第45話
「これは……一体、どういう事じゃ?」
拠点に戻った理紗と白髪の女性、未だに角が刺さったままの蒼真を見てワグマが呆然と問いかける。
「ゴートと遭遇しちゃって、戦闘になっちゃって、その時、蒼ちゃんがエルちゃんを庇って……」
不安を隠しきれない理紗がぽつぽつと言葉を漏らす。
そして、ワグマをじっと見つめて、
「蒼ちゃん、助かりますよね?」
と、問いかける。
それは、ワグマへの問いかけというよりも、自らに大丈夫、助かると言い聞かせているようにも聞こえる。
「……」
そんな理紗に対してワグマは眉間に皺を寄せてみせるだけで、答えを口にしようとしない。
「ああ、二人共ようやく帰ってきたか――って、蒼真!?」
重い沈黙が流れる中、テントの中から拓也がひょっこりと顔を出して、蒼真の状態を見るなり、驚愕する。
「ねぇ、蒼ちゃん、助かりますよね?」
そんな拓也の存在など気づいていないかのように、再び理紗がワグマに問いかける。その表情は先程よりも不安の色が濃い。
そんな理紗にワグマがようやく重い口を開き、何か告げようとした、その刹那。
「――助からないわよ」
理紗の背後から、淡々とした、とても冷たい声が聞こえてきた。
その声に皆が振り向けば、そこには嘲笑を浮かべたエルが立っていた。
「見れば分かるでしょ? そんな状態で助かるわけが無いじゃない」
それを聞いて、理紗は縋るようにワグマを見る。
「……危険な状態であるのは間違いない。儂が万全の状態だったとしても助けられるかどうか」
沈痛な表情でワグマが理紗に告げる。
「……ちっ」
その答えに白髪の女性が周りに聞こえないように、小さく舌打ちをする。
「……嘘」
ワグマの言葉を聞いて、理紗は膝から崩れ落ちる。
「そんな事より、おじ様は大丈夫なのですか? セブンスネークに噛まれたのです。無理をなさらないで横になっていて下さい。薬草を採ってきましたので、直ぐにでもお飲みになったほうがよろしいかと」
そんな理紗など気にもとめずに、エルが今思い出したのか、心配そうな表情を浮かべると、慌ててポシェットに手を突っ込む。
「心配して貰ってすまないが、その必要はもう無い。薬草はもう飲んだ。この者たちが持っていたのでな」
ちらっとだけエルを見てから、ワグマは素っ気なく答える。
「……そう、ですか。それは良かったです」
言って、安堵したような、残念そうな、笑みを浮かべるエル。
「嬢ちゃん、確かに刀傷の助かる可能性は低い。だが、全力を尽くそう――いや、尽くさせてくれ」
そんなエルを半ば無視するように、膝から崩れ落ちた理紗にワグマは目線を合わせ、両肩に手を置くと、力強くぎゅっと握り締める。
どこからどうみても疲労困憊の様子であるワグマだが、それを感じさせない程に、その瞳と、湧き上がる氣が力強い。
そこからは何としてでも蒼真を助けるという確固たる意思が伝わる。
「……お願い……します」
理紗は藁にもすがる思いでワグマに告げる。
……蒼ちゃんが死ぬ? ……嘘。だよね? だって、さっきまであんなに元気だったのに……どうして? ……何で? ……どうして、こうなったの?
そんな理紗の内心はまだ現実を受け入れきれずに、ぐるぐると様々なモノが渦巻く。その中には蒼真との思いで等も数多く含まれていて、
「……っ」
思わず、理紗は涙を流した。
「……蒼真」
拓也も理紗と同じなのか、涙は流さないまでも、暗く、沈痛な面持ちをしている。
「おじ様。そんな無駄な労力と魔力を使うのは賢明とは言えません。そんな死にかけの人間に無駄な治療を施すより、おじ様の体力を回復させるのが先なのでは? 早く体力を回復させて、一刻も早く薬を作る事こそ、おじ様のするべき事かと。今も病気で苦しんでいる者が大勢いるのですよ?」
まるでワグマを諭すように、エルが場違いな事を口にする。
それを聞いて、皆一様に無表情でエルを見る。誰一人として、エルの言っている言葉の意味が理解出来なかったのだ。
「材料である角も丁度『そこに』あることですし」
言って、にっこりと微笑んでみせるエル。
「……ちみっ子。貴様、自分が何を言っておるのか、理解しておるのか?」
ワグマが無表情のままエルに問いかける。
「ええ、もちろん。私は冷静な判断をしたまでです。おじ様も仰っていたでしょ? 助かる可能性は低いと」
「冷静な判断か」
「はい」
「……ちと、儂は貴様の言葉を聞いて、冷静ではおられなくなったよ」
エルを睨みつけ、怒気を孕んだ声でワグマが告げる。
「何故、怒っているのですか?」
そんなワグマにエルは訳が分からないとばかりに、小首を傾げてみせる。
「――ああ、自らの間違いを指摘されて腹が立ったのですね」
それから、ぽんっと手を叩いて一人納得とばかりに頷く。
「……貴様、話を聞く限りでは刀傷に助けられたそうじゃないか。何とも思わんのか?」
「それは誤解です、おじ様。私はこの男の助けなど必要としておりませんでした。自分でどうにか出来たのです。それをこの男が勝手にしゃしゃり出てきて、勝手に死にかけているだけ。そもそも、私は『助けて』など頼んでおりません」
心外だと言わんばかりに、エルがワグマに抗議する。
「そうか、そこまで落ちぶれたか……話にならん。眼鏡よ、刀傷をテントの中まで運んでくれ……愚か者の言葉を聞いてますます助けたくなったわ」
言って、エルに侮蔑の眼差しを向けるワグマ。
「……了解した」
流石の小さい子好きの拓也にも、今のエルは許せないのか、ぎゅっと拳を握り締め、唇を強く噛み締めて、エルを睨みつける。
「あら、気に障ったかしら? でも、事実よ?」
そんな拓也にエルは余裕ありげに鼻で笑ってみせる。
「……例え、仮にそれが事実だとしても……いや、蒼真なら君の言うとおりに、頼まれてもいないのに、きっと助けに入っただろうから、この結果は変わらないだろう。自業自得と言えるかもしれない……」
「あら、良く分かっているじゃない」
「――だから、僕は、そんな蒼真を誇りに思う」
目に涙を浮かべながら白髪の女性から蒼真を受け取る拓也。
「こんな事で死ぬなよ、蒼真」
言って、テントの中へと消えていく拓也。
「あら、例え勘違いだとしても、エルフである私を守って死ぬのだから、それはとても幸せな死に方じゃないかしら」
そんな拓也の背中にエルが嘲笑混じりに告げた。
――その、瞬間。
すっくと立ち上がった理紗がエルの前に立ち、戸惑いも、躊躇も無く、エルの頬を叩いた。
パンっという乾いた音が森に響く。
エルは叩かれて、呆然とした様子だったが、直ぐに気を取り直して、頬を怒りで赤く染めて、
「――何をするのっ!」
と、理紗に向かって怒鳴る。
「――っ」
そんなエルの頬を理紗は再び叩く。
その表情は無表情。まるで能面のように人間味を感じさせない。
ただ、その目からは絶え間なく涙が流れている。
「この! ――っ」
反撃とばかりにエルも腕を振るが、そもそも背丈が違う、腕のリーチが違う。それが届くより早く、理紗の手がエルの頬に届く。
エルは理紗に怒鳴り、睨み、手を伸ばす。
だが、それら全てが無駄に終わり、最後に残るのは頬から伝わる痛みだけ。
そんな事を何度も繰り返す。
周りは、ワグマですらそれを止めようとはしない。それどころか、自業自得とばかりに、蒼真の治療の為にテントの中へと消えていった。
「――っひ」
最初は負けるものかと、ぶたれる度に、怒りを高めていったエルだったが、徐々にその勢いは無くなり、頬がリンゴのように真っ赤になる頃には、ぶたれる度に泣き出しそうになっていた。
「その辺にしておいたほうが良いんじゃないか、理紗」
そこでようやく、うるさいとばかりにテントから拓也が出てきて、理紗に制止の言葉を投げかける。
「――良くないっ! だって! 蒼ちゃんはこの子を庇って怪我をしたのに! 死にそうになっているのに! それなのに、この子は何て言った!? エルフを守って死ねるのがとても幸せ!? ふざけんじゃないわよ!!」
先程までの能面のような顔が嘘のように、怒りに満ち溢れた顔で、理紗が拓也の制止の言葉を無視して、エルの頬を叩き続ける。
「そもそも! こいつが一人で薬草なんか取りに行かなければ良かった! セブンスネークの毒に効く薬草なら森に入る冒険者なら持っていて当たり前! 常識! こいつがゴートに魔法を放たなければ戦いにならなかった! やり過ごせた! 戦闘になっても何もしない! 立っているだけで逃げもしない! あんたが逃げてれば蒼ちゃんだってゴートの攻撃を真正面から受け止めなかった! そもそもあんたが行き倒れてなければ! 全部! 全部! こいつのせいで蒼ちゃんが! 蒼ちゃんが!!」
「――蒼真がその子を殴る事を望んでいると思うか?」
苦々しく拓也が理紗に言う。
「――っ」
それを耳にして、理紗の振り上げた手がピタリと止まる。
「蒼真はそれを望んでいない……だが、蒼真が望む、望まないに関わらず、僕たちにはその子に思うところがある。だから、殴る事が悪いとは、僕も思わない。だけど、もう十分殴ったろ? 僕とお前の気持ちは十分にぶつけた。そろそろ、蒼真の思いを汲んでやらないといけないだろ? その子が大怪我でもしていたら、起きた時に、蒼真が悲しむ」
言って、拓也は理紗に近づくと、振り上げた状態で止まった理紗の手を掴んで、そっと下ろす。
「……蒼ちゃん……蒼ちゃん……」
すると、再び崩れ落ち、泣き始める理紗。
そんな理紗の頬をエルがここぞとばかりにひっぱたく。
「ふんっ! どうしたの!? 殴り返しなさいよ! ほらっ!」
泣き崩れた理紗を挑発すると、二度、三度と理紗の頬を叩くエル。
だが、理紗は何もしない。まるで自分は何もされていないと言っているように、何もしない。
一向に反応を示さない理紗を見て、一瞬、エルは悲しそうに、苦しそうに、顔を歪めてから、
「――私は悪くないっ!!」
そう叫んだ。
「……」
一連のやり取りを見ていた白髪の女性はその場が気まずくなったのか、それとも、単純に自分には関係無いと思ったのか、一人、ワグマと蒼真のいるテントの中へと入っていく。
「外の騒ぎは収まったかの、白髪の嬢ちゃん」
白髪の女性がテントの中に入ると、額にびっしりと汗をこびりつかせて、蒼真の腹部に回復の魔石を当てているワグマが声を掛けた。
蒼真の腹部にはもう角は刺さっていない。その代わりに蒼真の腹部は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
その包帯は既に血が滲み始めている。
「白銀だ」
そんなワグマの問いに、白髪の女性は素っ頓狂な答えを返す。
「あ?」
「わ――たしの髪色は白髪ではなく、白銀だ。間違えないでくれ」
「そうか。そりゃ、悪かったの、白銀の嬢ちゃん」
苦笑混じりにワグマは謝罪をすると、魔石から手を離し、今度は薬草を石臼ですり潰し始めた。
「理解してくれればそれで良い」
言って、先ほどよりも顔色が悪くなった蒼真を見下ろす女性。
今の蒼真は顔色だけに留まらず、生気というものが血と一緒に体外に流れていってしまっているのが、素人目でも理解できる。
「貴――公に、この男は助けられるのか?」
「先程も言ったが、全力を尽くす」
「そうじゃない。助けられるのか、どうか聞いているのだ」
「……さっきも言ったが、儂が万全の状態で整った設備があったとしても、刀傷が助かる可能性は五分を下回る。今の儂では……一割を切る確率じゃろう。じゃが、ゼロでは無い」
「――理解した。ならば仕方がない」
ワグマの答えに一つ頷くと、唐突に女性は胸元に手を突っ込む。
女性の行動にぎょっとしているワグマを尻目に、女性は胸元から小さい巾着袋を取り出すと、口を開け、中から一つの宝石を取り出す。
その宝石は赤、青、黄、緑、紫、白、黒、と代わる代わる様々な色を放ち、神々しいような、禍々しいような雰囲気を醸し出している。
「……それは! まさか! そんな馬鹿なっ!?」
暫し、宝石の独特な雰囲気に呑まれて、呆然と見つめていたワグマだったが、その宝石がどんな物かを理解して思わず、驚愕の声を上げた。




