えば、その異形は塔の上にいたのだから車内から詳細が見えるはずもない。それでも私にはその時、それの印象がくっきりと感じられたのだった。悲しみとも諦めともつかぬ不可思議な絶望。煉獄に永遠に留まる亡霊の悲しみ。腐臭にも似た臭気に染まりつつあるおののき。それらの感情が一気に私に襲いかかってきた。
あまりのことに言葉を失っていた私の異常に気づいたリャンが、私の視線を追って上方を見上げながら「どうした?」と聞いてきたが、その時には、それの影は跡形もなく消えていた。出来の悪い怪談のような有様に、私は絶句しかけたが、それでもつとめて冷静になろうと「城に人影があった」と答えた。
「まさか王が出てきたってことはないだろうな!」
リャンは浮かれて笑い声をあげた。
「もちろん、そんなことはないさ。従者かな」
「ならなんでそんなに驚いた?」
「恥ずかしいけど、亡霊だと思ったんだ」
私は言った。そう願っていたという方が正しいだろう。結局、後になってもあの影が何だったのかはわからないままだ。いや、冒険を経た後にこの記録を残している今に至るもそう願い続けている、と言いかえた方がよいだろうか。
※ 古代神の復活を祈祷する宗教団。地下において合唱をすることが祈りである。
※※ この時代、いわゆる電信のためのマイクは存在するが、まだ真空管は開発されておらず、アンプに相当するものが存在していない状態である。
※※※ テーブル状の弦楽器。琴のように演奏される。
※※※※ 詳細は不明。数百年前の戦争のことと思われる。




