第41話
「……あった」
木の根に隠れるように生えていた薬草を発見したエルはそう呟いて、ほっと胸をなで下ろす。
モンスターの影に怯えながら慎重にここまで来たためにいつもより多く時間が掛かってしまった。
「早く、摘んで帰らないと」
言って、慣れた手つきで、素早く薬草を摘み取り始めるエル。だが、薬草を摘み取ってはいても、周囲への警戒は怠らない。いや、一度摘み取っては周囲を確認、また摘み取っては周囲を確認しているその姿は警戒しているというよりは、怯えていると言ったほうが正しいのかもしれない。もっとも、本人はそれを決して認めはしないだろうが。
「――ん?」
そんな執拗な警戒が功を奏したのか、エルの視界の隅に小さな影が入り込んできた。エルは慌てて作業を中断すると、木の陰に隠れる。
そして、木の陰から少しだけ顔を出すと、小さな陰が見えた方向をじっと見つめる。
……狼? ……いえ、狼牙?
すると、こっそりと、まるで隠れるように草の中に身を隠した狼牙をエルの目が捉える。こちらに気づいた様子は無い。
こちらに気づいた様子は無く、知能の低い狼牙ならばこのまま隠れていれば余程の事がない限りはやり過ごせるだろう。エルはそう頭では考えるが、先程から心臓がやけにうるさく鼓動を繰り返す。
……落ち着いて……大丈夫……相手はあの狼牙……今まで何度も遭遇してきたし、その度に怪我すらしたことがないじゃない。狼牙が群れない。あの一匹をやり過ごすだけで良いの。そう、だから安心しなさい、私。
そう自らに言い聞かせて、ゆっくりと深呼吸をするエル。
暫く周囲を、まるで何かを確認しているかのように、うろうろと見回した狼牙は、ゆっくりとエルとは反対の方向に向かって歩き出した。
無意識にエルがほっと胸をなでおろしたのも束の間。ぴょんっと、視界の中に赤茶色をした物体が飛び込んできた。
その物体は突然狼牙の目の前に現れた。
狼牙と同じ位の大きさの、ずんぐりむっくりとした体。目の下はくまのように黒く、その体表は何かしらの体液でも分泌しているのか、ぬめりとしている。
狼牙の目の前に現れたのはトードと言われているモンスターである。レベルにして9。狼牙より少し強い位である。
トードは姿を現すと同時に、自慢の長い舌を狼牙に向かって伸ばす。狼牙はそれに対応できずトードの舌に絡め取られてしまう。
ズルズルと引きずられるようにトードに引き寄せられていく狼牙。そんな狼牙を見てエルは内心で『あれでお腹がいっぱいになれば、私が襲われる可能性が低くなる』と思った。
重心を落とし、四肢に力を込め、何度も鳴き声を上げなら、必死に抵抗していた狼牙の体が宙に浮いた。その刹那。
木々の隙間から飛び出してきた数匹の狼牙が一斉にトードに襲いかかった。
「――えっ?」
エルはその有り得ない光景を見て、思わず声を上げ、慌てて自らの手で口を塞ぎ、木の陰に隠れる。
エルの知識では狼牙は決して群れない。獲物が被った時は同族であっても攻撃をするような協調性の無いモンスターである。その狼牙が今にもトードに食べられそうだった同族を助けたのだ。
嘘。もしかして、あれは狼牙じゃないの?
そんな疑問と狼牙に自らの存在を勘付かれていないかの確認をする為にエルはこっそりと、息を潜めて、木の陰から片目だけを出す。
すると、そこには五頭の狼牙が連携しつつトードを追いやっていた。
……狼牙……だよね。やっぱり。
トードと戦う狼牙を見てエルは再確認する。だが、狼牙なら何故群れているのだろうか。あれくらいの数なら本来のエルにとっては脅威にはならない。
ただ、あれら連携の取れた狼牙が倍、十頭いた場合は脅威となる。
そんな考えが頭を過ぎって、エルはぶるりと体を震わせる。
やはり数というものは力である。先ほど狼牙に襲い掛かり、食料にしようとしたトードは狼牙たちに敗れ、全身を噛みちぎられて、見るも無残な最後を遂げた。
狼牙たちはそれに満足したのか、エルとは反対方向にゆっくりと消え去っていく。
完全に狼牙の姿が見えなくなって暫くしてからエルはようやく、ほっと安堵すると、中断していた薬草採取を再開しようと、木の陰から抜け出る。
そして、警戒レベルを先程よりも上げて採取を再開しようと腰を下ろしてふと気が付く。
あのトードの死骸をそのままにしておくのは拙い、と。
あの死骸をそのままにしておいたらトードを餌にしているモノ達が寄ってくるだろう。死骸とエルがいる場所はさほど離れていない。あのままにしていては危険であろう。
そう判断したエルはポシェットから愛用している短杖を取り出すと、死骸に近づく。
近づくに連れてその死骸の凄惨な状態が鮮明になっていくがエルは特に思うところは無い。気持ち悪いとか汚いといった感情は皆無。
もっとも、あのぬるぬるとした体液や血のシャワー等を浴びれば気持ち悪いとか、汚いとかは思うだろうが。
そして、もう原型をとどめていない赤黒い物体にエルは短杖を構えて、地面に穴を掘ってそこに土を被せるか、それとも燃やしてしまおうか悩む。
ここは森の中である。一番安全なのは前者、穴を開けて土を被せる方法である。ただ、これには一つ問題がある。
例え穴を掘って地中に埋めてしまってもこの森の中には鼻が良いモンスターが、数は多く無いが存在している。余程深く掘らない限りそういったモンスターは地中の中にある餌を嗅ぎ分けられる。つまり、餌の臭いを嗅ぎ寄ってくる可能性があるのだ。
一方、燃やしてしまえば、こういったモンスターは基本的に寄ってこない。
もっとも、モンスターの中には焼けたものを好むものもいるが、この森には生息していないはずである。だが、森の中で死骸を燃やすとなると、下手をすれば大火事に発生する。
普通ならエルは火力調整やその後に気を配らなくて良い、何よりそっちのほうが魔力の消費が少ないという理由で埋める事を選ぶだろう。
だが、今のエルはとにかくモンスターと遭遇しないほうを選ぶ。よって、エルは燃やしてしまう事を選択した。
……まぁ、燃え移ったら魔法で消せば良いよね。
そう決定すると、短杖を握り直した――その瞬間。
ぴょんっと、まるで、先ほどを繰り返すかのように、草むらの中から、赤茶色をした物体がエルの前に飛び出してきた。
ずんぐりむっくりとした体。目の下はくまのように黒く、その体表は何かしらの体液でも分泌しているのか、ぬめりとしている。
エルが燃やそうとしている物体の本来の姿――トードである。
エルはそれを見て、一瞬何が起こったのか分からなくなった。そして、それがトードと認識して、身をすくめ、頭が真っ白になった。
トードはそんなエルに向かって、長い舌を伸ばす。
頭が真っ白になったエルはされるがままトードの舌に絡め取られてしまう。
ぬめりとした感触にエルは我に返るが、時既に遅し。
もがいてみるが、エルの腕力ではトードの舌を振りほどけず、魔法を使おうにも舌に絡め取られた時に思わず短杖を落としてしまった。
脳裏に先ほどの光景が蘇る。先ほどの狼牙は寸前のところで仲間に助けられたが、エルにいない。
――怖い。
そんなエルの内心を見透かしたように、トードが口を大きく開ける。そして、次第にエルを引っ張る力が強くなる。
まるで先ほどのリベンジと言わんばかりに、トードはエルを己に引き寄せる。エルはそれに必死に耐える。
もっと警戒していれば、もっと力があれば、短杖を落とさなければ、もっと体重があれば、様々な考えが浮かんでは消えていく。
そして、最初に思い浮かび、絶えず思い、最後まで残った感情。
――恐怖。
それに抗うようにエルは強く思う。
――誰か助けて、と。
ただ、その願いは叶わないらしく、エルはぽんっと空中に舞い上がった。
「――きゃあああ!!」
まるで今まで上げるのを忘れていたと言わんばかりに、初めてエルは悲鳴を上げた。
ただ、そんな事をしても状況が変わるわけもなく。舞い上がったエルは今度、まるでジェットコースターのように急下降し始めた。
見る見る迫る地面、そこには大きく口を開けて座っているトード。そのトードが目と鼻の先まで迫った時、エルの意識はぷつりと途絶えた。




