〈歩〉⑧
第九部は魔王の天敵〈歩〉➇として書かせていただきました。
三人が向かう村では酒が有名でボルゾイ酒と言って、その味も想像してみてください。
トライデントの北側の岬から海沿いに四十キロ程行くとボルゾイという小さな村がある。人口も二百人ぐらいだが酒造りが盛んで、酒を飲むために訪れる者も多いため、皆が裕福で和やかな雰囲気のある者たちばかりの村であった。ここで作られた酒はボルゾイ酒と言って、世界中にファンがいる程であった。
ここへ向かうことになった勇者一行はその道のりを二十五キロ程の所に岩の密集地を見つけたので野宿をすることにした。外敵から身を隠すには丁度良かったのだ。
「結構歩いたわよね」
「ああ、だいたい半分といったところじゃのう」
「四十キロ程度ってことは明日には楽々着けますね」
辺りは当たり前だが暗く、近くにある海の波の音しか聞こえなかった。季節的には冬場なので夜の気温はマイナス十度程になった。
診療所から持ってきた毛布を二枚重ね羽織って体を温めた。同時に持ってきた非常食と水を胃に入れてその日は三人とも眠ってしまった。
次の日の朝は浜風が岩に当たる音で起きた。ゴウゴウという強烈な音で起きないわけにはいかなかった。
灰色の曇り空は今日も三人の頭上にあった。
ガクトはガイアにいた頃、空を見て天気を予測するということを頻繁にやっていたので、ずっと曇っていられては今日は晴れなのか雨なのか、曇りだけで済むのか分からなかった。
「今日も曇りね」
「曇りも晴れもないじゃろう」
ミサが「そうね」と言うと、クニシゲは笑った。そして「どっちでもいいわね」とミサは言った。ガクトもどっちでもいいなぁ、と思った。
身支度が済むと三人はボルゾイの方向へ歩きだした。その道のりは起伏もほとんど無く、順調に進むことができた。ボルゾイに着くまでには三時間ぐらいかかり、正午はずいぶん前に回っていた。
「ここがそうですか」
「そうじゃ。ボルゾイは酒で有名じゃからこの香ってくるのはボルゾイ酒じゃな。甘ったるいが口当たりはピリッとして癖になるんじゃよ」
「私も飲んだことあるわよ。あんまり好きな味じゃなかったわ」
「お主まだ未成年じゃろ? いかんのう、そういうのは」
「踊り子をやってた時にお客さんが勧めてきたのよ。一杯飲んだら酔い潰れちゃって、それから一度も飲んでないわ」
「俺んちは貧乏だったから酒を飲む余裕なんてなかったなぁ。一回飲んでみようかな」
ガクトとクニシゲはボルゾイ酒への期待で頭がいっぱいだった。
「私たちの目的わかってる? 魔王の影響を人に訊くためにここまで来たのよ。お酒なんか頭がボーっとしちゃって、行動するには邪魔よ」
ミサの言う通りだった。酒を飲みに来たんじゃない。
魔王を一刻も早く倒し、人々を平穏の中にまた引き戻す。それが自分たちに課された使命なのだった。
ガクトは目的に向き直ったがクニシゲはまだ口の中がボルゾイ酒を求めているようだった。
三人は村に入り、人通りもとりあえずは普通で安心してから、宿屋を探した。宿屋は村の中心地辺りにあった。受付で人数を言うと、二部屋分の鍵を渡されたのでガクトとクニシゲ、ミサという風に別れた。聞き込みの準備をしたらロビーに集合と決めた。
ガクトとクニシゲはボルゾイ酒を飲むために、素早く準備を済ませ、ロビー横にある喫茶店に入った。カウンターに座り、ボルゾイ酒を二つ頼んでそれぞれに飲んだ。クニシゲはカーと言いながら美味しそうに飲んでいた。ガクトは人生初の酒ということと二十度という度数の高さ、ピリッとした舌触りとが相俟っていっそうこれを飲み難くした。しかし、ミサが言っていたほどガクトにとっては味が悪いわけではなかった。
そうこうしているうちに三十分が立ち、ミサが喫茶店に入ってきた。ミサは少し怒っていた。何も言わずに酒を飲んでいたのを怒られてしまうのだろうかとガクトは身構えた。
「ちょっとー、ここの部屋お風呂が汚かったのよねー。そっちはどうだった?」
酒を飲んでいたのを怒られるのかと思って身構えていたガクトの緊張はほぐれた。
気にせずクニシゲはボルゾイ酒を飲んでいる。
「あっ、お酒飲んでるんじゃん! さっきダメだって言ったのにっ! そんなに美味しくなかったでしょ?」
ガクトは味は悪くないと言った。
そしてまだクニシゲは飲んでいる。
「ちょっとおじいちゃん、そんなに飲んだら聞き込み行けなくなるでしょ!」
ミサがそう言うとクニシゲは大丈夫だと言った。しかし見るからに顔は赤らみ、呂律も回らなくなってしまっていた。酔っている人間は酔っていないと言うものなのだ。そして、二人に説教を始めたかと思うとカウンターに突っ伏してしまった。
ガクトは眠り込んでしまったクニシゲを部屋まで運び、布団に放り込んでからロビーでミサと待ち合わせをした。
宿屋から出た二人は、とりあえず村の端から順番に聞き込みをしていくことにした。一軒目は普通の家だった。チャイムを鳴らすとそこの家の奥さんが出てきた。一か月前に何か変化は無かったか訊くと、その奥さんは何も無かったと答えた。次の家もその次の家も村の端から端まで聞き込みをしたが何も分からなかった。
「本当に魔王は復活したんだろうか? 復活してから一ヶ月も経って何も起こっていないなんて」
「まだ手が及んでいないだけじゃないの? 魔王だって手が百も二百もあるわけじゃないんでしょうよ」
ミサの言う通りなのかもしれない。そう思ったガクトは明日村に変化がないかもう一度確認してからこの村を出ていこうと提案した。それにミサは賛同した。
その時既に十九時になっていた。
二人が宿に戻るとクニシゲはベッドに前傾姿勢で座って、右手には水を持っていた。
「クニシゲさん、大丈夫ですか? さっき俺の分も合わせて二杯も飲んじゃったから心配してたんです」
「弱いくせに粋がるからよ。程々にしなさいよね」
クニシゲは大丈夫じゃわい、と強がってはみるものの、いつもの様には言葉がはっきりとは出せない様だった。その弱弱しさがやっぱりお爺さんだなぁ、と二人に思わせた。同時にクニシゲは普通の老人よりは元気なのだと思わせた。
クニシゲが元の元気を取り戻したのは二時間後だった。三人は一つの部屋に集まって今日の聞き込みの成果と明日の行動について共有し合った。
三人がもう寝ようと思ったタイミングで部屋のドアがノックされた。こんな時間に何の用だろうかと怪しんだ三人は顔を見合わせて、ガクトがドアを開けることになった。
ドアの前まで行き唾液を飲み込む。ガクトはゴクリという音を全身に響かせ、少し体が硬くなっていることを認識しつつドアノブを回した。
暗い廊下を背景に一人の女性が立っていた。身長はガクトやミサよりも少し高いくらいなので百七十センチくらい、綺麗な黒髪のロングだった。縁の無いメガネをかけていて目の色は透き通ったブルー。エンジ色のセーターに黒のジーンズ。スタイルがとても良い。モデルの様だった。
「あの……私、皆さんが知りたいことを知っているんです」
「どういうことですか?」
三人は彼女の話を聞きたいために怪しみながらも彼女を部屋に入れ、奥のベッドに座らせた。そして三人は彼女の話を聞くために態勢を整えた。
そして彼女は喋り始めた。
「私はヨウコと言います。村唯一の書店で働いています。今日店主を訪ねて来られた時に聞き耳を立てていたんです。あなたたち二人が一か月前に何かなかったかと聞いていたから、もしかしてと思って。些細な事だったから皆覚えてないんだろうなぁと思いましてね。ほら、店主も覚えていませんでしたし。その事というのは、小さな地震の様なものの事です。あくまで様なものであって地震ではありませんでした。少し沈むような感覚があったかと思うとフッと浮かんで、それ以降何もありませんでした」
三人は話の続きを期待した。しかし、ヨウコの話はそこで終わった様だった。本当にちょっとしたことなのだった。
「ありがとう、お嬢さん。話してくれて」
三人にはこの話が何を意味しているのか見当もつかなかった。こんなことで? と申し訳なさそうにヨウコにも手応えが無い話らしかった。
「ところで……あなた方はいったい……?」
「わしらは人探しをしておるんじゃ。そいつは体格も性格も豪快な奴でのう。喧嘩っ早いところもあって、奴の噂を耳にしたもんじゃから話を聞きに来たんじゃ」
クニシゲも上手く口が回るものだなぁとガクトは思った。そしてヨウコはハッと何かに気付いたようだった。
「そのことがあってから村の雰囲気が変わったような気がします。ちょっと怒りっぽくなったというか、喧嘩っ早くなったというか。今まではそんなことのない穏やかな村だったんです」
この話を聞いてクニシゲはピンと来たらしかった。
「それは地震の様なものがあった後に思ったことなんじゃね?」
「ええ、ちょっとしたことで怒るようになったところはうちの店主も同じですので」
クニシゲはそうかそうかと納得しているようだった。
クニシゲがヨウコに礼を言うと、ヨウコは「こんなことで良ければ」と帰っていった。
「クニシゲさん、何か分かったんですか?」
「うむ、分かった」
「勿体ぶらないで教えてよ」
クニシゲは再び態勢を整えて、
「あの娘が言うとったのは呪詛の事じゃ。それもうんと強力なやつじゃ」
「じゅそ? それって……」
「呪いの事よね? 昔聞いたことがあるわ。私たちは外にある魔力を感じ取ることに長けていたからその対極にいる内側の魔力を扱う人たちがいるって」
「そうじゃ。炎を出したり空を飛んだりのう。呪詛もその一つでかけた相手にある種の条件を与えるんじゃ。反射で例えるなら梅干を見たら唾液が溢れてくるとかな。娘の言っていたのはその反動のことじゃ。条件は……そうじゃなぁ、いらついたら怒れってところかのう。条件は軽いようじゃ」
その話はクニシゲの推測であったが、やけに説得力があった。一度呪詛の力を見たことがあるのだろうとガクトは思った。
「なら、明日はその呪詛使いを見つけなければなりませんね。その呪いを早く解かないと」
「ああ、しかし見つけるのは簡単じゃろうて」
「どういうことよ。簡単って」
「まぁまぁ、今日はもう休むことにするぞい」と言うクニシゲはあっという間に寝てしまった。
明日聞けばいい、と諦めた二人は、ミサは自室に戻り、ガクトは奥のベッドで眠りに就いた。
読んでいただきましてありがとうございました。
三人が到着したボルゾイの村の人々は穏やかな性格の筈だった。しかし、ヨウコの話では小さな地震の後で人々は激昂し易くなったと言う。いったいこの村に何が起こったのか。
次回からボルゾイの村に何が起こったのかが明らかになっていきます。