第61話
それは突然に現れた。
最近までは確かに存在していなかった。
――ダンジョン。
それは謎に包まれた存在であり、冒険者たちにとっては利益と危険を齎す場所である。
ダンジョンを見つけたパーティーは最初、この天から降ってきた幸運をギルドに報告するだけに留めようとしていた。
未発見のダンジョンはギルドに報告するだけで報酬が出る。何もしなくてもお金が入ってくるのだ。これを幸運と言わずに何という。
だが、ダンジョンの構造や罠、住み着いている魔物の種類などを追加で報告出来れば、報酬も追加されるし、ギルドに報告しなくても、これから攻略しようとする冒険者には高く売れる。
このパーティーは利益と危険を天秤にかけて、最終的には利益に傾いた。
ダンジョンには何回か潜った事もあったので、浅い階層だけなら問題ないだろうという自信もあった。
目論見通り、一階層の探索は順調に進み、あまりに順調なために『このまま、自分たちで踏破出来るかもしれない、そうなれば一躍有名になる』そんな会話すらパーティー内で漏れていた。
が、それは二階層に足を踏み入れた瞬間に夢幻と消えた。
それどころか、命の危機に陥った。
一階層では疎らだった魔物が、二階層には信じられない程、それこそ、今すぐにでも溢れんばかりにひしめき合っていたのだ。
パーティーはそれを見て一目散にその場から逃げ出し、大慌てでギルドに駆け込んだ。
報告を受けたギルドは齎された情報の確度を調べる為に、大急ぎで運よく連絡が取れた高レベルパーティーと数組の中堅どころパーティーに調査を依頼。
それと並行して齎された情報が正しかった場合に備えてギルド内で会議を行う。
会議は直ぐに終わり、調査に向かったパーティーが戻り次第、もしくは調査に向かったパーティーに最悪な事が起こる事も想定して、二日経っても戻ってこなかった場合、緊急クエストを発令する事が決定される。
その際、最悪の場合は魔物がダンジョンから溢れて、付近の村や町が被害を受ける可能性がある為、その地域を管轄している領主に急使を送る事も決定した。
それから、半日程で調査に向かった高レベルパーティーの斥候役だけがギルドに無事帰還。
ダンジョンを発見。
状況は悪くなっている。
疎らと聞いていた一階層にも多くの魔物を確認。
残りのメンバーは魔物がダンジョンから溢れるのを防ぐために応戦中。
今の所強い魔物は見当たらない。ただ、その数が尋常ではなく、至急応援が必要である。
その報告を聞いたギルドは緊急クエストを発令。
数には数を揃えなければと、ある程度魔物と戦える冒険者は緊急招集、強制参加。
引退した冒険者も戦えるものは引っ張り出した。
これを仮に討伐軍と名称した。
準備が整ったものから順に討伐軍は出立。
運よく魔物が溢れ出す前に間に合うことが出来、今はダンジョンを半円状に取り囲んでいた。
「何というか壮観だな」
その半円状に取り囲んだ冒険者の中に蒼真たちもいた。
「だねぇ。不謹慎だけれどこんな大勢のパーティーが集まる事なんて滅多にないしね」
蒼真が思わずといったように零した言葉に理紗が同意を示す。
「ボ、ボク緊急招集って初めて受けました……ちょっと不安です」
言って、メンスが不安そうにスカートの裾をキュッと握りしめる。
「大丈夫よメンスちゃん。今回は数が多いから招集されただけで、強い魔物が現れたとかじゃないから。余裕よ余裕」
そんなメンスに優しく微笑んで言うキッド。
その手にはメンスの背丈以上の金砕棒、俗に言う金棒が握られている。
「不安なら外で包囲しているだけで良いんじゃないか?」
今、包囲している冒険者たちは主に三つの役割に分かれている。
1 ダンジョン内に侵入して魔物を減らす者。
2 魔物が外に出てきたら迎撃する者。
3 ダンジョン内から魔物の死骸を回収して処理する者である。
蒼真はメンスに不安ならば比較的安全なダンジョンを包囲する役割に回れば良いと言っているのである。
だが、それを聞いたメンスは、大きく深呼吸をすると、
「……いえ。行きます。これでもダンジョンをメインでやっているパーティーですので」
決意のこもった目でそう言った。
「――オレッチ様も行くぞ」
意気揚々と伊地が聞いてもいないのに答えた。
「……あ~。伊地は外にいたほうが良いんじゃないか? ダンジョンなんて潜った事無いだろ?」
そんな伊地に向かって蒼真は親切心でそう告げる。
「お前たちが出来ることがオレッチ様に出来ない訳がないだろ。それに――いや、何でもない」
だが、蒼真の忠告なんて全く気にせず、チラリと理紗とメンスに視線を向けて直ぐに逸らす伊地。
大方二人に良いところを見せたいのだろう。
そんな伊地の視線に気づいた理紗はあからさまに顔を顰め、メンスは困ったように苦笑いを浮かべる。
そもそも、登録したばかりの伊地は今回招集されていない。
だが、騒ぎに気が付いた伊地は、これは実力をアピールする絶好の機会と自発的に参加。
その際、たまたまギルドで蒼真たちを見つけて、ここまで勝手に一緒についてきたのである。
「……そうか」
そんな伊地を見て蒼真は説得を諦める。
そもそも親切心から言っただけで、蒼真の言葉に伊地が耳を傾けないのは分かっていた。
まぁ、そもそも実戦に慣れていないだけで俺よりレベルは高いし、大した魔物がいる訳じゃないから大丈夫だろう。
蒼真はそう結論付ける。
「よ~し。オレッチ様についてこい!」
言って、意気揚々と伊地がダンジョンに向かって歩き出す。
「――ぅっ」
ダンジョンに足を踏み入れた伊地は思わず顔を顰めた。
……何て臭いだよ。
洞窟内に充満する血と汗と獣の臭いがごちゃ混ぜにされた何とも言えない独特の臭いが伊地の鼻孔を突き刺す。
「……ぅぇ」
生まれて初めて嗅ぐその臭いを体が拒否するように伊地は足を止めて、少し嘔吐く。気のせいか目まで痛くなってきた。
……皆、何とも無いのかよ。
自分でもこの有り様なのだ、他の面々、特に理紗やメンスには耐えられるものではないだろうと伊地は思った。
が、実際には足を止めた伊地を尻目に他の面々は顔色一つ変えずにダンジョンの奥へと足を進め、次々と伊地を抜き去っていく。
愕然とした。
キッドだかシャルロッテだかは知らないが明らかに自分より格上の人は分かる。
だが、自分より確実に劣っている蒼真や拓也、それどころか本来は自分が守るべき存在である理紗やメンスすら何とも無いとは一体どういう事だ?
暫く呆然と先を歩く皆の背中を眺める伊地。
だが次第にその光景が無性に悔しく思えて、こんなものは俺だって何とも無いと虚勢を張り、無理やり大きく深呼吸をして、
「――ぉぇっ」
再び嘔吐く。
胃液がせり上がってきたが、幸いな事に吐くまでには至らなかった。
「……ふぅ」
ようやく臭いに慣れてきたのか、先ほどよりは随分と楽になった伊地は軽く口元を拭うと歩き出した。
「……はぁ。はぁ。はぁ」
もう何体目かも覚えていない魔物を切り伏せて、伊地は肩で息を繰り返す。
……きつい。
あまりの疲労に体が手にした刀すら手放そうとするのを必死に理性で引き留める。
地面は血と体液で濡れ、周囲には臓物が飛び出した魔物の屍が無数に転がっている。
……はぁ。はぁ。鼻が馬鹿になったのが唯一の救いか。
もう伊地の鼻は周囲に満ちる悪臭を何とも思わなくなった。
初めは周囲に飛び散る魔物の臓物を見て気分が悪くなったが、それも直ぐに、目の前に迫ってくる『死』で気にしている余裕が無くなった。
一階層までは良かった。
魔物の強さも聞いていた通りに大したことがなく、お世辞にも実戦慣れしているとは言えない伊地でも余裕を持って対処出来た。
が、二階層の中ほどまで来ると、その強さはともかく、数が桁違いに増えた。
はぁ、はぁ――くそっ!
先ほど切り伏せたばかりなのに、また新たな魔物が伊地に襲い掛かってくる。
それを伊地は切り伏せようとして――手にした刀が滑り落ちた。
――はぁ!?
刹那。世界が歩みを緩める。
予備の刀。
『それを手にしている時間が無い』
回避。
『間に合うわけがない』
ゆっくりと流れる世界の中で、伊地の頭は凄まじい速度で回転して次々と対処方法を提案してはそれらを却下していく。
「うらぁっ!」
最終的に伊地の頭が採用した案は――精一杯の力で殴る。
これが功を奏して、今にも噛みつこうと飛びかかってきた魔物が後方に吹っ飛んだ。
ざまぁ見やがれ! と吹き飛んだ魔物を睨みつける伊地。
が、伊地は目の前の魔物に集中するあまりに気が付かなかった。
横合いから襲い掛かってくる新たの魔物に。
あ。
新たな魔物に気づいた瞬間、伊地はあっけなく死を覚悟した。
――が、伊地の覚悟とは裏腹に死んだのは魔物のほうであった。
伊地の目では追えなかったが、何かが魔物にぶつかって、魔物が弾け飛んだ。
「大丈夫かしら?」
そう声を掛けられて顔を向けてみれば、そこには金棒を手にしたキッドが立っていた。




