第43話
様々な動物の群れを見て蒼真は背中に嫌な感覚を覚えた。
それはまるで天変地異の前触れのような異常な光景。本来なら捕食者と被食者の関係である動物達ですら足並みを揃えてぞろぞろと列を作り、逃げ惑う。
大地震の前触れ? それとも大火事? とにかく、ろくなもんじゃない。
蒼真は背負った剣を鞘から抜き放ち、エルの前に出る。
失敗した。こんな事ならきちんとした装備でくれば良かった。
蒼真の現在の装備は軽さ重視である。あの山羊のようなモンスター。ゴートから逃げ回るのを優先した為だ。とは言っても、この森に生息しているモンスターであれば、軽装備で十分である。そう、この森の中でも上位に位置する存在と遭遇しなければ。
「……来たか」
動物達の行進が終わり、暫くすると、がさがさと草木をかき分けて、ぬっと姿を見せる一匹のモンスター。
そのモンスターは山羊に似た外見をしている。大きさは熊と同じくらいで、額には一本の立派な角が生えている。
そう、ゴートである。
「……最悪」
それを見た理紗が小さく声を漏らす。魔法使いである理紗に取ってみれば非常に相性の悪い相手だ。更に言えば理紗と蒼真のレベル以上の討伐推奨モンスターでもある。
蒼真はちらりとエルを見る。
その顔は恐怖で引きつっており、いつ倒れても可笑しくない。
この様子では魔法を得意とするエルフと相性が悪いモンスターという点を除いても戦力にはなりそうにない。
やっぱりか……じいさんが念の為に迎えに行けと言った意味が分かったよ。
ワグマの発言とトードに捕まっていた件で、蒼真は薄々そうじゃないかと思ってはいたが、それが今、確信に変わった。
エルはモンスターを恐れている。
つまり、格上相手に支援無しでどうにかしないといけないっと……最悪だな。
どうする? 俺一人なら逃げられるが理紗とエルには無理だろう……なら戦うしか無いか。どうにか俺一人で相手をしている隙に二人には逃げてもらうしか無いだろうな。
はぁ~本当に何でこんな装備できちゃったんだよ、俺……奇跡的にさっき逃げていった動物たちを追いかけてくれないかなぁ。
そんな蒼真の願いが叶ったのか、ゆっくりと、姿を現したゴートは、二度、三度と後ろを振り返りながら、先ほど逃げていった動物たちと同じ方向に向かう。
マジか。
それを見た蒼真は内心で驚きつつ、自らの幸運に感謝した。
……にしても、随分と傷だらけだな。
ゆっくり、というか、こっそりといった風に歩いているゴートはあちらこちらに小さな傷を作り、そこからにじみ出る血で毛が薄汚れてしまっている。まるで多くの何かに噛み付かれたかのような様子。例えるなら負け犬、敗残兵、のようである。
ゴートはこの森では上位のモンスター。そのゴートをここまで傷つけられるモンスター。つまり、ゴートと同じ位のレベルか、もしくはそれ以上のレベルのモンスター。
……うっわ~。会いたくねぇ。
蒼真は内心で自らの想像に冷や汗を流して、ゴートをやり過ごしたら素早くここから撤退しようと思った。
その刹那。
ドンッっという大きな音が後ろからしたと思ったら、凄まじい速度で大きな火球が蒼真の横を通り過ぎ、ゴートに向かっていく。
火球は見事ゴートに当たると、徐々にその火力を弱めていく。幸運な事に周辺には飛び火していないようだ。
――嘘だろっ!?
火球の熱風で軽い火傷でもしたのか、ヒリヒリと痛む頬を気にする暇も無く、蒼真は後ろを振り返る。
すると、そこには顔面蒼白で、ガタガタと全身を震わせながら短杖を握り締めているエルと、目をこれでもかと開け放って驚いている理紗の姿があった。
そんなエルを見て蒼真は『良くもまぁ、あんな状態で当てられたものだ』なんて、くだらない事を考える。
「メェー!」
天まで届けと言わんばかりに、ゴートが咆哮を上げる。
それを聞いた蒼真は慌てて正面を向く。
そこには、完全にこちらを敵とみなしたゴートが真っ赤な瞳に怒りを宿して、蒼真たちを睨みつけていた。
「メェー!」
再び咆哮を上げると、頭をくいっと下げ、角を突き出す。そして、二度、三度と右後ろ足で地面を蹴り上げ――突進してきた。
――くっそ!
後ろにあんな状態のエルがいる今、避ける事は出来ない。どうにかこうにか受け止めなければいけない。
蒼真は覚悟を決めると、しっかりと剣を握り締める。
「――吹き飛べっ」
後ろから理紗の声がして、強風が吹き抜ける。強風はゴートに当たるが、怯むどころかその速度すら鈍らせる事が出来ない。
見る見る迫ってくるゴートの巨体。蒼真は剣を大上段に構える。
もう少し、もう少し、もう少し――ここっ。
蒼真は慎重にタイミングを計り、突進してくるゴートに向かって、剣を思いっきり振り下ろす。
剣とゴートがぶつかった、その瞬間。蒼真の手のひらに凄まじい衝撃が走り、簡単に、容易く蒼真が振り下ろした剣が弾かれる。それだけに留まらず、蒼真の両足が地面から離れる。
拙いっ。そう蒼真が思った時には既に手遅れ。次の瞬間にはゴートの角が蒼真の腹部へと深々と突き刺さっていた。
時は少し遡る。
ゴートを見た瞬間、エルは恐怖で足が竦んで動けなくなった。それを庇うかのように蒼真がエルの前方に立つ。
……気に食わない。
やけに大きく見える蒼真の背中を見た瞬間、恐怖で塗りつぶされたエルの心に小さな火種が灯った。
下等種族の人間がエルフである私を庇う? 何故? どうして? 庇うという行為は自らより弱いものに対して行う行為よ。何故? どうして? あの人間は私を庇うの? だって、私のほうが人間なんかよりずっと高貴で、気高く――そして、強い。
小さな火種はエルの中で徐々に大きくなっていく。
そう、そうよ。私は強い。あんな人間なんかに庇われる必要は無い――屈辱よ。
火種が大きくなる度に、エルの中で活力が生まれる。それは強く、ドロドロとしていて、とても暗いもの。
知能が低い人間に見せてあげる。今。私、エルフという種族がどれだけ凄いのかを。
暗いものに支配されたエルは自らの、エルフの力を見せ付けられる格好の餌食を見つける。その標的はこのままではどこかへと逃げ去ってしまう。
逃がさない。
エルはポシェットに手を入れ愛用している短杖を取り出し、構える。
揺れろ、揺れろ、炎よ揺れろ。揺れて、重なり、業火となり――焼き尽くせ。
「ファイヤーボール」
と、エルが呟くや否や、ドンッという凄まじい音がして大きな火球が標的に向かって飛ぶ。
あっはっは、これがエルフと人間の違いよ! この短時間にあんな大きな火球を放てる人間なんていないでしょ!
我ながら会心の出来だったエルは内心で暗く笑う。
そして、自らが放った火球が標的に当たり、その威力が徐々に弱くなっていくのを見て、ようやくエルはその標的が何であるか、気がついた。
……ゴート?
この森の上位モンスターであり、エルフとは非常に相性が悪いモンスター。
大人からは見つけたら直ぐに逃げるか隠れるかしろと教わった。
実際に何度か遭遇した時は言うとおりにした。何故なら、ゴートは魔法に耐性を持っていて、年に何人ものエルフが重軽傷、最悪の場合命を落としていて、決して下手に手出ししてはいけない相手で……。
エルは自分が何をしでかしたのかを理解して、頭が真っ白になった。
頭は真っ白で何も考えられず、恐怖なんて感じていないのに、ガタガタと全身が勝手に震えだす。
わ、わ、私は、一体、何を。
真っ白な脳内に浮かび上がる、後悔。
微かに聞こえる何かの声。やや遅れから聞こえてくるキンっという金属音。
と、ほぼ同時に何かが顔に掛かった。
その生暖かい感触がとても不愉快で、気持ち悪く、エルは一気に意識を取り戻す。
ようやく本来の仕事を始めたエルの目が映し出したのは、腹部から角を生やした人間の姿だった。




