第53話
カリナが目を開けると、目の前では蒼真がリーンに何やら突き飛ばされ、そのまま地面の中へと吸い込まれていく瞬間だった。
まだ、はっきりとしない意識の中、カリナは『ああ、またか』と思った。
リーンが自分たちに無茶ぶりをするのはよくある事である。というより、ここまでの道中もそれに含まれていると言っても過言ではない。
だから今更そんな光景を見てもカリナは全く動揺しなかった。
「さて、予定とは少し違ってしまいましたが、『今度こそ』後は頼みましたよ、ましろ」
言って、リーンも蒼真の後を追うように、地面の中へと消えていく。
その言葉を聞いて、カリナはリーンからの無茶ぶりがまだ残っている事を察して憂鬱な気持ちになる。
「――蒼ちゃんっ」
カリナが内心で大きくため息を吐くのと、理紗が駆け出したのは、ほぼ同時だった。何故か理紗の表情は酷く狼狽していて、まるでこの世の終わりのような顔をしている。
「塞がっているっ」
元々そういう仕組みなのか、それともリーンが塞いだのか、先程まで確かに空いていた穴の真上に立って理紗が声を荒らげ、忌々しそうに蹴り上げる。
「理紗、落ち着け」
そんな理紗に、いつの間にか復活した拓也が諌めるように声を掛ける。
「これが落ち着いていられるっ!? 蒼ちゃんが死にかけたのは、ついこの間だよっ!」
嫌々と大きく頭を振ってから、声を荒らげて拓也を睨みつける理紗。
……えっ?
理紗の叫びを聞いて、カリナの思考が止まる。
カリナは蒼真がこの前、死にかけたのを知らされていなかったのだ。余計な心配はかけたくないと蒼真が理紗と拓也に口止めしていたのだ。
「だから、落ち着いてくれ。今回はリーンちゃんが蒼真に付いているだろ? この前とは違う。だから大丈夫だ。いつものしごきと同じだよ」
言って、自分は何も心配していないと言わんばかりに苦笑を浮かべてみせる拓也。
「そうだけどっ!」
最初、たちの悪い冗談かと思った。理紗の言葉を頭が理解出来なかった。
さっきまで隣で笑っていた蒼真が、ついこの間に死にかけた等、とても信じられなかった。
「そうだけど……」
だけれど、理紗の狼狽を見るに、それは決して冗談では無く、それが実際にこの前にあった真実だと信じるしかなく――刹那、全身を走り抜ける怖気。同時にフラッシュバックする一つの光景。
ラミアに首を絞められて見る見る顔色が悪くなっていく蒼真の姿。
そして、今でも耳にこびりついている『ゴキリ』という鈍い音。
そうだ。蒼真が死にかけたのは初めてではない。
ラミアがカリナの体で一度――殺しかけている。
『リーンちゃんがいるから大丈夫』
拓也がそう言っていた。
さっきまでカリナもそう思っていた。
だけれど、あの時、ラミアに殺されかけた蒼真を治して、リーンは何と言った?
『私の到着が後数秒遅かったら……そう思うと、ぞっとします』
そう、確かに言った。
つまり、後数秒遅れていたら蒼真は死んでいたのだ。
リーンがいるから蒼真は大丈夫――そんな保証はどこにもない。
途端、ぐにゃりとカリナの視界が歪む。
自分が今、立っているのか、座っているのか判然とせず、鼓動はうるさいくらいに早くなり、肌が粟立ち、冷たい汗が背筋に流れて――ぷつりとカリナの意識は途絶えた。
「大丈夫だ。マイエンジェルがついている限り蒼真に危険はない」
真面目な顔つきでそう言う拓也を見て、理紗は心底気持ち悪いと思ってしまった。
理紗もリーンがついていれば大丈夫だろうとは思っている。
思ってはいるが、タイミングが悪すぎた。
この前の事件からあまりにも日が経っていなさすぎる。
「マイエンジェルとか……拓也、きもっ」
だが、あまりに気持ち悪い拓也を見て、非常に癪だが、理沙は若干落ち着きを取り戻す。
……うん、拓也の言うとおりにリーンちゃんがついている……この前とは違う。
そう何度も内心で自分に言い聞かせて理紗は徐々に落ち着きを取り戻していく。
「おい、どうした?」
「何か、あったのか?」
この騒ぎを見たジットとレモが三人の元に近づく。
「いや、何でもない」
そんな二人に拓也はなに食わぬ顔でそう告げる。
「そうか?」
訝しそうな目を拓也に向けるジット。
「ああ、本当に何でも無いんだ」
そんなジットに拓也は笑って答える。
「いや、しかし、何かあったのなら俺たちにも関係が――」
「――本当に何でも無いんだ。すまないな」
なおをも追求しようとしてくるジットに対して、拓也は笑みを深め、そう断言する。
言外に、これ以上はお前らには関係がないから追求するなという意味を込めて。
「……そうか。何かあったのなら声を掛けてくれ」
そんな拓也の思いを察したのか、ため息を一つ吐くとジットが引き下がる。
「そうさせてもらうよ――ああ、そうだ。僕たちは少しこの場所から離れるけれど、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
「助かる。何か見つかったら報告はさせてもらうよ」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
言って、再び階層の探索に戻るジットとレモの二人。
「さて」
その二人から十分に距離が開いたのを確認すると拓也はくるりと振り返り、
「それじゃ、ましろ、僕たちはどこに行けば良いのかな?」
言って、ましろに目を遣る。
ましろは不満げに目を細める。
「何か知っているんだろ? マイエンジェルが消える前に『後は頼みます』って言っていたしね」
そうドヤ顔で言って、眼鏡をくいっと持ち上げる拓也。
「……うざ」
その態度にイラっときた、理紗は嫌そうに顔をしかめて呟く。
ましろもそんな拓也の態度にイラついたのか、眉根を寄せて小さく唸り声を上げる。
「さて――」
「――おい、犬っころ。何か知っているのならとっとと吐け。その方が身の為だぞ?」
拓也がましろに問いかけるより早く、倍以上の体格差を物ともせずに、意識を失くしたカリナの替りに出てきたラミアがましろの胸ぐらを掴んでむんずと持ち上げる。その様子は酷く焦燥していた。
自分よりはるかに小さな体躯をしたラミアに持ち上げられたましろは驚く様子も無く、ただただ眉を潜める。
「――ちぃ、あの悪魔になにやら言いつけられているな」
まるで反応を示さないましろを見てラミアはそう判断する。
「ならば――眷属よ」
ましろは使えないと判断したラミアは直ぐに自らの眷属を召喚する。
ラミアの言葉に応えて、ラミアの影から無数の、それこそこの階層を全て覆い尽くしそうなほどの蝙蝠が現れる。
これを見たましろはあからさまに慌てふためき、
「うぉんっ」
と、ラミアに向かって抗議するように一鳴きする。
「行け」
だが、そんなましろの事なんて知ったことかとラミアは召喚した眷属に短く命令を下す。
ラミアからの命令を聞いた蝙蝠たちが一斉にダンジョン内へと消え去っていく。
それを見たましろは茫然自失した後、項垂れる。
「ふんっ。同情はしてやる――だが、『妾達』はお前なんぞより蒼真のほうがずっと大切じゃ」
言って、苛立たしそうにコツコツと足音を立てながら蒼真が落ちていった穴に向かう。
「……ちっ。やはりロックされておるな。こんなのを解除している暇があったら別ルートを探したほうが早そうじゃ」
穴のあった地面に手を遣ってラミアが呟く。
「――おいっ! さっきの大量の蝙蝠は何だ!? お前ら無事か!?」
先ほどのラミアの眷属を魔物と勘違いしたジット達が慌てて探索を打ち切って戻ってきて、地団駄を踏むように何度も地面を踏みつけているラミアに声をかける。
「――黙れっ!」
ラミアはそんなジット達を一喝すると、魔眼を発動させる。
魔眼を受けたジット達は途端に口を閉ざし、虚ろな目をする。
「ゴミども、妾達の事は気にするな。とっとと探索に戻れ」
表情が無くなったジット達にラミアがそう命令すると、ジット達はまるで夢遊病患者のような足取りで探索に戻っていく。
これを遠目から見ていた理紗は思わず苦笑いを浮かべた。
と、その時、一匹の蝙蝠が戻ってきて、ラミアの肩に止まった。
「――でかした!」
破顔してそう叫ぶと、ラミアがスタスタと足早に歩き出す。
「ちょっ、ラミアちゃん! うちも連れて行って!」
「僕も行くぞ」
そんなラミアを理紗と拓也が慌てて追いかける。
そんな三人の後ろではましろが耳と尻尾とをぺたと下げ、悲しそうに「くぅん」と鳴いた。
チリチリと、頬が、鼻が、髪の毛が熱気に晒される。
目の前では先程まで蒼真を一呑みせんと襲いかかってきた巨大な蛇が全身を火だるまにしながら、地面をのたうち回っている。
だが、いくら地面をのたうち回っても火の勢いは衰えず、むしろ勢いを強めて、その身を焼いていく。
「蒼真っ」
まるでキャンプファイヤーでも行っているかのような大きな蛇という焚き火の上をひょいっと飛び越えて、小さな人影が蒼真の元へと現れると、呆然と燃え上がる蛇を見つめていた蒼真の胸へと飛び込む。
「カリ――いや、ラミアか?」
「っ――ああ、そうじゃ、妾じゃ」
蒼真にカリナではなく、自分だと気づいて貰えたカリナは蒼真を見上げて、満面の笑みを浮かべる。
「そっか、助かったよ」
そんなラミアに蒼真は礼を告げて笑い返す。
「何、妾が蒼真を助けるのは当然の事――ん?」
言って、蒼真の胸に頬ずりしようとした所で、ラミアは蒼真が背負った人物に気が付く。
「蒼真? 背負っておるゴミはなんじゃ? とっとと捨てんと、背中が汚れるぞ?」
すっと、目を細めてラミアが不機嫌そうに言う。
「ゴミって……はぁ。依頼者の探し人だよ」
蒼真は苦笑いを浮かべてラミアに言うと、メンスを担ぎなおす。
「それがか?」
言って、ラミアはメンスの顔をまじまじと見る。
「……ふむ。確かに聞いておった特徴と一致するな」
「だろ?」
「所で、蒼真よ。どこか怪我等はしておらんか?」
言って、もうメンスには興味が無くなったのか、ラミアは心配そうに蒼真を見上げる。
「ああ、俺はかすり傷程度だが、メンスが――」
「ふむ。それは僥倖」
蒼真が言い切る前にラミアは胸をなで下ろして安堵する。メンスの事など、どうでも良いのだろう。
そんなラミアの様子を見て蒼真は苦笑いを浮かべる。
「蒼ちゃ~ん。無事?」
と、そこで理紗がひょっこりと姿を現した。先程まで豪快に燃え盛っていた蛇は既に灰となっていた。
「ああ、無事だ」
「良かったぁ――って、その子誰?」
理紗が蒼真の背に乗ったメンスを見て、目をすっと細めて問いかける。
「今回の探し物じゃ」
ふんっと小さく鼻を鳴らしてラミアが答える。
「そっかぁ。見つかって良かったね」
それを聞いた理紗は満面の笑みを浮かべて、うんうんと頷く。
「そういや、拓也は一緒じゃないのか?」
ふと、残りのメンバーである拓也の姿が見当たらずに蒼真は問いかける。
「ああ。遅いから置いてきちゃった」
その質問に理紗があっけらかんと答える。
蒼真は理紗の答えに、さもあらんと納得した。
「――まさか、ラミアちゃんが出てくるとは予想外でした」
と、その時、どこからともなく、音もなくリーンが姿を現す。
その突然の登場に皆、伝説とまで呼ばれているラミアですらリーンの存在に今の今まで気づかずにびくりと体を震わせて驚く。
「で、出おったなっ」
それから、ラミアはぎゅっと蒼真の服を握り締め、声を震わせながらリーンを睨みつける。
「これじゃ、ましろを責められませんね」
そんなラミアなどお構いないしにリーンがそう言って、大きくため息を吐く。
「まっ、今回は仕方ありません。ですが――もう一匹残っている事ですし、せっかくなので拓也さんがきたら、このまま補習と行きましょうっ」
ぽんっと手を叩いてそう言って、にっこりと微笑むリーン。
それを聞いて、蒼真と理紗が顔を引きつらせる。
「案ずるな。あんな爬虫類ごとき、妾がどうとてもしてやろう」
そんな二人にラミアがふふんと自慢げに胸を反らして言い放つ。
そんな心強いラミアの言葉に二人は顔を輝かせる。
「あっ。ラミアちゃんは後で別メニューです――とっとと、カリナちゃんを起こして引っ込んでください」
だが、二人が顔を輝かせたのも束の間。リーンが当然とばかりに言い放つ。
そこで蒼真は、ふと気が付く。
そうだ。メンスは怪我をしている。これは早く治療しないといけない。と。
「リ、リーン。補習なんだが、俺が背負ったメンスが怪我をしていて――」
「ああ、それはさっき私が治しておきました。それと補習の邪魔になるので――ましろ」
「うぉん」
いつからそこにいたのか、リーンの声に反応したましろが背負ったメンスをむんずと、蒼真から引き剥がす。
「これで心置きなく補習出来ますね」
言って、拒否権はないとばかりにリーンが蒼真達に微笑みかけた。
こうして、長い、長い、補習が始まりを告げたのであった。




