第51話
まるでスリル満点の滑り台だな。
薄暗い穴の中を為すすべもなく滑り落ちていく最中、蒼真はそんな事を思った。
先程から何度も手足や刀を使って落下を止めようとはしているものの、壁いっぱいに生息しているヒカリゴケのせいで全く上手くいかない。
こういう時に魔法が使えれば便利なんだがな。
魔法が使えればどうにか、このまま落下して死亡という最悪の事態は免れるであろう窮地に、蒼真は自らの魔法適性の無さに思わずため息を吐く。
と、同時にこんな絶体絶命の状況でそんな事を考える余裕がある自分に苦笑する。
それが良い事なのか悪いことなのかは分からないが、随分と自分の神経も図太くなったものだ。
事の発端は五階層でリーンに呼ばれて、のこのこと顔を出してみればあからさまに罠だと素人目でも判断出来る地面の上に押し出されたのが原因である。
つまり蒼真に落ち度は無い。
落ち度は無いのに落とし穴をするすると滑り落ちていく蒼真はさてどうしたものかと首を捻らせる。
とは言っても、蒼真に出来る事と言えば落下速度を緩める事に腐心するくらいである。
蒼真は刀が折れない事を祈りつつ、壁に刃を突き立てる。
瞬間、薄暗い穴の中に火花が迸る。
ガリガリとした嫌な振動が刀を通して蒼真の手に伝わって来る。
折れてくれるなよと願うと同時に、このままだと折れなくても刃こぼれが酷くてダメになるかもしれないと苦悶する。
そんな蒼真の願いや苦悶に刀が応えようとするかのように、徐々にではあるが落下速度が緩くなっていく。
これくらいの速度であればいずれ訪れる終着先でぺちゃんこになる可能性は低いだろう。
もっとも、このまま上手く行けば、の話ではあるが。
蒼真は早く底に着いてくれと願いながら穴を滑り落ちていった。
それは前触れもなく、メンスの前に現れた。
心が折れてしまったメンスを叱咤するように、奮い立たせようとするかのように、いきなり目の前に轟音と共に現れた、ひと振りの刀とそれを手にした男。
男は短く切り揃えられた、洞窟の闇より暗い色をした黒髪。褐色の肌、右頬には大きな刀傷。手にした刀はへたりこんだメンスの目の前に突き刺さっており、後数十センチでもずれていたら容易くメンスの命を刈り取っていただろう。
ギラリと、地面に突き刺さった刀がヒカリゴケの光を浴びて鈍く輝く。
それを見てメンスはぞっとした。
その輝きが自らの命を奪う寸前だった事に。その輝きが美しく思えて。
次の瞬間、メンスは後悔した。
後数十センチずれていたら自分は楽に、そうとは気づかぬ間に、この恐怖から開放されていたのに、と。
「……いてて」
砂埃が上がる中、突然と現れた男は、間抜けなセリフとは反対に鋭い目つきで周囲を見回す。
自然とメンスと男、こと、蒼真の目が合う。とは言っても、まだ暗闇に目が慣れていない蒼真からすれば、何かと目が合った。程度の認識である。
「――んん?」
だから蒼真は何かの存在を確認して、条件反射で地面に突き刺さったままの刀を放棄して慌てて距離を取り、二本のうち残っていた一本の刀を抜き放ち、身構える。
メンスはそんな蒼真の様子を、ただ呆然と見つめる。
この男は誰だろう、とか。この男も自分と同じように罠に嵌ったんだろうか、とか。もしかしたら助かるかもしれない。とか。
そんな事は何一つ考えず、ただひたすらに、ただそこにいるという理由だけで、蒼真を見つめる。
暫し見つめ合う二人。
「……あれ?」
ややあってから、薄暗闇の中、蒼真は油断なくメンスを見据えながら、ようやく慣れてきた目でふと気が付く。
……人? だよな?
左右で違う色の瞳。若い、幼いと言っても過言ではない見た目と反して真っ白な髪の毛、華奢な体躯に可愛らしい顔。
それら特徴はつい最近聞かされていたものに当てはまる。
「あんたは、まさか……」
そこまで口を開いてふと蒼真は気が付く――そういえば探し人の名前を聞いていなかった。と。
「あ~、その、何だ」
蒼真は構えた刀を下ろして、どう聞こうか悩みながら頭を掻く。
そんな蒼真をメンスはただ、じっと無表情に見つめる。
あ~、なんて名前だっけ、あのリーダーの男……ダット? ダッツ? ……いや、レット? レッツ?
探している仲間の名前を言えば確認が取れるだろうと思い、試みるがこちらも上手くいかない。何個か候補は上がるもの、どれもこれも何か違う気がして、蒼真は頭を掻き毟る。
「あんたは、その、あれだ……遭難した人?」
最終的には、間抜けとも、失礼とも取れる質問をしてしまう蒼真。
罠に落とされた蒼真が行き着いた先である。蒼真と同じように罠に引っかかった遭難者である可能性は非常に高い。
だが、もし、仮に目の前の人物が実力で、正規のルートを辿ってここまで潜ったのであれば、それは大変失礼な質問になってしまう。
……ん? でも、よくよく考えてみればあんな見え見えの罠に引っかかるやつのほうが可能性は低く無いか? ……って事は、非常に失礼な質問をしたんじゃ……でも、聞いていた身体的特徴は一致しているような気がするし。
「……は、はい」
これは拙いと蒼真の背中にじわりと冷や汗が滲み始めた頃、メンスが幼い声音で答えて、首を縦に振る。
「そ、そうか」
蒼真はほっと安堵すると、刀を鞘に収めてメンスに近づく。
「えっと、その、あ、貴方は?」
そんな蒼真にメンスはボロボロになったやけに丈の短いスカートの裾をきゅっと握り締めて、おどおどと問いかける。
「俺は斎藤蒼真。あんたの仲間に頼まれてあんたを探していたんだが……その、運悪く罠に引っ掛かってな」
見え見えの罠に仲間から突き落とされた。なんて説明出来るはずもなく、蒼真は渋々と、不承不承、不本意ながら、自ら引っ掛かったのだと説明する。
「ボクを探して?」
言って、小さく首をかしげるメンス。
「ああ、名前は聞き忘れたけど、俺が聞いていた身体的特徴にあんたが当てはまると思うんだ……えっと、仲間にダット? ってやつはいるか?」
「ダット? ……もしかして、ジット、の事かな?」
言って更に首を傾げるメンス。
「あ~、そうそう、ジットだ、ジット」
それを聞いてようやく名前を思い出した蒼真は胸のつかえがすっと無くなる。実に爽快な瞬間である。
「……やっぱり、探していてくれたんだ」
蒼真の言葉を聞いたメンスは、無意識なのだろう、小さな微笑みを浮かべて、目尻にうっすらと涙を浮かべている。
「ああ、奴ら相当慌ててたな。とにかく見つけられて良かった……え~っと」
「……ボクの名前はメンスです。メンス・トーター。メンスって呼んでください」
「じゃあ、メンス。俺の事も蒼真と呼んでくれ」
「はい。蒼真さん」
「呼び捨てでも構わないが。まっ、とりあえずはとっととここから脱出するか。ちなみに出口がどこか分かるか?」
「すみません、分からないんです……こっちじゃない事は確かですが」
言って、目線を後ろの行き止まりへと向けるメンス。
「のようだな。だったら、こっちに進むしかないか」
言って、蒼真は行き止まりとは反対のほうを指差す――その瞬間、メンスの表情が強張る。
「ん? どうし――」
「――ダメです!!」
洞窟内に響くメンスの悲鳴のような声。その小さな体躯から想像も出来ないような大きな声である。
「――っ」
そして、しまったと言うように顔面を蒼白にして自ら口を慌てて押さえるメンス。
……あ~、これは確実に、何かいるな。
そんなメンスを見て蒼真は内心で大きくため息を吐く。
冷静に考えてみれば蒼真はリーンに落とされたのだ。何も無いほうが確率的には低いだろう。
『後で補習ですよ?』
ふと、蒼真の脳内にリーンのそんな言葉が蘇る。
「あ~。それで? こっち側には何がある、もしくは何がいるんだ?」
これがその補習なのだろうか? そう思いながら蒼真はメンスに問いかける。
「きょ……強力な、魔物が、います」
言って、俯くメンス。その体は小刻みに震えている。
「ほぉ」
予想通りの返答に蒼真は驚くこともなく軽く頷き、
「それで? どんな魔物だ?」
メンスから情報を引き出しにかかる。
「へ、蛇の、魔物、です……とても、大きい」
ぎゅっと自ら体を抱きしめてメンスがか細い声で答える。
「どれくらいの大きさか分かるか?」
その質問にはメンスは首を横に振って答える。
「メンスは戦ったのか?」
今度の質問には小さく首を縦に振るメンス。
「どれくらいのレベルか分かるか?」
「逃げるのに精一杯で……でも、ボクより、ずっと強いのは間違い無い、です……それも、ボクじゃ絶対に勝てないレベルで」
「そっか。ちなみにメンスのレベルと戦闘スタイルは?」
「レベルは32で、魔法使いです」
「レベル32……俺より少し高い位か、ちなみに俺はレベルが30なんだが、俺とメンスが協力すればその蛇はどうにかなりそうか?」
「……無理、です。例え、ボクのチームと蒼真さんが組んでも難しいと思います」
「そっか――んじゃ、ちょっくら様子を見てくるわ」
「――えっ?」
蒼真の一言に驚いたのか、今まで俯いていたメンスが思わずといったように顔を上げる。
「ボッ――ボクの話聞いてました!?」
一瞬、大声で叫びそうになったメンスだったが、寸前の所で声量の調整に成功する。その表情は驚きと悲壮感が入り混じっている。
「ああ。でも、行くしかないだろ?」
言って、行き止まりを指差す蒼真。
「……そ、そうです、けど」
か細くそう言って、顔を歪めるメンス。
「だから、とりあえず俺だけで様子を見てくる。メンスはここにいてくれ」
この状態のメンスを連れて行くのは、あしでまといにしかならないと判断した蒼真はそう告げて歩き出す。
「――っ!」
そんな蒼真の服の裾をメンスは思わず、慌てて握り締める。
「どうした? 様子を見てくるだけだぞ? 救出対象を置いて逃げる程、俺は落ちぶれていないつもりだが?」
そんなメンスに対して、蒼真は優しくに告げる。
メンスは蒼真の服の裾を握り締めたまま、目を盛大に泳がせながら、二度、三度と俯き、大きく深呼吸をする。
「ボ、ボクも……行きます」
それから、『置いていかないで』と、訴える捨てられた子犬のような潤んだ目で蒼真を見つめて言う。
「う~ん。出来れば、待っていて欲しいんだが」
メンスの様子に蒼真の庇護欲が疼く。だが、この様子のメンスを連れて行くとリスクが上がる。だから、蒼真は困ったようにメンスに告げる。
「……一人は、もう、イヤ、です」
蒼真の言葉を聞いたメンスは蒼真の服の裾を絶対に離すものかと更に力を強め、目尻に涙を浮かべる。
「……オーケー。分かった。一緒に行こう」
この様子では断っても勝手に、無理やりにでもついてきそうである。こうなってしまっては蒼真には頷くしか答えが残っていない。
「ありがとうございますっ」
蒼真の言葉を聞いて、ほっと胸をなで下ろすメンス。
「それじゃ、行くか」
言ってメンスに手を差し出す蒼真。
「はい――っぅ」
差し出された手を握りって、メンスは立ち上がり、襲いかかってきた鈍痛に思わず顔を顰める。
「もしかして、怪我をしているのか?」
そんなメンスを見て、蒼真が問いかける。
「だ、大丈夫です。歩け、ますっ」
置いていかれると思ったのか、メンスは思うように動かない足を無理やり動かし、その代償に襲いかかってくる鈍痛に歯を食いしばって耐える。
「はぁ~。無理すんな。どこが痛いんだ?」
そんなメンスを見て、蒼真は大きくため息を吐き、問いかける。
「だ、だいじょうぶ、です」
「そんな泣きそうな顔で言われてもなぁ。で? どこだ? 言わないと置いていくぞ?」
「……み、右足、です」
「どれ」
言って、蒼真はしゃがむとメンスの右足を見る。
「おお、盛大に腫れているな? 打撲か? 折れてはいないよな?」
すると、やけに丈の短いスカートをフォローする為に存在している黒いタイツはぼろぼろになり白い素肌が見え隠れしている。
そんな黒いタイツに包まれたメンスの華奢な右足首が腫れていた。
「はい。た、多分、折れてはいないと、思います」
「そうか」
言って、蒼真は自らの上着を切り取ると、腫れた部分に巻きつけていく。
「あ、ありがとうございます」
「良し。乗れ」
言って、腰を屈めてメンスに背中を向ける蒼真。
「え?」
「その足じゃ動けないだろ? だからおぶっていく」
「だ、大丈夫ですっ」
「乗らないと置いていくぞ?」
「……う~……そ、それじゃ、失礼します」
メンスは恥ずかしそうに蒼真の背中に股がる。
「良し。それじゃ行くぞ」
メンスが背中に乗った事を確認した蒼真はそう言ってゆっくりと歩き出した。




