〈歩〉⑦
第八部は魔王の天敵〈歩〉➆として書きました。
ミサの過去、ガクトの絶望、そして未来の希望。勇者一行は魔王へと続く道を歩き始める。
五年前の話だ。ミサは預言者たちが集う村に両親や仲間たちと一緒に暮らしていた。その日々は平穏だった。世界そのものに脅威といった脅威はなく、たまに起こるフラッシュバックの様なものだけが日々の不安の種になるぐらいだった。それは預言者としての資質がそうさせるだけであって、少女であったミサの不安などその村に住む者なら過去に経験したことのあることだった。
しかし、その平穏はミサが十二の頃に打ち砕かれた。家族で村から外出した際にミサは預言者狩りの餌食になった。
預言者は未来を見ることができるため、金持ちや国の重役に重宝されていた。その環境は劣悪になることも多く、預言者である者たちは身分を偽っていることが多かった。その予言者狩りは何処かから情報を仕入れてミサたち一家が預言者であることを知っていたのだ。高く売れそうなミサを狙った犯行だった。 ミサは当初、とある城下町に行き着く手筈だった。しかしミサは預言者狩りの隙をついて逃げ出すことができたのだった。少女が逃げ出せた時、すでに国境は越えていて簡単には故郷に帰れない状況に陥った。一人きりになった少女が助けを求めて辿り着いたのがガイアの町だった。はじめて来た町で戸惑っている少女に声を掛けたのは踊り子を統括していた店の女将だった。ミサは最初この女も自分に害をなす悪人だと思って警戒していた。しかし、その女将は一人きりの少女を放っておけないといった風でミサにとても良くしてくれたのだった。
ミサも恩返しをしようと思った。五年経った今、ミサは実際に踊り子として働いていて、試練に挑もうと思ったのはお金を稼いで世話になった女将への恩返しのためだった。
最初は無口だったミサは、今ではガクトにもいろいろな話を聞かせてくれるようになっていた。それは死線を一緒に潜り抜けたせいか、ただ単に三か月も一緒にいたからという理由でかはわからないが、ガクトにとってミサとコミュニケーションを取れるのは初め四人だったのが二人になってしまったショックを紛らわせるためにはとても大切なことだった。
「私ね、もう一度故郷へ帰りたいの。五年前に皆と別れてっきりだからね」
ガクトには親や兄妹が手の触れられる距離にいた。
お金が欲しいだけでトライデントの試練を受けようとした。確かに家族のためではあったが、貧しくなく、裕福になりたいという思いしかなかった。
しかし、ミサは違った。十二歳にして親と離れ、仲良くしていたであろう友達とも疎遠にならざるを得なくなり、そして今までの五年間踊り子として生きてきた。助けてくれた恩人の女将さんのためにお金を稼ごうともしていたのだ。
誰かを幸せにしたいという思いはガクトもミサも違いなかったが、ガクトにはミサがとても尊い存在に思えたのだった。ミサに何か言おうとするのだが頭に思い浮かぶのはどれもこれも気休めばかりで表面的なことしか言えないのだった。
「ごめん、……ちょっと風にあたってくるよ。ゆっくりしてて」
ガクトは手術室から出て、外に出た。岬の先には紫色の海の遠くを眺めているクニシゲがいた。その横に並んでガクトも遠くを眺めてみた。そして俯いた。
「……気付いていたんですか?」
「何をじゃ?」
「ミサのことです! 預言者で、しかもあんなに辛い過去を背負っていたなんて……。掛ける言葉もありませんでした」
クニシゲはやはりまだ海の先を見ている。
「過去のことまでは知らんかった、わしも驚いたわ。預言者のことは薄々感付いておったがのぉ。あの子の中には魔力といったものが無い。じゃから聖域に入れたんじゃろうからのう」
この話の違和感に気付かないガクトではなかった。
「……じゃあ、俺はなんであそこに入れたんでしょう?」
「それはのぉ、お主に聖力を受け入れる資質があったからじゃ。稀にそういうことが起こる。魔力が流れている筈なのに聖域に入れる。それは聖なる力の方がお主を受け入れようとした結果なのじゃ。誰でも同じようにいくわけではない」
「何故……僕が選ばれたんでしょう?」
その問いにクニシゲは淡々と、
「運命じゃ。わしもそろそろ洞窟を出て、後継を探すつもりでおった。しかし丁度お主らがトライデントの試練を受けるために山まで来て、おまけにいつも寝てばっかりのサルモドキに偶然襲われ、あそこに辿り着いた。これを運命と言わずして何と言う? 少しタイミングが違うだけでわしとお主は会えんかったんじゃ」
クニシゲの話はまたまた衝撃的だ。サルモドキはいつも寝てばっかりなのか。なら俺たちは相当運が悪いことになる。そのせいでブラストがどうなったかは分からないし、トラマルは殺されてしまった。
「運が悪かったんですね……。いや、他の二人に比べれば不幸中の幸いというべきかな……ハハ」
「なんでそんなに下ばっかり、後ろばっかり見ておる? 違うじゃろ! お主は運命に選ばれた。その運命とは勇者になるということじゃ。勇ましい者と書くんじゃ。ならお主が見るべきなのは下でも後ろでもない! 前を見ろ! 上を見上げよ! この灰色の空を、紫色の海を青く再び染めてみよ! お主にはそれができる。……勇者なのじゃから」
ガクトは「あなたもそうですよね」とは言えなかった。
クニシゲは前を見て、上を見ていた。世界の危機を知って真っ先に外に出ていこうと言った。危険なことを恐れない。まさに勇者だったのだから。
「そういえば、何故魔王は復活してしまったんでしょう? 今までは封印? か何かされてたんでしょう?」
「祠が……のう、壊れておったわい」
「ほこら? 老朽化か何かですか? ハハハ、手入れは大事ですね、笑い事じゃないけど」
「…………お主じゃ」
「へ?」
「お主が壊したんじゃ」
ガクトはクニシゲが何を言ったのかしばらく分からなかった。そして意味を理解すると、この上なく焦った。
「いやいやいや、何かの間違いでしょ? 俺がそんなこと……え? え? 本当に……俺が?」
「お主じゃ、……おそらく。しかし気にせんでも良い。何千年も続くこの世には今まで平穏しか無かった。しかし、今その平穏な世界は傷つけられ、闇の脅威に今も晒されておる。山からの絶景ばかりを見せられた世界に谷底の暗闇も見せんといかん。そういうもんなんじゃ」
「いやいや! いつまでも幸せな方が良いでしょ!? 何言ってんですか!!?」
そう言ってガクトは落ち込む。自分のせいで世界をめちゃくちゃにしてしまったという思いはますますガクトを闇の底に落としていった。
「ならお主は、未来の自分の息子が殺されてもいいのか? 孫は? お主がこの脅威を叩き潰しておくんじゃ。そうすればまた谷から脱出し、平穏っちゅう山を登り始められる」
「そんなこと言ってもですね、俺は……俺は…………」
ガクトは膝から崩れる。それをクニシゲはやれやれといった具合に両脇から持ち上げ、自分の方へ向かせた。
「よく聞けぇ!! お主が壊してしまったかもしれん祠はもう壊れておるんじゃ! 過去には戻れん!
それにあの時はミサを助けるためにやったことじゃった。なら誰にも文句を言われんように自分で事に収拾をつかせてみぃ! 自分のケツは自分で拭くしかない! お主は次代の勇者なんじゃから!!」
ガクトはクニシゲの言葉を心の中で反芻した。もう事は起こってしまった、やるしかない、そう思うと壁の高さに絶望しそうだったが、不思議と活力が戻ってきた。
「……もうやるしかない。俺は勇者なんだから……。クニシゲさん、俺……やりますよ。やってやりますよ!」
クニシゲは満足気だった。次の勇者に活力が戻ったからか、老人から見れば若者たちが光輝いて見えるからか、世界が闇に包まれているというのにクニシゲの顔からは自然と笑みが零れていた。
「ならやることは決まってきたな。世界を旅するのじゃ。そして世界各地で魔王について話を聞いて、最終的には魔王を倒す」
はい! とガクトは元気よく返事をした。世界中でここだけが輝いているようだ。
「ならとりあえず、ミサが歩けるようになればここから東を目指そう。確かボルゾイの村がある。酒で有名なところじゃ」
「私なら大丈夫だけど?」
二人はその声の方へ向き直り、その元気な姿に安心と心配が共存する不思議な気持ちになった。
「もう大丈夫なの?」
「思い出したのよ。ここは魔力の溢れた外の世界。魔力が溜まることは無いけど、空気や草木から吸収すれば体力だけは回復するのよ。迷惑かけたわね」
「そうなんだ、本当に良かった!」
ガクトはミサに駆け寄った。そして跳んで喜んだ。
しかしクニシゲは驚いているのだった。
預言者にそんな能力があったか? 世界から魔力を読み取り先のことを見れるというだけではなかったか? わしが会ったことのある預言者の中にそんなことのできる者はいなかった。中には不定期かつ何時の時代のことなのかも分からない未来予知を、好きな時に好きな時のことを知ることができるという能力の高い者であっても回復などできる筈もなかった。魔力を持っている者ならいざ知らず、魔力を持っていない者が魔力を吸収し体力を回復してしまうとは――お主もやはり、運命に選ばれた者の一人なのじゃな。
「クニシゲさん! 行きましょう! 世界を救いに」
「そうよ、こんなところで立ち止まっている場合じゃないわ」
その呼び掛けにクニシゲはハッとして「今行く」と答えた。
先程まで落ち込んでいた、手術台で寝込んでいた者たちとは違う。運命に選ばれた、言うなればそれは光。世界を照らす光――。
三人はこれから東の方角、ボルゾイの町に向かう。
読んでいただきましてありがとうございました。
今回は魔王の封印された祠は自分が壊してしまったんだとガクトは絶望しました。しかし、クニシゲの喝はガクトに光輝いた明日を夢見させました。そして目的地のボルゾイの町とは。
次回はボルゾイの町が舞台です。